表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/25

6.雀の嘘

 どちらかが何かを言ったわけでもない。でも俺達は、無言のまま近くの公園に向かって移動していた。

 金剛地は、道の真ん中で泣きじゃくるのが恥ずかしくなったのかもしれない。そして俺は、道行く人に『女の子を泣かせた男』として見られるのが、嫌だったのかもしれない。チュンも言葉を発することなく、ただ俺の後ろに着いてくるばかりだった。

 公園には、誰もいなかった。

 真夏の公園は太陽を遮る物がほとんどないためか、夏休みに入ってから、日中子供達の姿を見たことはない。

 何となく、滑り台に近付いてみる。俺も子供の頃は、この滑り台でよく遊んだものだ。二階建ての家のように大きく見えていた滑り台も、今は小さな鉄骨の塊にしか見えなかった。


「あつっ!?」


 台の鉄板に触れると、ホットプレートの鉄板かと思うほど熱かった。これじゃあ誰も遊ばないわな……。

 人がいない理由がわかったところで、再度園内を見渡す。金剛地はブランコに腰掛け、足を使ってゆらゆらと前後に揺らしていた。俺も何となく彼女の方に向かう。

 ブランコの鎖は先ほどの滑り台同様に熱かったが、触れないほどではない。座板の部分は木製だ。座ると尻がじんわりと熱くなったが、我慢できる熱さだ。


「うっ!?」


 それでもいきなり声を洩らしてしまったのは、チュンが俺の膝の上に座ってきたからだ。


「悠護。わし、何回かこれに乗ったことあるで。なかなか面白いんじゃ」


 チュンはそう言うと、俺の反応などお構いなしに足を使ってブランコを漕ぎ出した。金剛地が隣にいる以上、迂闊に喋ることができない。しばらくチュンの望みのまま、漕ぐことにしてみるか。

 徐々にスピードが乗ってきた。顔を撫でていく風が汗に触れ、ひと時の清涼感をもたらす。気持ち良い。


「なぁ、悠護」


 ブランコを漕ぎ続けながらチュンが語りかける。


「わしな、こうして悠護と遊ぶのが、夢じゃったんじゃ。ずっとずっと……夢じゃったんじゃ」


 チュンの表情は俺からは見えない。けどその声は、空に溶けていきそうなほどか細いものだった。何故か、俺の心臓が僅かに跳ねる。

 ブランコが一番高く上がったところで、俺は金剛地に聞こえないように、目の前のチュンの頭に向かって囁いた。


「そんなふうに思ってくれていたんだ」

「ああ。変かのう?」

「ううん。変じゃないよ。ありがとう」


 それは、色々な意味を込めたものだった。

 何度も、俺を助けてくれたこと。俺と遊びたいと思ってくれていたこと。そして何より、再び俺の前に現れてくれたこと――。

 俺の心は、果たしてチュンに通じたのだろうか。チュンはそれっきり黙ってしまい、ブランコを漕いでいた足も動かなくなってしまった。

 ブランコは緩やかに高さを落としていく。

 慣性に従い、ただじっとしていた俺達。この時間がもう少し続いてくれたらいいような――そんな名残惜しさを感じてしまう。

 ブランコが完全に停止したところで、チュンは俺の上から静かに下りる。そのタイミングを見計らったかのように、金剛地が話しかけてきた。


「波崎君。これの、ここを持って」


 爺さんが彼女に渡した、折り紙の舟。その帆の部分を指差し、少し悪戯っぽい笑みを浮かべながら彼女は言う。こんな顔もできるんだ、彼女。なぜか、胸の辺りがざわざわした。


「じゃあ目を瞑って」


 よくわからないままも、俺は言われた通り瞼を閉じる。人前で目を瞑るのって寝顔を晒してるようで、何だか少し恥ずかしい。


「いいよ。目を開けて」


 時間にして三秒も経っていない。彼女の意図がわからない。不審に思いながらも、俺はそっと目を開ける。

 舟の帆の部分を摘まんでいたはずの俺の指は、舟の船体部分を摘まんでいた。

 あぁ、なるほど。そういうことか。


「騙し舟」


 金剛地は舟の帆と船体の部分を交互に折り曲げて見せながら、小さく笑った。

 幼稚園くらいの時に見たことがある気がする。何だか懐かしいな。


「私が小さい頃、お婆ちゃんの家に行って、よく折り紙をやっていたの。でもお爺ちゃんはいつもいなかった。そんなある日ね、家にお爺ちゃんがいたの」


 奥さんの『引越し』の日のことか――。

 爺さんから聞いた話を思い出しながら、俺は金剛地の言葉に、引き続き耳を傾ける。


「何だか嬉しくなっちゃってね。お爺ちゃんに、折り紙を一緒にやろうよって、話しかけたんだ。お爺ちゃんはびっくりしたような顔をしていたけど、私の誘いにのってくれた。でもお爺ちゃん、不器用だったのか、なかなか上手に折れなくてね。だから私、次に行くまでに覚えておいてね、って騙し舟の折り方を教えてあげたんだ」


