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とある茶番劇の華麗ならざる舞台裏  作者: 海野宵人


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オペレッタ鑑賞 (4)

 アロイスの容姿で、その優秀さで、目立たないわけがない。

 まずその人並みはずれて整った容姿からして、とても目立つ。どうしてそれで地味だなどと思い込んでいるのだろう。そう不思議に思ったが、レーナはさきほどのアロイスの言葉を思い出した。「アンジーはあまり男らしくない」というあの言葉は、もしかしてアロイス自身を投影したものだったのだろうか。


 小さい頃によくイザベルと間違えられていたのが、無意識に劣等感になっているのかもしれない。

 もしそれをもって自分のことを地味だと思っているのなら、とんでもない勘違いだ。


 確かに性格だけは、地味と言えばそうかもしれない。

 ハインツのようにするりと人の輪の中に入り込んでいったり、ヴァルターのように人を動員して何かをしたりといった、人の前に立つようなことをアロイスは滅多にしない。けれども、ハインツやヴァルターに人がついていくのは、このふたりには必ずアロイスが付いているという安心感があるからだ。

 アロイスがいれば大丈夫、と思わせるだけのものが彼にはある。たとえ性格が地味だとしても、存在が地味じゃない。


 これは、どう説明したら伝わるのだろう。


「全然地味じゃありませんよ。だって、アロイスさまは最高にかっこいいもの」


 確実に伝わるよう、言葉を選んでみた。が、伝えようと意気込むあまりに鼻息もあらく声に出した後になってから、何かすごく恥ずかしいことを言ってしまったような気がしてきた。顔が赤らむのを感じて、熱い頬に手を当てる。


 アロイスは一瞬きょとんとしてから、うれしそうに微笑んだ。


「そんな風に思ってくれてるの? お世辞でもうれしいな。ありがとう」

「お世辞じゃありません。小さいときからずっとそうでした」

「そうなの?」

「そうです」


 意気込んで大きく頷いてみせると、アロイスは小さく首をかしげた。


「でもそんな風に言ってくれたことは、一度もなかったよね」

「それは、だって女の子だと思ってましたもの。絵本に出てくる王子さまみたいにかっこいい、なんて女の子に対する褒め言葉じゃありませんよね。だから思っても言いませんでしたよ」

「そうなんだ」


 幼児にだって、それくらいの社交性はある。

 しかし今レーナが伝えたいのは、そこじゃない。地味で目立たないなどという、アロイスの勘違いを正したいのだ。


 レーナは調理実習の菓子の件も含めて勘違いを正すべく、一生懸命に説明した。アロイスはその声にじっと耳を傾けてうなずいてはいたけれども、きちんと勘違いを正せたのかについては、正直あまり自信がない。なぜなら、彼女の力の及ぶ限り言葉を尽くした末にアロイスから返ってきたのは、次の言葉だったからだ。


「ありがとう。レニーがそう言ってくれるなら、もうそれで十分だよ」


 あまり伝わっている気がしない。

 それでも話を聞くアロイスの表情が明るかったから、まあいいか、とレーナは思うことにした。


 レンホフ邸に帰り着くとまずアロイスは、レベッカ夫人からの手紙をマグダレーナに手渡した。出かけるときに託された招待状への返事だ。驚くほかないほどの返信の早さに、ジーメンス家の期待の高さがうかがえる。いったいどれだけレンホフ家の料理を楽しみにしているのだろう。おそろしい。


 応接室に通されたアロイスは、ソファーには座らずに壁に掛けられた絵をしげしげと見て回った。


「すごいなあ。これ、全部レニーが描いたの?」

「そうです。恥ずかしいから、あまり見ないでください……」

「見せるために飾ってあるんでしょう?」

「違います。飾りです、ただの飾り! 飾りの本体は額縁で、絵はおまけです」


 必死にアロイスを絵から引き離してソファーに座らせようとするレーナに、アロイスは吹き出した。見せるために置かれているものを飾りと呼ぶのではないのか。抵抗せずにソファーに腰を下ろしたものの、視線は絵から外さない。


「あの淡い色彩、好きだけどな。黒い蒸気船の絵なのに、明るくてきれいだよね」


 アロイスの純粋な賞賛の言葉に、レーナは心のうちに後ろめたいものを感じて視線を落とした。


 全体の色調が淡いのは、淡い色から順に少しずつ濃い色を重ね塗りしていくうち途中で飽きちゃったからである。特に何かの効果を狙ったわけではない。ただし全体的に淡いままだとぼんやりした絵になってしまいそうだったので、船体の主要部分だけ濃い色でほんのちょっぴり色づけした。そして「もういいや」と投げ出しておしまいにしたらああなったわけで、いわば永遠の未完成品なのだった。


