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とある茶番劇の華麗ならざる舞台裏  作者: 海野宵人


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冬休み (6)

 責任もさることながら、あまりにも突然のことに、レーナの心臓は早鐘をつくかのように鳴り続けている。


「突然すぎて、びっくりしました」

「突然じゃないと思うけど。前から何度も言ってたし、約束してくれたよね」


 いや、突然だし、初耳である。

 そう思ったが、アロイスの声にどこか傷ついたような響きがあったので、あわててレーナは自分の記憶を探った。


 そして思い出した。「ベルちゃま」からしばしば「うちにお嫁においで」と誘われていたことを。

 けれども当時のレーナにとって、それは特に魅力的なお誘いではなかった。だってレーナが一緒にいたいのは「ベルちゃま」であって「アロイス」じゃない。たとえジーメンス家にお嫁に行っても、「ベルちゃま」とは義理の姉妹になるだけだ。だから「ベルちゃま」が結婚して家を出てしまえば、彼女にとってレーナはただの「実家の嫁」である。


 母マグダレーナが彼女の実家と交流する頻度と、母とその友人たちとの交流頻度を比べれば、「実家の嫁」より「友人」でいるほうがずっとよい。当時の彼女は、そう思った。


 その誘いに対して、レーナは何と答えたのだったか。

 そうだ、こう答えたのだ。


「ベルちゃまが男の子ならよかったのにね」

「男の子なら、お嫁に来てくれるの?」

「いくいく! ベルちゃま、大好き!」

「じゃあ、約束ね」

「うん!」


 仮定の話に「約束」も何もないはずなのだが、当時のレーナは何も疑問に思うことなく同意していた。そんなことが何度かあったような気がする。


 思い出したら、顔から火が噴きそうになった。

 あれを「前から言っていた」のに数えるのは、少々ずるくはないか。

 心臓がまだまったく落ち着いていないのに、顔だけでなく頭にまで血がのぼって、もう収集がつかない。レーナは火照った頬に手を当てた。

 そんなレーナの顔を、アロイスがためらいがちに覗き込んだ。


「それで、返事は……?」

「はい……」


 蚊の鳴くような声で返事をしてうなずくと、アロイスは安堵したように「よかった」とつぶやき、ホッと息をついて微笑んだ。

 だがこれは独断で返事をしてよい質問ではなかった気がする、と沸騰した頭でレーナは気づいた。そしてあわてて言葉を足す。


「あ、でも両親にも話さないと」

「大丈夫。もう父からご両親に話は通してある」

「え?」


 驚いたことに、すでに家から家への申し入れは内々に済んでいるとアロイスは言う。ただしヨゼフは是とも非とも言わず、すべてはレーナ次第だと返答したそうだ。つまりレーナが了承するなら受けるし、そうでなければ断る。だからレーナがうなずいた時点で、話は成ったも同然というわけなのだった。


 どうやらジーメンス家から申し入れがあったのは、それほど最近の話ではなかったようだ。

 そのため秋休みにレーナが観劇に連れ出されたり、図書室を訪問したりしたとき、ジーメンス公夫妻は話がまとまったとばかりに早とちりした。強引にレンホフ家を訪問する流れになったのにはそんな背景があったと聞いて、レーナはあのときの夫人のアロイスへの小言の意味を理解した。


 馬駐めで馬を引き取ると、アロイスはレーナに声をかけた。


「さあ、もう帰ろう」

「はい」


 このときレーナは、自分はこの日の行いについてすでに十分に反省したつもりでいた。

 しかしこの後、ジーメンス邸に帰還したときに、まだまだ反省の程度が甘かったことを知る。


 ふたりがジーメンス邸に到着し、馬を戻しに厩舎に立ち寄ると馬丁たちが騒然となった。一番年若い馬丁が、レーナたちの姿を目にしたとたんに一目散に屋敷のほうへ駆けて行く。

