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とある茶番劇の華麗ならざる舞台裏  作者: 海野宵人


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卒業夜会 (1)

 卒業式が終わった後は、いったん家に戻った。

 軽く昼食をとった後、自室で夜会に着ていくドレスや装身具を確認すると、夕食まではもうすることがない。と言っても、身支度に時間がかかるので、夕食はかなり早めに済ませることになるのだが。


 部屋でじっとしていてもそわそわと気持ちが落ち着かないので、話し相手を求めて部屋から出てみた。ところが、いつもなら家にいる祖父母が、今日に限っていない。叔父も留守だった。しょっちゅうこの家に寄りついている長兄パトリックも、今日は来ていない。父も留守のようだ。

 母は何だか忙しそうだし、ヴァルターも寮から持ち帰った荷物の片づけで忙しそうだった。


 しょんぼりと自室に戻り、ソファーに腰をおろして「呪われたシナリオ」を開き、読むでもなく文字を目で追っているうち、いつの間にかうたた寝をしていたらしい。

 母の呼ぶ声で目が覚めた。


「────レーナ。レーナ、ほら起きなさい」


 そろそろ夜会の支度を始めるようにと、声をかけにきたらしい。レーナがまだ少し眠い目をこすっていると、身支度をする前に食事を済ませるよう指示された。だが昼食の後すぐに寝てしまったせいで、さっぱりお腹がすいていない。

 そう母に話すと、母は呆れ顔でため息をついた。


「困った子ねえ。夜会でも普通は軽食くらい置いてあるはずなのだけど、今日の夜会はお食事する余裕があるかわかりませんからね。軽くでもいいから、何かお腹に入れてらっしゃい」

「はい」


 確かに、茶番劇を演じる必要のある夜会なんて、食事をしている余裕がある気がしない。

 レーナは素直に母の言いつけに従い、誰もいない食堂ホールでひとりさびしく、少なめによそってもらったシチューだけ食べた。パンまではお腹に入らなかった。


 レーナは社交界にはまだお披露目をしていないため、夜会というものに出るのはこれが初めてだ。

 初めての夜会なのに、国王の肝いりで茶番劇を演じなければいけないなんて。考えるだけでも、胃が痛い。せっかくの初夜会なのだから、もっとこう、心が浮き立ち、きらきらした楽しい学生生活の思い出のひとつとなるようなものであってほしかった。失敗したら何が起こるかわからないという、こんな無駄な緊張感はなくていい。


 それでも夜会用のドレスを着付けられ、母の選んだ装飾品を身につけ、ドレスに合わせて髪を結ってもらっているうちには、いくらか気持ちが明るくなった。

 これならちゃんと、夜会に行くお嬢さまらしく見えるだろうか。いや、実際まごうかたなく夜会に行かんとするお嬢さまなわけなのだが。でも、もしもこのドレスがヴァルターの式服ガウンみたいにしか見えなかったりしたら、かなしい。


 身支度が終わった頃、アロイスが家まで迎えに来た。ただし、この日はアロイスだけではなくイザベルも一緒だった。ハインツが王宮を出なくても済むようにするための配慮だと言う。

 ハインツがイザベルを迎えに行くとなると、護衛のために人員を割かざるを得なくなる。しかし今日に限っては、その人員を惜しんだらしい。夜会の警備を万全にすることを優先したためだ。そしてどうせアロイスも夜会には参加するのだから、一緒に行ってしまえばよい、ということにしたようだ。


 アロイスはレーナの姿を目にすると、軽く目を見張ってから頬をゆるめ、そつなく褒め言葉を口にした。


「すごくきれいだ」

「ありがとうございます」


 褒めてもらっても、まだちょっとレーナには自信がない。


「あの、大丈夫でしょうか。仮装みたいに見えたりしません?」

「大丈夫。ちゃんと本物のお姫さまにしか見えないよ」


 レーナの不安をアロイスは笑って吹き飛ばし、自身の言葉どおり本物のお姫さまを遇するようにして馬車まで付き添った。

 馬車の中でふたりを待っていたイザベルは、レーナが視界に入ると笑顔で小さく手を振った。


「ごきげんよう、レーナさん」

「イザベルさま、ごきげんよう」


 イザベルは予定どおり、深紅のドレスに身を包んでいる。


「イザベルさま、そのドレスとてもお似合いです」

「ありがとう。わたくしも、とても気に入っているの」


 イザベルは黒いレースの扇を取り出して広げ、ポーズをとってみせた。つんと顎を上げ、見下すような流し目が、いかにも悪役らしい。早くもすっかりノリノリである。


「『ハインツさま、わたくしという婚約者がありながら、これはいったいどういうことですの』────どう?」

「すばらしい。完璧です!」


 レーナは思わず夢中で拍手してしまった。夢に出てきたイザベルそのままだ。

 イザベルの明るさに、不安と緊張でがちがちにこわばっていたレーナの心が少しだけほぐれた。


「その扇、とてもすてきですね」

「ありがとう。母から借りたものなの。隣国では、こういうのが流行っているんですって。父が仕事で行ったとき、お土産に買ってきたのよ」


 透けて見えるほど繊細な黒い絹糸のレースが、花や葉の柄を細やかに、華やかに織り込んで飾っている。黒という色がイザベルの深紅のドレスを引き締めて見せる効果もあり、よく似合っていた。

 しかし「隣国」という言葉に、またしてもレーナは落ち着かない気持ちになり、ぽろりと不安をこぼしてしまった。


「今日、大丈夫でしょうか……」


 レーナの言葉に、目の前に並んで座っている兄妹は顔を見合わせた。

 閉じた扇でイザベルが兄の腕を軽く叩くと、アロイスは困ったような笑みを浮かべた。


「大丈夫だよ、レニー。捜査は順調だって、ハインツも言ってたでしょう」

「そうですけど……」


 まだ浮かない顔のレーナに、イザベルは安心させるように微笑みかけた。


「オペラ座の舞台に立っても恥ずかしくないくらいに練習したのよ。どうぞ安心しておまかせなさいな」


 イザベルが再び扇を開いて悪役のポーズをとってみせると、やっとレーナの顔にも笑みが浮かんだ。

 もともとレーナは、イザベルの心配はしていない。心配なのは、ハインツだ。だが、元気づけようとしてくれているふたりの前でそれを言葉にするのは、さすがに自重した。

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金色に輝く帆の船で
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