観劇 (1)
アロイスに誘われた観劇は、水曜日と土曜日の午後だった。
水曜日は史劇「ハインリヒ四世」、土曜日はオペレッタ「アンジェリカ」の予定だ。
せっかくの秋休みだというのに、レーナはアロイスに渡された歴史書で観劇の予習に余念がない。
ハインリヒ四世は四百年ほど前に実在した人物で、ハインツの祖先にあたる。戦いにより王位を得た最後の王で、乱世を終わらせた人物として歴史に名を残している。
歴史の教科書を勉強のために読むときには、年表なんてただの文字列にすぎず、意味のない記号のように思えてさっぱり頭に入ってこないのに、物語を読むための事前情報と思えばちゃんと意味ある情報として頭に入ってくるから不思議で、面白い。記憶に残るかどうかは、別として。
読みながらその時代の人々のことを想像しているうちに、ふとレーナは彼らがどんな家に住み、どんな服を着て、どんな音楽を聴いていたのか、知りたくなった。それを知るには、歴史書だけでは情報が足りない。
情報を求めて自分の家の図書室に向かう。しかし悲しいかな、しょせんは成り上がり貴族の家の図書室である。たいした蔵書はない。少しでも役に立ちそうなのは、だいぶ前に父にねだって買ってもらった美術図版集くらいなものだろうか。
図版集を引っ張り出してパラパラとページをめくりながら流し読みして、ハインリヒ四世の時代の美術は復古主義と呼ばれていることを知った。そう言われてみれば、美術の教科書でそんな記述を読んだような気もする。音楽の教科書にも載っていたかもしれない。
歴史と音楽と美術という、別々の教科の知識が、ハインリヒ四世という人物を軸にしてまとまった知識になるのが面白かった。
面白かったけれども、これ以上詳しく調べるなら、もっと資料の充実した大きな図書館に行く必要があるだろう。学院にいれば、手近な図書室で調べられるのに。
とりあえずは、これくらいで満足することにした。アロイスに出された宿題もあるし、あまり調べ物にばかり時間を割いてはいられない。
観劇のための予習もさることながら、当日の身なりをしかるべく整えることも非常に重要だ。
上級貴族であれば侍女が世話を焼く部分であろうが、新興の木っ端貴族の家にはそんな上級使用人なぞ存在しない。いるのは普通のメイドばかりである。使用人の中でも執事長のマルセルなら知識がありそうだが、知識が十分だろうと男性に相談したい内容ではなかった。
特にマルセルは「シーニュのほうの出身」などと騙してくれた前科持ちだし、今ひとつ信用ならない。レーナはまだちょっぴり根に持っていた。
そんなわけでレーナが助言を求めた先は、母だった。
「お母さま、教えてください」
「なあに、レーナ」
「観劇のときに着て行くお洋服とか、いろいろわからないことばかりで」
「ああ、そうだったわね。もう選んでおきましょうか」
「はい」
マグダレーナはレーナの部屋の衣装部屋へ行き、迷いのない手つきで四枚のドレスを選んでソファーの上に広げた。
「昼間のお出かけなら、このあたりかしらね。この中からなら、どれを選んでも大丈夫よ」
「じゃあ……。これと、これにします」
「そう。どちらもすてきよ」
レーナは一番落ち着いた大人っぽいデザインのものを一枚と、もう一枚は一番明るく華やいだ印象のものを選んだ。何となく、史劇の観劇には落ち着いたものを、喜劇オペレッタの観劇には明るい色のものを着て行くのがふさわしいような気がしたのだ。別に、出し物の雰囲気に服装を合わせる必要はないのだが、そこはレーナの気分の問題だ。
「この季節は、昼間のお出かけならまだコートは要らないわね。ストールで十分だと思うわ」
マグダレーナは何枚かストールを出して、レーナの選んだドレスに当ててみせる。
ドレスと同じように、母が選んだものの中からレーナの好みでふたつ選んだ。
「着るものが決まったら、バッグや装飾品もそれに合わせましょう」
「はい」
返事はしたものの、正直レーナは次第に飽きてきていた。もう何でもいいから、適当なものを母が全部見繕ってくれないだろうか。今まではいつだって、出かけるたびに母に指示されたものを着ていたのに。
そんな彼女の心の声が聞こえたかのように、母は振り返って片眉を上げた。
「レーナ」
「はい」
呆れたような、少しとがめるような母の声の調子に、レーナは思わず少し背筋を伸ばした。
「これからあなたは、時と場合に応じた服装や小物を自分で選べるようにならなくてはいけないんですよ。最初はもちろん手伝ってあげるけど、ちゃんと自分でできるようにおなりなさい。いいこと?」
「はい」
叱られてしゅんとしてしまった娘を見て、マグダレーナは小さくため息をついた。この母は、どうにも娘に甘い。彼女は困ったように笑みを浮かべ、娘の腕を優しく叩いた。
「楽しみにしているお出かけなのでしょう? お勉強しながら、さっさと選んでしまいましょう」
「お勉強……」
なぜかさらにうなだれる娘に、マグダレーナは吹き出してしまった。
「ほらほら、そんな顔しないの。覚えてしまえば簡単なことよ。覚えるまではちゃんと手伝ってあげますから、安心なさいな」
どこまでもこの母は、娘に甘かった。
「では、次はバッグね」
バッグなんて選ぶほど種類があっただろうかとレーナは首をかしげたが、思えば誕生日などの折りにつけ、母から贈られていた。
その都度それはどういうときに使うものなのか説明されていたが、要するに普段使いするものじゃない、という部分だけ理解して残りは聞き流していたような気がする。そしてそっと衣装部屋の奥に仕舞い込み、存在を忘れ去っていたのだった。
贈った当人であるマグダレーナにはどの品も逐一記憶にあるようで、ときおり呆れた顔を見せつつも、どの装いにどのバッグを合わせたらよいのか、ひと通り説明する。
一度叱られて反省したレーナは、さすがに今日という今日こそは神妙に母の助言に耳を傾けたのだった。




