第95話 従叔母(1)
土曜日の深夜…
ローゼンクランツ新宅にほど近い十字路で、暗闇のなかから湧き出るように漆黒のドレスに身を包んだ貴婦人の姿が現れた。
彼女は、松明を持っており、真っ黒な色の双頭の大型犬を連れていた。ドーベルマンにも似たこの犬は、地獄の犬である。
貴婦人の正体は、冥界の女王へカティアであった。
彼女は、古代ルマリア時代には、十字路のへカティアと呼ばれていたとおり、夜の十字路に現れると考えられている。
十字路や三叉路のような交差点は、神々や精霊が訪れる特殊な場所であり、古代ルマリア時代には、ここで集会を開き神々を傍聴人とした。この伝統は失伝しているが、今でも交差点のそばに犯罪者や自殺者を埋葬する習慣が残っている。
彼女は、音もなくローゼンクランツ新宅向けて歩き出した。
このような深夜に人影はないかと思いきや、ボロボロの衣服をまとった男たちの影がポツポツと見える。
彼らは貧民の浮浪者であり、貴族街の残飯を漁りにきているのだ。
貴族たちは高級な料理などを平気で食べ残すため、残飯の量もかなりあり、貴族街は、浮浪者たちにとって、ご馳走が食べられる貴重なスポットとなっていた。
そんな浮浪者たちの一人がへカティアの姿に気付いた。
連れている番犬は闇に溶け込んでいて見えていない。
彼は、深夜の上級貴族街を一人で歩く貴婦人の姿を見て、不埒な欲望を抱いた。周りには浮浪者仲間がポツポツといるだけで、邪魔者になりそうな者はいない。
彼は貴婦人に近づくと話しかけた。
「おい。姉さんよう。こんな真夜中の一人歩きは危険だぜ。俺が家まで送ってやるよ」
だが、へカティアは浮浪者の意図などお見通しである。
「汚らわしい! この卑劣漢めが!」
そう浮浪者を罵倒したへカティアは、これを凝視する。
「ウッ…アガッ…ックゥ…」
浮浪者は突然苦しみだし、苦しさのあまり、全身を掻きむしると、みるみるうちに全身が血だらけとなっていく。
程なくして、男は絶命した。
へカティアは邪視を使って、浮浪者の心臓を止めたのだ。
彼女は、浮浪者が死にゆく様子を、眉毛ひとつ動かさずに見下していたが、これを見届けると、何ごともなかったかのように、再び歩き出した。
深夜まで相談をしていたルードヴィヒとルディが、そろそろ床に入ろうとしていたとき……
トン、トン
ローゼンクランツ新宅のドアノッカーが鳴らされた。
案内係のカミラも、まさに夜着に着替えようとしていたところだった。
(こんな時間に……いったい誰だろう……)
不審に思いながらも、カミラは応対に出た。
そして扉を開けると、艶麗かつ妖艶な貴婦人が威容堂々たる風情で立っていた。
貴婦人に魅了され、一瞬ポカンと見惚れていたカミラだったが、彼女に寄り添っている凶暴そうな双頭の黒い大型犬に気付き、驚きのあまり腰が抜けそうになり、悲鳴を上げた。
「Σ(゜∀゜ノ)ノキャーッ!」
「ああ。これは済まないことをしました。この子は危害を加えたりしないから安心してください」と貴婦人は陳弁した。
その落ち着いた態度のおかげで、カミラは少し冷静になった。
「わ、わかりました……ところで、ご婦人はどなた様でしょうか」
「私は、ルードヴィヒの従叔母のへカティア・フォン・アーメントです。ルードは、在宅しているかしら?」
「ええっ! 旦那様のご親族の方でしたか。これは、大変失礼いたしました。では、旦那様のところへ……」
そこに、ルードヴィヒがカミラの悲鳴を聞きつけて部屋からやってきた。
「おらっ! ヘカティア様でねぇけぇ」
「ああ……ルード……久しぶりねえ」
