逢瀬とは名ばかりの勉強会 (2)
この日もレーナは夕食後に談話室で、アロイスから勉強を教わっていた。
アロイスに教わりながらだと、勉強が楽しい。
ただし楽しくはあっても、不安は消えない。学力が上がっている実感はあるし、自分でもこれ以上ないほど頑張っているつもりではあるけれども、アビゲイルの言う「先頭を独走」の状態まで持って行けるかについては、さっぱり自信が持てなかった。思わず小さくため息をつくと、アロイスが片眉を上げた。
「どうしたの?」
「ごめんなさい、何でもありません」
「疲れちゃったかな。ひと休みしようか」
アロイスが筆記具を置いたので、レーナはあわててかぶりを振った。
「大丈夫です」
「そう? 疲れたら言ってね」
「はい。でも、もっと頑張らないと」
レーナのその言葉を聞いて、アロイスは「うーん」と小さくうなった。
「頑張ることは大事だけど、頑張りすぎるのはいいことじゃないよ。もしかしたら自信がなくて試験が心配なのかもしれないけど、大丈夫だから」
「そうだといいんですけど」
不安を言い当てられたことに少しびっくりして、レーナは目を瞬いた。
「本当に、絶対に大丈夫だよ。奥の手も準備してあるしね」
「奥の手?」
勉強の「奥の手」って何だろうか、と首をかしげるレーナに、アロイスは安心させるように微笑みかけた。
「過去二年分の試験問題を集めて、その傾向から出題を予想した問題集を作ってあるんだ。まあまあの精度で出来たと思う」
「すごい」
レーナは素直に感嘆するとともに、自分のためにそこまでしたのかと思うと恐縮した。まさに至れり尽くせりである。
「だからね、正攻法で勉強した上で問題集を解いておけば、間違いない。大丈夫」
「はい」
うなずきながらようやくレーナの顔に安堵の笑みが浮かぶと、アロイスは笑みを深くして唇の前に人差し指を立ててみせた。
「ただし、問題集のことはヴァルやハインツには内緒ね」
「はい。でも、どうしてですか?」
「そんなものが作れるとわかったら、きっと自分たち用にも欲しがるもの」
アロイスは困ったような顔で「そこまでは面倒見きれないし、見るべきでもないからね」と付け加えた。確かにあのふたりなら、知ったが最後、図々しくねだりそうではある。特にハインツ。
何とはなしに深く共感し、レーナは「絶対に言いません」と固く約束した。
アロイスに勉強を教わるようになってから、レーナにはひとつ気がついたことがある。アロイスは小さい頃と比べてずいぶん変わった。小さい頃はこんなに落ち着いてなくて、もっと闊達な少年だったように思う。これが大人になるということなのだろうか。
その落ち着いた雰囲気はイザベルとよく似ていて、レーナには心地よかった。
勉強会を終えて部屋に戻ったレーナがそんな話をアビゲイルにすると、彼女は「うーん」と曖昧に返事をして、何か考え込むような顔をした。
「アロイスさまとイザベルさまって、そんなに似てる?」
「似てるでしょ? お顔じゃなくて、雰囲気ね。お顔は小さい頃のほうがずっと似てらしたけど」
「うーん」
同意が得られると思っていたレーナは、アビゲイルの反応に肩すかしをくった気分になった。
「小さい頃は、お顔もよく似てらしたの?」
「うん、双子みたいにそっくりだったの。お母さまでも間違うことがあったくらいなんですって。私は一度も間違えたことないけど」
「へえ」
アビゲイルの質問にレーナが得意げに答えると、彼女は感心したように相づちを打った。
子どもの頃のイザベルとアロイスは、本当によく似ていた。身長もほぼ同じだった。
レーナがイザベルと学年が一緒ながら誕生日が一年近く離れているのとは対照的に、イザベルとアロイスは学年は二年違うものの誕生日は一年と少ししか違わない。今でこそアロイスは標準よりも背が高いが、幼い頃は小柄な少年だった。一方イザベルは幼少時から背が高かったので、ふたりが並ぶとほとんど背丈が変わらなかったのだ。
「どうしてレーナは間違わなかったの?」
「お顔がそっくりでも、雰囲気が全然違ったもの」
「どんな風に?」
「アロイスさまはやんちゃで利かん気な感じで、イザベルさまはやっぱり女の子だから、アロイスさまと違っておとなしくて穏やかだったの」
「なるほど」
話を聞いて、アビゲイルは思案げな顔をした。今の話に何か考え込むような要素があっただろうかとレーナは不思議に思い、首をかしげる。
「あのね、レーナ。たぶんレーナは、一度だけ間違ったことがあると思うわ」
「え? 何を?」
「イザベルさまとアロイスさまのことよ」
「ないはずだけどな」
「いや、きっとある。私の推測が間違ってなければ、だけどね」
アビゲイルがあまりにも自信たっぷりなので、逆にレーナは次第に自信が揺らいできた。アビゲイルはからかうような笑みを浮かべて、レーナの鼻先に人差し指を突きつける。
「考えてごらんなさいよ。おとなしくて穏やかなのは、イザベルさまとアロイスさまならどっち? 子どもの頃じゃなくて、今の話で考えてね?」
「どっちって言われても、ふたりとも、かな」
「本当に? 本当にそう思うの?」
「うん」
「ふうん」
アビゲイルは「面白いことを聞いた」と言わんばかりに、楽しそうにレーナの顔を見ている。
「私にはそうは見えないわ。穏やかで落ち着いているのはアロイスさまで、イザベルさまは淑女らしく振る舞ってはいても、根がやんちゃそうに見える」
そう聞くと、急激にレーナの自信はしぼんだ。そう言われてみれば、確かにそんな気がしないでもない。しかし仮にそうだとしても、アビゲイルはいったい何が言いたいのだろう。
「そういう根っこの気質って、成長してもそう簡単に変わるものじゃないはずなのよ」
「そうかな」
「そうよ」
納得していないレーナの顔を見て、アビゲイルは笑った。
「だから、レーナは初対面のときに一度だけ間違ったんだと思う」
「え? どういうこと?」
「つまり騙されたってこと」
「えええ」
「そう考えれば、いろいろつじつまが合うんだもの」
いったい何のつじつまが合うと言うのか。レーナにはさっぱりわからない。だって、初対面でそんな嘘をつく理由がないではないか。
「学院で再会したとき、イザベルさまは『子どもの頃はわがままで振り回してごめんなさい』っておっしゃったんでしょう?」
「うん」
「イザベルさまのわがままに振り回されて、アロイスさまも嘘をつく羽目になったんじゃない?」
そう言われると、筋が通っているようではある。納得できるかと問われればできないものの、かといってうまい反論の言葉も浮かばず、レーナは黙ってしまった。