 なお、四隅が余白となって白いままなのも、途中で飽きちゃったせいである。別にそういう技法でも何でもない。何しろ画用紙が大きすぎた。描きたいものを中央に配置してちまちま色づけしていったら、四隅にたどり着く前に十二歳の少女の気力は尽き果てたのだ。


 そんな身も蓋もない裏話を苦々しくレーナが暴露していると、叔父のノアがやってきた。


「いやはや、お客さま、さすがお目が高い。こちらは、わたくしどもと専属契約を結んでいる新進気鋭の女流画家レーナの手による風景画の処女作でございます」

「もう、叔父さまったら!」


 部屋に入るなり画廊の店主になりきって妙な解説もどきを始めるので、レーナはそれをとがめながらも笑ってしまう。暖炉の上に掛けられた特大サイズの絵がレーナの「風景画の処女作」というのは、あながち嘘でもないのだ。


 この日も夕食の席はにぎやかなものとなった。

 アロイスは約束どおり、オペレッタ「アンジェリカ」にレーナをもう一度誘いたい旨を両親に話して、了解を得てくれていた。そのまま父ヨゼフに捕まって、何やら会話が続いている様子だった。


 オペレッタの話が出たことで、レーナは幕間の出来事を思い出した。


「そう言えばね、お母さま。今日は置き引きの現場らしきものを目撃してしまいました」

「あら、まあ」


 目撃したことのあらましを話して聞かせると、マグダレーナは眉をひそめた。


「そういう犯罪をなりわいにしている者もいるそうだから、それほど珍しいことではないのよ。あなたもよくよくお気をつけなさいね」

「はい」


 一応、帰りしなにアロイスから劇場の者に、目撃したことの一部始終を伝えてはある。

 しかしスリや窃盗など、人命に関わらない犯罪については、劇場としても観客に注意喚起をするくらいしか対策の施しようがないのが実情だ。しかも、くだんのボックス席は非常用の階段に近いため、監視の目が十分には届きにくいという問題もあるらしい。


 二度目の「アンジェリカ」は、翌週の水曜日に行くことになった。もちろん昼の公演だ。


 観劇も三度目となると、だいぶ慣れてくる。ましてやオペラ座は、前回に続いて二回目だ。レーナは気持ちに余裕を持って楽しむことができた。


 何度見ても楽しいだろうと思っていた「アンジェリカ」は実際二度目でもとても楽しかったのだが、前回とは違う点がひとつだけあった。幕間にちょっとした寸劇が追加されていたのだ。幕が閉じると、元婚約者役の俳優が幕の前の中央に進み出て観客に声をかけた。


「観客の皆さまにお願いがございます。お手荷物からは決して目を離さないよう、どうかご注意ください」


 元婚約者が観客席に向かって注意事項を述べている最中、舞台の袖からは村娘役の女優がふたり連れだって、くすくすと楽しそうに内緒話をして笑い合いながら反対側の袖へ歩いていく。元婚約者はセリフを口にしながらも、あからさまに視線が少女たちを追っていた。

 少女たちが元婚約者の後ろを通り過ぎる頃に浮気相手役の女優が気取った足取りで登場するが、鼻の下をのばした元婚約者は少女たちに気をとられていて気づかない。


 元婚約者の視線に気づいた少女たちが振り向いて手を振ると、元婚約者はデレッとした顔で手を振り返した。ちょうど元婚約者の後ろまでやってきていた浮気相手の女は、その隙に彼のポケットから札入れを抜き取って、観客席に向かって茶目っ気たっぷりの笑顔で札入れを振ってみせる。それからおもむろに元婚約者の後ろを通り過ぎ、何食わぬ顔で振り向いて流し目で投げキスをしてから舞台の袖に消えて行った。


 ここで元婚約者は咳払いをして、セリフを続ける。


「どのような場所においても、油断は禁物でございます。くれぐれも貴重品からは目を離すことのないよう……」


 セリフの途中で言葉を切り、ふと札入れの入っていたポケットに手をやって首をかしげてから、あわてたようにポケットというポケットに手を入れて確認し始める。やがて目を見開いてハッとした表情を見せてから、浮気相手役が消えた舞台の袖のほうを向いて見つめた。一瞬ののちに駆け出すが、袖の手前で急に立ち止まって観客席へ振り返り、やけくそのように叫んでから姿を消した。


「お客さまがたも十分にご注意ください!」


 おそらくアロイスから置き引き現場目撃の報告を受けて、劇場側でできる対策を講じた結果がこの寸劇なのだろう。レーナは笑って拍手を送りながら、この気の利いた演出に感心した。


 この日はボックス席に見覚えのある顔を見つけることも、置き引きらしき人影を見ることもなかった。

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金色に輝く帆の船で
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