剣術大会 (2)
やがて迎えた剣術大会の当日、女子学生は一年生をのぞき特に行事がないため、試合観戦にいそしむことになる。
午前中はまず、学年別の予備戦だ。学年ごとに上位十六名が参加し、勝ち抜き戦形式で試合を行う。
普段の剣術の授業は運動用のホールで行っているが、秋の剣術大会は屋外で行うことになっている。グラウンドに試合用のコート二面が設置され、それを囲むように仮設の観客席が設営される。観客席は木組みの簡素なもので、組み立てや撤去の作業には一年生と二年生の男子学生が動員される。
一年生と二年生が二面のコートをそれぞれ使って予備戦を終わらせた後、三年生と四年生の予備戦が行われる。その後、昼食時間をはさんでから、午後に最終戦が行われることになる。
レーナはアビゲイルと一緒に最初から観戦することにした。
正直なところ、シナリオ遂行の観点から気になるのは兄たちの出る四年生の試合だけなのだが、同級生の試合をまったく観戦しないのも何だか不義理のような気がしたのだ。
寮を出て校舎の脇を抜け、会場となるグラウンドへ向かうと、観客席はもう完全に組み上がっていた。その観客席を裏側から確認するように見て回っている教員の姿があった。美術教師のパウル・ボルマンだ。レーナとアビゲイルは挨拶の声をかけた。
「ボルマン先生、おはようございます」
「やあ、おはよう。観戦かい?」
「はい。先生は何をしてらっしゃるんですか?」
「観客席の安全確認だよ。設営のミスで万が一にも事故があったら困るからね、組み上げたときに一度確認済みだけど、念のため最終確認をしているところなんだ」
「なるほど。ご苦労さまです」
会釈して観客席に移動しようとすると、アビゲイルがレーナの脇腹をひじで小突いた。レーナがきょとんとした顔で振り向くと、アビゲイルはレーナの耳もとでささやく。
「ボルマン先生にお聞きしたいことがあったんじゃなかったの?」
「あ。そうだった」
レーナはパウル・ボルマンに向き直って、再び声をかける。
「ボルマン先生」
「うん? どうした?」
「秋休みに市民劇場へ『ハインリヒ四世』を見に行ったとき、開幕前のボックス席に先生みたいな人影が見えたんですけど、先生も観劇にいらっしゃいました?」
「お、あれ見たんだ」
パウル・ボルマンは意味ありげな笑みを浮かべた。
「確かにいたけど、私は観劇ではなかったな」
「じゃあ、何だったんですか?」
「ふふ。何だったと思う?」
「えええ……。わかりません。降参!」
思わせぶりに返された質問に、レーナは一生懸命に頭をひねって考えたが何も思い浮かばず、白旗を揚げた。
「実はね、美術監督の手伝いを頼まれて、舞台照明の最終確認をしてたんだ」
「おおお。さすが、芸術家!」
目を丸くしたレーナの無邪気な賞賛に、美術教師は声を上げて笑った。
舞台側に近いボックス席からは舞台の袖がよく見通せるので、舞台照明の最終確認をするのに格好の場所なのだと言う。もちろんボックス席の契約者には了解を得ているし、そもそもなるべく鉢合わせすることのないよう早めの時間に確認を終えている。レーナたちが彼の姿を見ることができたのは、ほかの観客たちより早めに入場したためのようだった。
今回の「ハインリヒ四世」に限らず、彼はときどき頼まれて舞台美術の監督を手伝うことがあるらしい。ただし本業は教職のほうなので、たとえ頼まれても休みのときにしか応じることはない。
わかってしまえば何ということのない、納得の理由だった。
疑問が氷解したおかげか、レーナはパウル・ボルマンに関するもうひとつの話題を思い出した。
「そう言えば、叔父が先生と同級生だったって言ってました」
「え? 君の叔父さんが? レンホフなんて姓の同級生いたかな。記憶にないんだけど」
「いえ、姓はノイマンですよ。ノア・ノイマンです」
「ノア・ノイマン……。ああ! あの真面目な優等生くんか」
美術教師が少し考え込んでから口にした言葉に、レーナは面食らう。あまりにも叔父に似つかわしくなかったからだ。確かに勉強は頑張ったらしいけれども、あのふわふわした少年のような叔父に「真面目」とか「優等生」などの表現はまったくもって似合わない。
レーナがピンとこないような顔で首をかしげているのを見て、彼は言葉を足した。
「よく模範生になっていてね、順当に行けば監督生に選ばれていたはずなんだけど。あれは気の毒だったなあ」
「何かあったんですか?」
「三年生のときに、流行病が蔓延したんだ。彼にもいろいろあったみたいで、定期考査をひとつ受け損ねてね。それで選外になってしまった」
「そうなんですか」
レーナの産みの母が亡くなったときのことかもしれない。だからきっと、ノアは話題にしたくなかったのだろう。
「彼は今、どうしているの?」
「船乗りです。父の起こした会社で、船長をやってますよ」
「へえ。あのおとなしかったノアくんが、船長かあ。それはまた、羽振りがよさそうだね」
「羽振りについてはよくわかりませんが、楽しそうにやってます」
「そうかそうか。それは何よりだ」
美術教師がポケットから懐中時計を取り出して時間を気にする素振りを見せたので、レーナは引き留めたことを詫び、もう一度会釈してからアビゲイルと共に観客席に向かった。
「知りたかったことがお聞きできて、よかったじゃない」
「うん、思い出させてくれてありがと。それにしても現役の芸術家って、何だかかっこいいなあ。本業がお休みのときしか手伝えないのに、それでもわざわざ頼まれるって、よほど腕前を高く評価されてるってことよね」
「そうね。そうかも」
まだ少し早い時間だったため、観客席はどの位置でも選び放題だ。ふたりは、二年生の試合の行われる側のコート近くの最前列中央付近に陣取った。二年生の試合が終われば、そのコートで四年生の試合が始まる予定だから、ちょうどおあつらえ向きの席だった。
しばらく観客席でのんびりおしゃべりしていると、やがて対戦表が張り出され、出場者たちが集まってきた。