 他の馬丁たちもふたりから馬を預かりながら、涙ぐまんばかりにして帰還をねぎらった。


「おかえりなさいませ」

「よくぞご無事で……」


 まるで海難事故で行方不明となっていた人間がひょっこり戻ってきたかのような喜びようだ。

 怪訝に思ったレーナはアロイスの顔色をうかがうが、彼は困ったように肩をすくめただけだった。


 ふたりが屋敷に戻ると、状況はさらに深刻化する。

 玄関の扉をくぐったとたん、レーナはぎゅうぎゅうに抱きしめられた。


「ああ、よかった。よかったわ。無事だったのね」


 一瞬、驚きのあまり声も出なかったが、抱きしめてきた相手がレベッカ夫人だとわかり、レーナはおずおずと挨拶した。


「あの、ただいま戻りました」

「心配したのよ」

「申し訳ありませんでした……」

「本当よ。本当に、無事でよかったわ」


 夫人の言葉は、最後のほうはもう涙声だった。

 こんなに心配させてしまうなんて、レーナは思っていなかった。軽率だった。申し訳なさで、身が縮む思いがする。


 そうこうするうちに、玄関ホールにはどんどん人が集まってきた。

 ジーメンス公エーリヒとイザベルがいるのはともかく、なぜか長兄パトリックまでいる。それだけでなく、憲兵の姿まであった。いったい何が起きているのか。

 実はジーメンス邸は、レーナの捜索本部と化していたのだった。


 レーナがアロイスを置いて馬で飛び出して行った後、アロイスは家に伝言するために従者を帰らせた。従者はジーメンス公夫妻に、事故の経緯と、レーナが馬車を追ってしまったことを報告する。


 報告を受けたエーリヒは、ジーメンス家の総力を挙げてレーナの捜索にあたらせるとともに、ただちにレンホフ家に状況を知らせる遣いを出した。知らせを受けたレンホフ家からは、ヨゼフとパトリックがジーメンス邸に急行し、三家合同で捜索にあたることになったのだった。


 平行してエーリヒは、憲兵隊にもレーナの捜索願いを出した。

 憲兵たちから英雄視されているヨゼフの娘が事件に巻き込まれたとあらば、憲兵隊も当然のようにただちに総力を挙げて捜索に参入する。


 レーナは知らなかったけれども、ヨゼフは憲兵隊の間では非常に人気が高い。なぜなら憲兵隊が海賊船の捕獲に手こずってあわや捕り逃がすかという場面でさっそうとヨゼフが現れて、相手を鮮やかな手並みで無力化した上で憲兵に引き渡して去っていったということが、何度となくあったからだ。


 もっともヨゼフにしてみたら、単に自分にとって不都合な船を合法的に排除しただけのことであり、憲兵隊とは互いの利害が一致したにすぎなかったのだが、憲兵隊の側からはそれこそ守護神のように思われていた。

 もとが平民というヨゼフの経歴も、平民が大半を占める憲兵隊においては好意的に受け止められている。特に若い層は、ヨゼフを崇拝していると言っても過言ではない。今では誰もが知っている「海の英雄」という呼称も、使い始めたのは憲兵隊だった。

 分隊長サムエルがレーナに対して普通以上に親切だったのも、ヨゼフの娘と知ったことが大きい。


 そんなわけで憲兵隊もレーナの捜索に加わることになったのだが、あいにくジーメンス家から連絡を入れたのは、レーナが向かったのとはまた別の分隊、王都の東側地区を管轄する第一分隊だった。レーナが向かったのは西側地区が管轄の第二分隊である。

 王都の西側は主に商業区域となっていて、劇場などの歓楽施設はこちら含まれる。

 一方、東側は主に貴族の邸宅街となっており、王宮や大聖堂に加え、大学などの学術施設がこちらに含まれている。


 第一分隊はレーナが第二分隊のサムエルのところで事情聴取を受けている最中とはつゆ知らず、なかなか戻らないことから事件性を疑ってしまったのだった。

 管轄ごとに横のつながりの薄いところが、憲兵隊の泣き所である。


 逃げた馬車の男は、いつの間にか「レーナの居場所を知っているかもしれない重要参考人」となり、さらには「レーナを誘拐したかもしれない容疑者」にまで昇格されていた。

 もはやすっかり凶悪犯扱いである。

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