へカティアは、エンプーサとモルモンという先遣隊が受け入れられたと見ると、はやる気持ちを抑えられなくなって来てしまったのだ。
彼女は、満を持して、手を差し出す。
すると、ルードヴィヒは、素直にHandkussをしてくれた。
へカティアは、軽く手にキスをされただけなのに、抑えがたい春情を覚えた。
まるで思春期の少女のように、胸がときめいてしまい、顔が熱くなるのを抑えられない。
が、悟られないように、平静を装った。
「私も夫が亡くなってしまって、女一人で心細い思いをしているのよ。若いあなたには重荷かもしれないけれど、私の庇護者になってもらえないかしら?」
「はあっ? ヘカティア様。何を言って……」
「いやねえ。私はルードの従叔母なんだからそんな呼び方はしないでちょうだい」
「はあ……そんだば、へカティアおば……」
が、そこまで言いかけたとき、ルードヴィヒは、鋭い殺気のようなものを感じた。
(こらぁ、いかん……)
「でなくて……ティア姉さ。姉さは、おらの庇護なんかなくても……」
「いやねえ。忘れちゃったの。私は、へカティア・フォン・アーメント。ルードのお婆さんのマリアの弟の娘よ。つい先日、夫のアーメント男爵に先立たれたけれど、子供もいないし、他に身寄りもなくて心細い思いをしていたのよ。だから、お願いよ」
(はあ~。そこまでお膳立てしてから来たっちぅことけぇ。おそらく親族の記憶も改竄されとるがぁろぅのぅ……こらぁ、しゃあねぇのぅ……)
「わかったっちゃ。頼りねぇと思うども、おらが庇護者になってやらぁ」
「ああ……ありがとう。ルード!」
へカティアは、優雅な微笑みを浮かべると、ルードヴィヒを抱きしめた。
しかたなく、調子を合わせて、ルードヴィヒも抱き返す。
根が素直なカミラは、これを感動的な場面と感じ、同情のあまり涙ぐんでいる。対照的に、ルディは、いつもどおりすまし顔だ。
一息ついて、ルードヴィヒは言った。
「そんだば、カミラさん。ティア姉さに良さそうな部屋へ案内してくれねぇかのぅ」
「わかりました。では、ご案内いたします」
カミラに先導され、へカティアが部屋に向かうと、双頭の地獄の犬も付いて来る。
ルードヴィヒは、待ったをかけた。
「ちっと待ってくれや。ティア姉さ。現実世界の犬の頭は一つと相場は決まっとるすけ」
「あら。そうなのね」と言うへカティアは、あっけらかんとしている。
「バルドゥール」
へカティアが、双頭の犬に、そう呼びかけると犬の頭はみるみるうちに一つとなった。
それを見ていたカミラは、驚いて目をぱちくりさせている。
(いや。この屋敷にいる限り、この程度で驚いていてはダメだ……)
……と思い直し、カミラは、覚悟を新たにした。
すると、へカティアは、想い出したように言った。
「そうそう。明日は従妹のところへ挨拶に行ってくるわ」
「従妹?」
「いやねえ。ルードのお母さまのマリア・クリスティーナのところよ」
「ええっ! おっ母んとこへけぇ!」
(まいったのぅ。本来なら付いていきてぇとこだが、明日は忙しいすけのぅ……)
「従妹に会いに行くのに、なんでそんなに驚いているのよ」
「いやぁ……おらは、明日は忙しいすけ、付いていけねえども、ティア姉さ一人で大丈夫けぇ?」
「心配は無用よ。子供扱いしないでちょうだい」
「わかったっちゃ。そんだば、仮の侍女としてファケルを付けるすけ」
(本当に大丈夫かぃのぅ……)
だが……
「まあ……Es kommt wie Es kommt……」(なるようになるさ……)
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