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とある茶番劇の華麗ならざる舞台裏  作者: 海野宵人


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卒業式 (1)

 シナリオに書かれた出来事が、ほとんど現実となり、残るはあと卒業夜会ばかりだ。


 こちらはもう、方針が固まっている。

 あんなことが実際に起きたら、たまったものではない。だから、茶番劇を演じるのだ。


 卒業夜会は、学年の最終月である六月の後半に行われる。

 校内美化作戦が終わった後、卒業夜会まではこれといったシナリオ対策は必要ない。とは言え、それはレーナ以外の人々に限った話であって、レーナは模範生たる成績を維持する必要があるので、勉強の手を抜けない。

 相変わらず、夕食後に談話室でアロイスに勉強を見てもらう日々である。


 教わったやり方で勉強を続ければ、付きっきりで面倒を見てもらわなくても成績を維持できそうな気はちょっとするのだが、レーナはそれを口には出さなかった。

 理由はふたつある。


 ひとつは、万が一にも失敗したくなかったからだ。

 アロイスに勉強を見てもらっている限りは間違いないと、自信を持って言える。けれども、自分ひとりならどうかと言うと「何となく、やれそうな気がする」という程度のあやふやな自信しかない。そんな状態で試してみた挙げ句に失敗したら、と考えると、とてもではないが踏み出せないのだ。それが引き起こしうる災害が、おそろしい。


 もうひとつの理由は、単純にアロイスと一緒にいたいからだ。

 アロイスは最上級生だから、今度の卒業夜会を最後に学校からはいなくなってしまう。こんな風に寮の談話室で一緒に過ごせるのは、今だけなのだ。せっかくの時間を、大事にしたい。

 もちろん卒業後も、婚約者としての交流は続くことだろう。しかしそれはそれ、これはこれである。


 勉強だけでなく、卒業夜会の準備も着々と進めている。

 まず最初に手を付けたのは、ドレスの手配だ。と言っても、レーナのものではなくて、イザベルのドレスのことなのだが。レーナのドレスなんて、何でもいい。きっと母が、適当に手配してくれるだろう。夢の中で自分が着ていたドレスなんて見た記憶がないから、たぶん本当に何でもいい。

 しかしイザベルのドレスは、そういうわけにはいかないのだ。


 レーナは記憶を頼りに、夢の中で見たイザベルのドレスを絵に描き起こした。夜会の夢だけは何度も見たから、イザベルのドレスは鮮明に思い出せる。深紅の薔薇を思い起こさせるような色と形のドレスだ。

 ドレスの絵姿をイザベルに見せたとき、彼女は軽く目を見張った。


「あら、素敵。色も形も自分では思いつかないようなものだけど、いいわね、これ」

「はい、とってもお似合いでしたよ。夢で、ですけど」

「少し大人っぽいけど、そこがまたいいわ」


 イザベルにドレスの絵を渡した翌日、アロイスと一緒に勉強していた談話室に、ハインツが鼻息も荒く飛び込んできた。


「ねえ、レーナ。あれちょうだい」

「『あれ』じゃ何だかわかりません」


 勉強の手を止めることなく、レーナはぴしゃりと言い返す。実際には何のことだかだいたい見当がついているけれども、察してやりたくない。


「イザベルに渡したあの絵だよ。ドレスの絵」

「もうお渡ししちゃったものですから、ご所望ならイザベルさまにご相談ください」


 どうせ「もう一枚描いてくれ」と言いたいのだろうが、察してやりたくない。


「だからね、あれをもう一枚────」


 ここで初めてレーナは顔を上げて、ハインツを見上げた。目が完全に据わっている。ハインツはレーナの表情を見て少し頭が冷えたのか、言葉が途中で消えていった。


「あれは、必要があって描きました。そして今、次も模範生の成績をとる必要があるので勉強しています。ハインツさまのおっしゃる『あれをもう一枚』は、本当に、どうしても、今、必要なものですか?」

