第84話 裸体画というもの(1)
古代ルマリア神話に”ニンフォレプシー”という現象があるという伝承がある。
”ニンフォレプシー”とは、”ニュンペー(ニンフ)を凝視することで男性が捕らえられる熱狂または恍惚”であり、自分自身がニンフォレプシーであると自覚した人は、ニュンペー(ニンフ)に対し大きな献身を示し、ときにそれは宗教的とすらなるといわれている。
とはいうものの、ニュンペーは、エーテルを核とした体で構成された身体を有する人的な自然霊で、霊的波動も霊や妖精よりも一段階高いため、並みの霊力よりも上の精霊視の能力を持っている者でしか見ることができない。
このため、実際のところ、リアルの人間でニンフォレプシーを体験したという話は聞いたことがない。
ということで、これは神話上の創作話ではないかというのが一般的な解釈となっていた。
この世界には、エロ本というものがない。
これは写真の技術がまだないから、当然のことではある。
だが、女性の裸体を描いた絵画がその代わりの役割を果たしていた。しかし、これにはまやかしがあった。
キリシタ教では、子づくりを目的としない性行為は、姦淫として禁じており、これには相手を見つめることで、相手を辱めて性的興奮を煽る視姦も含まれている。女性の裸体画を鑑賞する行為は、視姦行為として禁じていた。
そこで画家たちは、描かれている裸体は、人間ではなく、ニュンペーなどの神だと主張した。ニュンペーは、裸体又は薄絹一枚の半裸体とされているから、当然だというのである。
これは誰が聞いてもまやかしなのだが、教会は、この主張を受け入れた。
これは、娼館の存在が強姦や姦通行為を抑止するものとして黙認されていると同様に、裸体画も抑止効果があると考えた結果なのかもしれなかった。
こうして、神を描いたとされる裸体画やその複製画が堂々と市場に流通することとなっていた。
この世界の裸体画の流行は、現代の地球とは少しズレていて、良く言うとグラマーな、悪く言うとぽっちやりな肥満体が流行の最先端となっていた。
これは、神は豊穣のシンボルであるから、体つきが痩せっぽちでは雰囲気がでないということもあるが、絵画の主な買い手である貴族たちにとっては、肥満な体は豊かさのシンボルということもあった。
ありがちなことに、ルードヴィヒと付き合いのあるエッチな男子たちは。自分が入手した裸体画の模写などを密かに学校に持ち込み、皆でこっそり観賞したり、お互いに貸し合ったりしていた。
そして、今日の昼休みもまた、密かな鑑賞会が始まっていた。
ルードヴィヒは、そんな恥ずかしいものを集団で見るという感覚に共感ができず、これまでのらりくらりとかわしていたのだが、ついに声がかかってしまった。
「ローゼンクランツ卿は見ないのかよ。まさか、今更清純ぶるとかないよな」
「お、おぅ。でえ、おらも見してくれや」
友人の誘いを無碍に断れず、参加することにする。
が、女子たちの冷ややかな眼差しを痛いほど感じる。彼女らは、何を鑑賞しているか百も承知なのだ。
その中にリーゼロッテやコンスタンツェもいる。彼女たちからは、少しばかり気分を害している様子が見て取れた。
ルードヴィヒは、バツの悪い思いをしながらも、”毒を食らわば皿まで”と、裸体画に見入った。
「おらっ! こらぁドリュアスでねぇけぇ」
裸体画は、見てきたようにドリュアスのプランツェに似ていた。ただ、その体型は肥満体で、似ても似つかない。彼女は、もっと健康的な体型をしている。
(プロの画家の想像力っちぅのも、たいしたもんだのぅ……)
「おっ。ローゼンクランツ卿もやけに詳しいじゃないか。さては、かなりのコレクションを持ってるんじゃないか?」
「んにゃ。おらはこの手のもんは持っとらんすけ」
「またまたあ。本当は好きなくせに……でも、どうよ? この絵は。すげえ巨乳だろう」
「確かに胸はでっこいども、こらぁ太り過ぎでねぇけぇ」
「ええっ! 何言っているんだよ。この豊満さがいいんじゃないか。わかってないなあ」
「そうかぃのぅ……」
実は、ルードヴィヒは、健康的で標準的な体型が好みだった。あえてグラマーかスリムかという2択から選べといわれれば、スリムをとるだろう。
どうも、肥満体の体つきというのは、不健康さ、暴食、自堕落さなどを彷彿とさせられてしまう。
そういう意味ではアンチグラマーというべきか。
それに、あまり身長の低い女子も苦手だった。なんだか子供を冒涜するような気分になってしまうからだ。
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