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とある茶番劇の華麗ならざる舞台裏  作者: 海野宵人


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卒業夜会 (4)

 子どものときのようにアロイスと手をつないだまま、ふたりで夜風を楽しむ。

 月はなく、頭上には満天の星空が広がっていた。初夏の夜の、さわやかで少しひんやりとしたそよ風が、踊りでほてった身体に心地よい。

 黙って空を見上げながら、レーナはこの一年の間に起きたことに思いを馳せた。


 二年生になってからのこの一年というもの、怒濤のようにいろいろな出来事があった気がする。自分では不可避な災害に始まり、校内活動やら、できれば記憶から抹殺したいレーナのやらかしまで、本当にいろいろあった。


 そしてとにかく勉学に励んだ一年間だった。まさか自分がこんなに真剣に勉強することになるだなんて、一年前には思ってもみなかった。成績優秀者入りしたことだってなかったのに、この一年間ずっと模範生であり続けることになるなんて、いったい誰が想像しただろう。


 こと成績に関しては、すべてがアロイスのお陰である。

 アロイスに勉強を教わり始める前の試験では大災害が起きているのに、その後は一切起きていないのもつまり、アロイスのお陰なのだ。

 そう思ったらついぽろりと、感想がレーナの口からこぼれ出ていた。


「大橋の崩落以降、大災害が起きていないことを、王都市民はアロイスさまに感謝すべきだと思います」

「どういう脈絡なの、それは」


 レーナの思考の道筋を知らないアロイスは、意味がわからずに吹き出した。レーナが自分の理屈を説明すると、アロイスは笑いながら首をかしげる。


「うーん。どうだろうね。偶然だと思うけどなあ」

「ただの偶然じゃすまないことが起きていたから、この一年間こんなに大変だったんじゃありませんか……」

「まあ、そうなんだけど」


 でも何となく、アロイスの言わんとすることをレーナは察した。

 災害が起きたのは偶然であり、レーナのせいじゃない、とたぶん言いたいのだ。レーナはやっぱり自分のせいだったと思ってはいるけれども、アロイスの気遣いはうれしかった。アロイスのこういう優しさが、レーナは好きだ。


 またしばらく黙って夜風に吹かれていたが、今度はアロイスがぽつりと言葉をこぼした。


「確かにいろいろ大変だったけど、個人的にはシナリオに感謝してるんだ」

「どうしてですか?」


 ジーメンス家は冤罪をかけられそうになったり、知らないところで名前を勝手に使われていたり、少しもよいことなどなかったはずなのに、アロイスは不思議なことを言う。


「あれがなかったら、今こうしてレニーと一緒にいられたかあやしいもの」


 そうだろうか、とレーナは首をひねった。

 確かに「呪われたシナリオ」のせいで模範生を目指さざるを得なくなり、そのための勉強をアロイスが見てくれたお陰で、この一年間一緒に過ごす時間が長かったと思う。けれども、それがなかったとして、一緒にいられない理由は特にないような気がする。


「そもそもレーナを誤解させたままだったことに、気づいてもいなかったからね」

「そう言われてみれば、そうでした」


 レーナは都合よくころっと忘れていたが、言われてみれば確かに秋休みまでは、お互いの行き違いに気づいていなかったのだった。


 それまではアロイスのことを好ましく思ってはいても、レーナにとってあくまで「兄の親友」でしかなかったような気がする。接点もそれほどない。一応「愛でる会」のつながりで話をする機会がないでもなかったけれども、さりげなく押しの強いハインツへの対応に手を焼くことのほうが圧倒的に多く、アロイスとは事務的なことしか話していなかった。


「今だから言えるけど、正直ちょっと焦ってた」


 何を焦ったと言うのだろう。レーナには見当がつかず、首をかしげてアロイスを見上げた。


「以前婚約を申し込んだときにヨゼフ卿から出されてた条件は、社交界入りすることと、レニーから色よい返事をもらうことだったから、社交界のお披露目は最低限の年齢でさっさとすませておいたんだ。けど、何とかなると思ってたもうひとつのほうが……」


 もうひとつのほう、とはつまり「婚約についてレーナの同意を得ること」だろう。


「やっと学院に入学して、会う機会が作れると思ったら、何だかレニーはよそよそしいし」


 心当たりのあるレーナは、視線を落として押し黙る。

 だって、仕方がないではないか。「ベルちゃま」がアロイスだったなんて、思ってもみなかったのだから。

 レーナの表情を見たアロイスは、あわてたように言葉を続けた。


「ごめん、自分のせいなのはわかってるんだ。ベルまかせにしないで、きちんと自分で伝えるべきだった。けど、あの頃はそれがまだわかってなかったから、嫌われちゃったのかと思って」