「いや……。ごめん、イザベルに相談してみる……」

「ご理解いただけたようで、何よりです」


 ハインツは、しおしおと談話室を出て行った。それを横目に見届けてから、ふんと鼻を鳴らして勉強に戻る────つもりだったのだが、隣の席で静かにアロイスが笑い転げているのに気がついてしまった。彼の目の前であんな態度をとったことがきまり悪くなり、頬が赤らむ。


「レニーは強いね」

「だって……。あれくらいはっきり言わないと、いつまでもしつこいんですもの」


 レーナだって、ハインツ以外にはあんなにずけずけ物を言ったりはしない。

 仮にも王族に対してその態度はどうなのかと自分でもちょっと思わなくもないが、知ったことか。くだらない理由で勉強の邪魔をするほうが悪いのだ。

 ハインツはその後も割と懲りずに何度か絵をねだりに来たが、その都度レーナにそっけなく撃退されるのだった。


 次に、ドレスの調達と同じくらい大事なのは、同伴者を決めることだ。

 ただしこの重要度は、男子と女子とでだいぶ違う。

 おそらく男子にとっては、夜会服の調達より何よりも、同伴者を得ることが最優先課題であろう。


 卒業夜会とはつまり舞踏会であり、参加するなら異性の同伴者が事実上必須となる。

 規則としては別に、同伴者が必須となっているわけではない。一般的な夜会でも、別に異性の同伴者が必須なんてことはないし、卒業夜会もそれに準じている。だが同伴者なしで参加するなどというみじめな姿を、いったい誰が卒業夜会でさらしたいと思うだろう。そんなわけで、最上級生は同伴者の獲得に必死になるわけである。


 ところが学院では、男女比がとても偏っている。圧倒的に男子学生のほうが数が多いのだ。このため毎年冬休みの前後あたりになると男子学生の間で、同伴する女子学生の獲得争いが熾烈を極めることになる。


 レーナも昨年は何人もの最上級生から誘いを受けたが、事前に兄たちから「知らないやつから誘われても、全部断れ」と厳命されていたため、全員お断りした。だって去年の最上級生には、知り合いなんてひとりもいない。


 別に同伴するのは同級生でなくてもよいし、学外の者でもかまわないことにはなっている。しかし夜会の会場が王宮のため、学外の者を同伴するには事前にそれなりに面倒くさい手続きが必要となる。そんな事情もあって、何とか学内で同伴者を確保しようと、半年ほど前から水面下での駆け引きが始まるのだ。


 そんな一般の事情をよそに、レーナたちの同伴者はすんなり決まった。

 ハインツはもちろんイザベルの同伴で、アロイスはレーナの同伴だ。

 そしてヴァルターは、ちゃっかりアビゲイルに同伴の約束を取り付けていた。


 ただし茶番劇を演じる都合上、最初の入場時にはレーナはイザベルと同伴者を交換することになっている。大いに不満だが、こればかりはどうしようもない。

 そしてなぜだか、レーナがハインツの同伴で参加するということは周囲に知れ渡っていた。さほど親しくない同級生からも声をかけられるほどに。


「王太子殿下と一緒に卒業夜会に出るって聞いたけど、本当?」

「うん、そうなの。さすがにお断りできなかったのよね……」


 不本意な気持ちをチラつかせつつ、「呪われたシナリオ」という本当の理由を伏せたまま、それらしく返事をしておく。ハインツがときどき談話室にいるレーナを訪ねているところを目撃されていることも、レーナの返答の信憑性を増していた。

 不本意ではあるものの、知らない人から卒業夜会のお誘いを受けることがなくなったのはありがたかった。仕方のないこととはいえ、お断りするたびに相手にがっかりした顔をさせてしまうのは、なかなかつらかったからだ。


 レーナのドレスは、アロイスと相談して色だけ合わせ、あとは母におまかせしてしまった。

 母からは手紙で「何か好みはないの?」と聞かれたが、正直レーナにはよくわからない。母が寮によこした仕立屋に見本のデザインをいくつも見せられたが、たくさん見れば見るほど、もうどれでもいいような気がしてくるのだ。

 正直に「よくわからない」と返事をしたら呆れられたようだったけれども、きっと似合いそうなものを母が見繕ってくれるはずだと信じている。

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