オペレッタ鑑賞 (1)
翌日土曜日の午後、迎えに来たアロイスとともに再び観劇に向かった。
本日の行き先は王立歌劇場、通称オペラ座だ。
アロイスは馬車に乗る前にしげしげとレーナを眺めてから、服装を褒めた。
「今日はまた雰囲気が違うんだね。かわいいよ、よく似合ってる」
「ありがとうございます」
やはりアロイスに褒められると、とても照れくさい。
もし幼い頃にアロイスから今のように服装を褒められたとしたら、たぶん「ベルちゃまのほうがきれいよ」と返して苦笑いされていただろう。うっすらと、そんなことが実際にあったような記憶がないでもない。あのときは思ったとおりのことを正直に褒めたのにあまり喜ばれず、何だかしょんぼりと悲しい気持ちになっていたような気がする。
今日のアロイスはアロイスで、とても格好よかった。男性の正装は服の形がだいたい決まっているので、色や柄の組み合わせくらいでしか個性を出せないものだが、アロイスはその組み合わせがとても上品だ。青系の落ち着いた色柄なのに、不思議と適度に華やかさがある。
幼い頃の「ベルちゃま」がアロイスだったと知った今となっては、なぜ今まで気づかなかったのか自分でも首をかしげるほかないほど幼い頃と雰囲気が変わっていなかった。もちろん、見た目はずいぶん変わっている。身長は伸びたし、顔の輪郭もすっかり大人っぽくなった。今でもイザベルと似てはいるものの、もうそっくりというほどではない。けれども、レーナの大好きな落ち着いた静かな雰囲気はまったくと言ってよいほど変わっていないのだ。
馬車の中でそんなことを考えていたが、ふと母から招待状を渡されていたのを思い出した。レベッカ夫人からの書簡を受けてレンホフ家での夕食に招くことになった、その招待状だ。
レーナは母に託された招待状を、アロイスに差し出した。
「これを、ご両親にお渡し願えますか」
「これは?」
「我が家でのお食事のお誘いです」
「わかった、預かるよ。ありがとう」
アロイスは困ったように微笑みながら招待状を受け取り、ため息をついた。
「うちの両親が、ごめんね。ノリと勢いで図々しいお願いをしちゃって、本当に申し訳ない」
「いえ。ちょうどいい機会だって、両親が言ってました」
「そうなの?」
「はい。ずっとお茶会に招待していただくばかりだったからって」
「そう言っていただけると、いくらか気が楽になるよ」
この日も母に言われたとおり、アロイスを夕食に誘った。毎回誘ったら逆に迷惑じゃないかとも思ったのだが、アロイスはあっさりと応じた。いつでも誰にでも礼儀正しい彼のこと、「お招きありがとう」と笑顔で言われても、それが社交辞令なのかどうかがレーナにはちょっと判断がつかなかった。
でもとりあえず、まかないが御者に大変好評だった、と話してくれたのは完全なる社交辞令ではなさそうだ。それはそうだろう、とレーナは思う。何しろ「まかない」と言いつつ、主人に出したのとほぼ同じものを出したはずだから。しかも使用人用の食堂は厨房のすぐ隣だから、作りたてで供されたに違いない。そこまで含めて考えると、たぶん主人よりおいしいものを食べている。
オペラ座に到着すると、アロイスはレンホフ家からの招待状を御者に託して、馬車をジーメンス邸に帰らせた。終わった頃にまた迎えに来ることになっている。オペラ座は市民劇場から通りを一本はさんだだけの場所にあるので、市民劇場と同様にジーメンス邸との間を往復する時間は十分にあるのだ。
オペラ座はさすが国内最大の劇場と言われるだけあって、先日行った市民劇場と比べて正面から見た構えも、入り口のホールもぐっと規模が大きかった。内装も王宮と比べて遜色ないほどきらびやかだ。
アロイスに案内されてたどり着いた先は、やはりボックス席だった。
「ここも年間契約なんですか?」
「うん」
市民劇場のみならず、オペラ座もとは。いったい、いくつの劇場と年間契約しているのだろう。目を丸くするレーナの考えを読んだかのように、アロイスは微笑した。
「年間契約しているのは、ここと市民劇場だけだよ」
「でもすごい」
オペラ座は王立の施設なので、王家との付き合いの意味もあって契約しているのだそうだ。劇場の所有者である王家には当然、契約するまでもなくボックス席が用意されている。
前回と同じように、レーナは手すりから身を乗り出して観客席を見回した。劇場ホール自体も、市民劇場より数段大きい。市民劇場のボックス席は二階までだったが、オペラ座のボックス席はなんと四階まであった。最上階の席からだと、ずいぶん見下ろす形になりそうだ。
今回はレーナもオペラグラスを持参していた。母から借りたものだ。
まだ開幕まで少し時間があるが、何とはなしにオペラグラス越しに観客席を見回してみた。母に注意されたような犯罪が本当にこんな場所で起こりうるのか、興味津々だったのだ。
母からは今回も口をすっぱくしていろいろ注意されたが、そのひとつが「置き引きやスリの被害に遭わぬよう、手荷物から決して手を離さないこと」だった。しかし、観客席へはチケットがないと入ることができない。仮にわざわざチケットを購入して入り込んだとして、そう簡単に置き引きやスリを働けるものだろうか。
そんなことを思いながら、眼下のバルコニー席や両脇のボックス席を眺めているうち、気になるものを見つけてしまった。先日の観劇のときに美術教師のいたボックス席に入れ替わりで座っていた男女の姿が、ここのボックス席にもあったのだ。あのときと同じく、舞台寄りの上のほうの席だった。
確認するようにレーナがまじまじと眺めていると、アロイスが声をかけた。
「何かあった?」
「あ、いえ。何でもありません。広いなあ、と思って眺めてました」
「うん。前回のホールと比べると、収容人数がたぶん倍近いと思うよ」
「やっぱり」
観客席数も多いが、舞台の下にフルオーケストラが控えているのも規模の違いを感じさせる。先日の演劇でも音楽はついていたが、オーケストラではなかった。史劇の楽団はリコーダー、リュート、ヴィオラ・ダ・ガンバ、チェンバロという四名の奏者から成る、とても小ぢんまりとした編成だった。あれはあれでどこか哀愁漂う、風情のある音楽だったけれども、今回は打って変わって迫力がありそうだ。
やがてオーケストラが音合わせを始め、それが終わると開演ベルが響き渡った。




