第九十七話 いのりなさい
記憶の彼方。靄のような、こびりついた澱のような、はたまた、ざーっという、テレビの砂嵐の中の画面を見ているような感覚。
西方教会の神殿と思わしき建物の奥の、さらに奥にある黒曜石の輝きを放つ祭壇。
私は、何かに導かれるようにして、ここにやって来た。
人通りはまったくなく、誰も通りかからないだろうなと思える、小さく細い回廊から、さらに脇に入っていったところにある、誰も知らないような小さな祭壇だ。
そこに、薄紫色の髪の、小さな女の子が立っていた。
私と目が合う。
あ、この子、たまに町で見かける子だな、とふと思い出した。
「こんにちわ」
私はその少女に笑顔を向けた。
少女は、じっと私の方を見つめ続ける。
あれ、この子、遠い昔、どこかであったような……?
そんなデジャブを感じる。
あれ?
でも、いったい、いつだろう?
思い出そうすると、頭の中に靄がかかったようになり、思い出せない。
「……そなたの記憶は消させてもらっている。思い出すことは叶わぬだろう」
少女が、感情を読み取ることができない、抑揚がない言葉をかけてきた。
「え?」
「安心せよ。今、戻してやる」
そういって、感情がない目を少女はこちらに向けてきた。
「……!!」
私の中で、何か、激情ともいえる気持ちが膨れ上がる。
目の前の靄が晴れ、なにか、視界がクリアになっていく感覚。
何かが、私の。
……いや、俺の中で膨れ上がる。
こ、こいつは!
「どうやら、思い出したようだな。どうだった? ソニヤ姫として暮らした日々は。存外、うまくやっているじゃあないか」
その少女は、ニヤリと唇の端をねじ曲げ、ここで、始めて感情らしきものを見せる。
……!!
俺は思い出した。
そう。俺が『ソニヤ』として、この世界で目覚める前、このゲームの世界にやって来る前に、俺はこいつと出会っている!
「お、お前は……」
俺は恐怖を感じつつ、後ずさりをしながら、その少女に問いかけた。
「もう、わかっているだろう? 我のことを。……そう、この世界の連中は、我のことをこう言うな。『神』と」
……魔王様の次は神様か。
冗談がきついな、などと軽口を心の中で呟きつつ、俺は視線に力を込めて問いかける。
「い、いったい、お前。何が目的だ!……お、俺をこの世界に連れてきて!」
少女は、視線をこちらに向けてきた。意志が弱ければ、その場で跪きたくなる強い視線だ。
「そなたが、この世界にてなすべき、たった一つの目的。それは、『魔王』を殺すことだよ」
「な、何?」
俺の訝しげな視線に気づいたのか神と称する少女は、黒曜石の祭壇の周りを歩きだした。
こつこつ、という小さな足音が、祭壇周りの空間に響き渡る。
「我自身はこの世界に直接干渉できぬ。ゆえに、あれだけ強力な個体、世界のバランスを崩しかねないリスクを排除できなんだ」
そう言った後、少女が手を広げると、空に水晶球のようなものが浮かび上がり、その球の中に、なにやら様々な映像が浮かび上がる。
「……だが、我は様々な可能性、様々な異世界の状況を観察し、一つの可能性に突き当たった」
知らず知らず、俺は口の中にたまった唾を飲み込む。
「我は知った。ソニヤが、魔王を殺す可能性を」
そう言って、とあるゲームの一シーン。
魔王が血だまりの中で倒れ、その傍らに、金髪の美少女が裸のまま、視線を虚空に向け、手にねじくれたナイフを持つ画面が浮かび上がった。
「だが、ソニヤは、我の提案を拒否した。ゆえに、奴の魂を別に転生させ、外の世界からの者を、ソニヤの器に呼び出した。……それがそなただ」
「……じょ、冗談がきついぜ」
俺は頭をふる。
「……つ、つまり、俺がこの世界に無理やり連れてこられた理由は、その可能性とやら、魔王を俺が殺すためだった、ということか!」
「うむ。理解が早くて助かる」
少女は、その恐ろしいまでに可憐な顔を、笑顔の形に歪める。
それは、人間に擬態した、なにか、恐ろしい生き物のような代物が、笑みという形をとっただけのものだった。
「……ことわる」
「……よく、聞こえなかったが?」
「断るっていったんだよ! はっ! いやだね! なんで、俺が魔王を殺さないといけないんだ!」
本心から叫んだ。
なんで、あいつを俺が殺さないといけないんだ!
「……まぁ、手段は問わん。うまく、魔王を殺すことができれば、なんでも一つそなたの願いを叶えてやろう。……そう、元の世界、元の体にもちゃんと戻してやる。元々、そなたはこの世界ではイレギュラーな存在だ。うまくやって、うまく帰ることを考えたらどうだ?」
「……」
「その方がお互いのためだろう? そなたにとっては所詮、この世界は虚構のゲームの世界だ。元の世界にちゃんと戻れることを考えた方が懸命だぞ?」
「……」
俺はただただ、沈黙で答える。
「……まぁ、うまくやってくれ」
そういって、少女は、目の前から、霞のように消えさった。
俺は一人、その少女がいなくなった空間をずっと睨みつづけていた。
……
…………
「はぁ、はぁ、はぁ……」
酷い悪夢を見たようだ。
でも、内容は靄がかかったようにしか、朧気にしか覚えていない。
ただ、たった一つだけ思い出せるのは、心臓を鷲掴みにされるような嫌な気持ち。
心の奥底にこびりついた、澱のような気持ち。
『私』は、なぜか溢れてくる涙をぬぐうと、また、目を閉じ、ベッドに横になった。
というわけでさらっと更新です。
先週までにおこなっていた人気投票ですが、投票の結果は以下のとおりとなりました。
ソニヤ姫 15票
魔王様 3票
ゼクス 1票
多くの投票、まことにありがとうございます!
しかし、姫、強いですねー。。。
次回更新も、さらっとできるといいなあ、と。