 ……それが、爺さんが言っていた『約束』のことだったのか。


「それから二度と、お爺ちゃんと会うことはなかった。お婆ちゃんやお母さんとは色々あったみたいだけど……。それでも私にとっては、良い印象しか残っていないから」


 爺さんに対する本当の想いを、今まで家族の誰にも言うことができなかったんだろう。金剛地の表情は、先ほどより少しだけ明るいものになっていた。


「波崎君、その、付き合ってくれてありがとう。二学期、また学校でね」


 金剛地は小さくはにかむと、手を振りながら公園を後にした。


 金剛地の姿が見えなくなったところで、俺はふと物思いに耽る。

 騙し舟か。自分が帆だと思っていた部分が船体の部分に瞬時に変わる――。

 なぜだろう。何だかさっきから、もやもやする。

 まるで自分の目に見えているものが、本当に真実を映しているのか? と、そう問われているような気がして。

 そこで俺の頭に『あること』が過ぎる。

 確認しようと振り返った俺は、思わず息を呑んだ。


「チュン……?」


 チュンの足元が、光っているのだ。

 そう、まるでさっき逝った、爺さんのように――。


「チュン。お前……」


 まさか。でも。いや――。

 俺の中に渦巻く感情も考えも、意味のある言葉になろうとしない。変な息が口から漏れてくるだけだ。

 全身が震える。

 チュンは俺を見て困ったように小さく笑うと、そこで突然、深く頭を下げた。


「悠護、すまん……。わし、今までおめぇに嘘ついとったんじゃ……」

「う、嘘?」


 何だよ、嘘って。それは、今この状況で、打ち明けないといけないことなのか。

 俺の動悸は激しくなるばかり。呼吸が上手くできなくなってきた。苦しい。 思わず心臓の上の服を鷲掴みにする。


「わしの魂は、おめぇに引き止められとったんじゃねぇ。本当は、わしがおめぇに対する未練を、断ち切れんかったんじゃ……」


 さらに心臓が跳ねる。胸の痛みが増していく。

 今まで出会った妖怪と幽霊が走馬灯のように頭をよぎる。彼らは、自らの想いでこの世界にいたモノばかりだった。

 でも、チュンは――。


「わし、悠護と一緒にいたかった。もっともっと、一緒の時間を過ごしたかったんじゃ。悠護に拾われてからわし、本当に幸せじゃったんじゃ。ごめんな悠護。嘘ついとって、ごめんな」


 チュンの漆黒の瞳から、透明な液体がポロポロと流れ出す。


 チュンが、トラや柴犬よりも人間の言葉が流暢(りゅうちょう)で、そして言葉が訛っていた理由――。

 それは、チュンの方がずっと早く妖怪として生まれていたから。

 十年近くも、あの爺さんと時間を共にしてきたからだということを、この時俺はようやく理解した。


「お前が妖怪になったのは、俺に踏み殺されて間もない頃だった、ということか?」

「そうじゃ」

「それなら、どうして? どうしてすぐに俺の前に現れなかったんだ?」

「悠護と、話がしたかったんじゃ」


 チュンは俯きながら続ける。彼女の声は、先ほどからずっと震えていた。


「だから人間の言葉を完全に喋れるようになるまで、我慢したんじゃ。それに……」

「それに?」

「怖かったんじゃ。悠護に嫌われるんじゃねぇかと思って」

「馬鹿。お前が俺を嫌いになることはあっても、その逆はないだろ。俺がお前を嫌うだなんて、絶対にそんなこと!」

「そうか……。その言葉を聞けただけで、もうわしは満足じゃ」


 チュンは静かに目を閉じる。目の端に残っていた涙が、またスルリと頬を伝った。


「悠護。人間ってええなぁ」


 泣きながら、でも微笑みながら、チュンは続ける。


「消えそうになっている異種族の命を、無条件で救おうと思える。その優しさが、その温かさが、わしは大好きじゃ。だからわし、おめぇに拾われてから、人間に――悠護の温かさに魅入られてしもうたんじゃ」


 チュンの身体が次第に透けていく。薄くなっていく。

 これから何が起ころうとしているのか、さすがに俺でもわかった。俺の目の前から、この世界からチュンが消えようとしている――。


「いきなり何だよそれ。お前、俺に取り憑いたんだろ!? 俺がお前のことを気にしなくなるまで、取り憑くんだろ!?」

「本当にごめんな。わし、悠護と一緒に過ごせて、もう心が満たされてしもうたけん。心が満たされたら、わしら妖怪は存在できんのんじゃ……」

「いや、だよ……。ずるいぞお前……。いきなり現れたと思ったら、いきなりいなくなるなんて。そんなの、ずるすぎるだろ……」

「悠護……」


 みっともないと自分でもわかっている。でも言わずにはいられなかった。縋らずにはいられなかった。

 妖怪には全然見えなくて。

 まるで、妹ができたみたいで。

 幽霊や妖怪が見えるようになったのは困ったけれど。それでも、共に過ごした時間はとても充実していて、楽しかった。


「行かないでくれ……」


 小さな子供みたいに駄々をこねる俺の頭を、チュンは小さな手でそっと撫でた。

 無言だからこそ、よくわかった。もう、別れは変えられないのだと。


「チュン、最後に、元の姿を見せてくれるか?」

「ああ」


 チュンは静かに頷く。眩い光が走った。現れたのは、初めて会った日以来見ていなかった、巨大な雀だった。


「もう俺、平気みたいだ。雀を見ても鳥肌は立たないし、胸が締めつけられるようなこともない。平気になった。だから――」


 尚も未練がましく言葉を紡ごうとする俺の肩に乗ったチュンは、羽で優しく頬に触れる。

 わかっている。何を言ってももう無駄なのだと、そんなことは俺にだってわかっている。

 それでも――。


「ありがとうな、悠護。ずっと、大好きじゃ」


 そうチュンが俺に告げた瞬間、光が、弾けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