「まさか。ありえません」


 全力で首を横に振るレーナに、アロイスは「ありがとう」とうれしそうに頬をほころばせた。


「一緒の学校生活を送れるのは、これが最後の一年だったでしょう。だから、本当に焦ってたんだ」


 アロイスのこんな告白を聞くのは、何とも照れくさいものだったが、それと同時に気持ちがうれしくもあった。だけど、それを何と言葉にしたらよいのかわからない。レーナはゆるみがちな頬を両手で押さえながら、黙って聞いていた。


「いろいろ大変なこともあったけど、結果的にすべていいほうに転んでるから、シナリオには感謝してる」

「大橋が落ちたりしましたけどね……」

「あれだけの大きな事故で怪我人ひとり出なかったって、すごいことだよ」


 そう聞くと、レーナは少し救われたような気持ちがした。


「だからシナリオに感謝してるし、そのシナリオを提供してくれたレニーにも感謝してるんだ。ありがとう」


 シナリオを提供できたのは、実際にはアビゲイルが詳細に書き留めておいてくれたお陰なのだが、アロイスが言いたいのはたぶんそういうことじゃない、とレーナにもわかる。だから余計なことは口にせず、ただ小さくうなずいた。


 またしばらく静かに夜空を見上げていたが、じわりと感傷がこみ上げてきた。これで本当に、アロイスと一緒の学校生活は終わりなのだ。


「もうお勉強会もおしまいですね」


 アロイスはレーナの顔をのぞき込んだ。星明かりの下では逆光になっていて、レーナからアロイスの表情は見えない。つないだ手が離され、レーナは腰を引き寄せられた。


「会いに行くよ。また一緒に勉強しよう」

「はい」


 頻繁でなくても、会えるならうれしい。幸せな気持ちでレーナがアロイスに身を寄せると、アロイスが耳もとでささやいた。


「レニー、ちょっと目を閉じて」


 理由がわからないながらも、レーナは素直に目を閉じた。内心で首をかしげていると、アロイスが動いた気配がする。そして唇に何かが一瞬触れて、離れていった。

 びっくりしたレーナは、ぱちりと目を開く。今のは、今レーナの唇に触れたのは────。


 キスされた。

 そう気づくと、急に心臓がどきどきとすごい早さでうるさく鳴り始め、顔が熱くなった。


 けれどもその次の瞬間、また別の理由でレーナは恥ずかしさでさらに顔を赤らめることになる。なぜなら、彼女の胃袋が切ない音を鳴らしたからだ。その音は決して大きくはなかったが、ごまかしようなくはっきりと響いた。出かける前に軽い食事しかとっていないのに、夜会で激しいダンスを踊ったせいで、すっかり空腹になっていたのだった。

 隣でアロイスが、声に出さずに小さく吹き出した気配がした。


 よりによってこんな場面で、音がしなくてもいいのに。

 レーナは泣きたい気持ちで火照った頬に手を当てて、うつむいた。そこにアロイスが手を差し出す。


「たくさん動いて、お腹がすいたね。何かつまみにいこうか」

「はい」


 差し出された手は、少しひんやりしていた。テラスに出るまでつないでいたときには、ダンスで全身が上気して指先まで熱かったのに。これではまるで夜会が始まる前の、がちがちに緊張していたときのレーナの手のようではないか。


 アロイスを見上げると、さっきまで逆光で表情が見えなかったのが、今は明るいホールに顔を向けているおかげで照れたような微笑みを浮かべているのがよく見えた。少し頬も染まっている。

 なーんだ、照れているのは自分だけじゃない。そう思ったら、どうしようもなくくすくすと笑いがこみ上げてきた。


「レニー、どうしたの?」

「うふふ。アロイスさま、大好き」


 レーナがアロイスに身を寄せると、背中に添えられた手にぐっと力がこもった。


 軽食の置かれて部屋へ行き、軽く食事をとって、ホールに戻ってまた踊り、知り合いと顔を合わせばおしゃべりし、そうして夜が更けて夜会が終わる頃には、夜会の冒頭に演じた茶番のことは、何日も前の出来事かのようにすっかり記憶から薄れていた。

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