およそ神のなしえざるものなし
「ンッフッフ……」
蠱惑の光を灯した目玉。
右と左の耳から垂れているのは、赤と金のクリスマスツリーオーナメント。
右腕には真っ黒な包帯を巻き、左腕には真っ白な包帯を巻いている。
パープルシフォンの生地にゴールドスパンコールの刺繍が施されたハリージドレスを身に着けて、その裏に隠されている艶めかしい肢体を惜しげもなく晒した魔人は、血に塗れた女体のシルエットを揺らしながら微笑む。
「ンフッ」
長身。
二メートル半はあろうかという巨躯を折り曲げて、小さな陽の耳元に近づいたライゼリュートは微笑む。
「ンフッ、フッ、よ、陽ちゃぁん。ど、どうしましたぁ? フ、フフッ、な、なにかみえてますかぁ? ンフッ、フフンッ」
手足が。
急激に伸びたかと思えば、四つん這いになったライゼリュートは、四足の蜘蛛のように動き回って辺りを嗅ぎ散らかした。
「フ、フフッ、くちゃいくちゃい……に、においますねぇ……フ、ンフッ、な、なんかいるなぁ……ンフフフッ……ッ!!」
俺は視えていない。
にもかかわらず、正確に俺が居る位置を把握した魔人は、俺の鼻先で端正な笑顔を魅せながら鼻を蠢かした。
「コレが」
陽姫は、苦笑して魔人を掌で示した。
「陽が死ねない理由です」
「ライゼリュートを……胸の中で飼ってるのか……」
「魔神に植え付けられました。然るべき時が来るまで、わたくしが自害出来ぬような措置らしいです」
「ンフフッ、よ、陽ちゃぁん」
クリムトの接吻を思わせる首の折り曲げ方で、陽姫に顔を寄せたライゼリュートは妖艶な笑みのままで彼女に甘え始める。
「相変わらず、素は気色悪いヤツだな」
アルスハリヤは、肩を竦める。
俺は、ライゼリュートを観察し、未来の彼女にはあった『頭の傷』がないことを確かめる。
「ヤツが傷を負ってイカれるのはもう少し先の話だ」
俺の視線に気づいて、アルスハリヤはささやいてくる。
「コレで、まだイカれてないのかよ……」
「このクズにしては、楽しくおしゃべり出来るだけ上出来だ」
「……ライゼリュート、普通に話してください」
陽が呆れたように息を吐くと、急激な勢いで、背丈が160cm程に縮んだライゼリュートは微笑を浮かべる。
「ンフッ、あによ、陽ちゃん。ノリ悪くないですぅ?」
「かつて、貴女が言った通りに」
陽は、俺を見つめる。
「払暁叙事を通して亡霊が視える」
「……三条燈色」
ぞくりと。
背中が粟立つ。
俺の名前を呼んだライゼリュートは、なにも捉えていない両眼で俺を透かし、なにかを捉えようとしていた。
「はい? なんと?」
「陽ちゃん、ンフフッ、大切なことだからきちんと答えてくださいねぇ? 貴女の眼に、彼はどのように視えちゃってるぅ?」
「ぼんやりと人の影が……人間だということはわかりますが、男か女かも判別がつきませぬ……声音も岩板を石で掻いたような音で……ただ、なにを申したいのかはわかりまするが……」
「フフッ……ンフッ……ンフフフフフフフッ……!!」
白と黒。
包帯を巻いた両手を打ち鳴らし、曇天を仰いだライゼリュートは、身を震わせながら恍惚とした笑みを浮かべる。
「よんやぁく、繋がった……ッ!! 何度、平行移動しても上手くいかなかったにもかかわらず……ッ!! ここで、よんやぁく、うちの努力が実った……ッ!! どこかの世界のうちが、成功させたァ……ッ!! ンフフフフフフフッ……!!」
偶然か、必然か。
ライゼリュートの眼と。
アルスハリヤの眼とが。
かち合う。
「やれやれ、歓喜に浸るのはまだ早いだろ」
ニヒルな笑みを浮かべて、アルスハリヤは紫煙を吐いた。
「まだ、賽子は坂を転がってるぞ」
「おいコラ」
その格好つけてる横顔を、俺は容赦なく張り飛ばす。
「意味がわからんわ。ちったあ説明しろや。ブチのめすぞ」
「授業は聞いていたか?」
「……あ?」
「合宿中に授業があっただろ。あの殺人鬼みたいな教師の授業、きちんと聞いてたのか?」
言葉を契機に、記憶が巡る。
――導体は内部に独自の情報を持っているわ
次々と。
――つまり、導体とは優れたひとつの情報体
矢継ぎ早に。
――導体に書き込まれる情報は、その時代に生み出されたモノに則っている
怖気が奔る全身を携えながら。
――誰かが人間の歴史を監視して、その時代に合った導体を生み出してるってことですか……?
破滅への道を巡る。
――この世界に、神を騙る者はいた
ぽつんと、脳の中心へと、ひとつの設定が落ちてくる。
――魔眼は、目玉自体が魔導触媒器であり導体でもある
全身が。
異常なくらいに震えて、女の子が眼に入る。
無垢で小さな女の子は、じっと、俺を見つめて――その眼に俺を入れる。
――陽は、魔神から産み落とされました
思わず。
俺は、笑いながら、自分の顔面を鷲掴みにする。
「おいおい、ふざけんなよ……そんな設定、なかった筈だろ……なにがどうなってやがる……もし、払暁叙事を通して、この子に未来が視えるとしたら……そして、あの時、俺に過去が視えていたとするならば……その前提が満たせていたから……三条家の庭園で逢ったあの時……俺たちは……言葉を交わすことが出来た……」
雨が。
降り始める。
真っ暗で渦巻く雷雲から鳴り響いた蒼雷、一瞬の光の中に取り残された俺は、純黒の雨の只中でつぶやいた。
「……アルスハリヤ」
「あぁ、そうだ」
魔人は、微笑む。
「払暁叙事には、保有者全員の過去、現在、未来のすべてが記録されている」
――魔眼は、血統による相伝が最も開眼確率が高い
「そして、君の推察通り、払暁叙事を含めた導体を創り上げたのは魔神だ。
つまり、それが出来るということは――」
魔人の代わりに、人間である俺は言った。
「魔神には、この世界の過去、現在、未来のすべてが視えている」
――エスティルパメントほどの実力者でも、封印という手段にこだわるのには相応の理由がある
鳳皇羣苑の言葉が蘇る。
――無理よ、神は殺せない
「…………お前」
俺は、天へと手を差し伸ばし――つぶやく。
「誰だよ」




