居眠り姫と法規の司・13
仕事を今日の分はここまで!と決めて、とにかく没頭してなんとか夕方までに終え、当然のように戻ってこないヴィンツェンツを怒鳴りつけに家に帰ろうとユリアンが支度を始めたとき、とってもにこにこしたヨーゼフが尚書秘書室に来た。
「いっしょに帰ろう」
なんですかそれ下校する初等学校生ですか、とユリアンは心でつっこみを入れた。
そしてものすごく嫌な予感がしたので思わず「トビアス、今日は君も家にこないか」と言ってしまった。
ごめん、トビアス。
善良な君を最大限に利用させてもらう。
「えええ、そんな、悪いよ、突然」
「なにが悪いものか、仕事中に本人に断りなくお宅訪問してくつろいでいるヴィンツェンツを見たまえ」
「ヴィンと比較してもなぁ…」
たしかに。
先ほど家からもう一度報せが来て、ヴィンツェンツとエルヴィン医師が意気投合したので夕餐に残る、とのことだった。
どういうこと?ヴィンと意気投合ってどちらの世界の方?
「どのみち奥様は今日も泊りだと思っているのではないか?」
「身も蓋もないこと言わないでよ…むなしくなるじゃん…」
「たまにはいいだろう、ヴィンに家族を紹介して、君にしないなんてあり得ない」
本音を言うと、トビアスがてれっとした。
「いやぁ、そう言ってくれるのは嬉しいなぁ。
じゃあ、家に断り入れて、お邪魔しようかな」
なぜかヨーゼフがにこにこしている。
「うん、沢山人がいた方がいいな」
なにこれものすごく不安、やめて。
トビアスが家に使いを送って、その足で三人はシャファト家の迎えの馬車に乗り込んだ。
現役時代のヨーゼフの話を人づてに聞いていたトビアスは、「ずっとお話ししてみたかった」と、ここぞとばかりに前のめりで質問を繰り出し、ユリアンは同僚の意外な一面を見た気がした。
今はただの孫馬鹿じいさんのヨーゼフだが、引退前はかなりの期間宮廷会議議長を務めていた。
厳正中立を求められる立場のため、とこの派閥にも属さず、また清廉であることが条件であり、後任の発掘と育成に時間がかかってしまった。
ユリアンに爵位を譲渡した時点で引退したかったようだが、結局ヨーゼフが開放されたのは10年程前のことだ。
以来、領地に引っ込み気ままな隠居生活をしている。
「なんだか、面映ゆいね、今さら『議長』と呼ばれるのは」
苦笑まじりにそう言い、ヨーゼフはトビアスに「今はただの男爵だよ」と告げた。
「いえ、わたしにとって『議長』と言えばシャファト議長なのです」
暑苦しい同僚の反応にユリアンはいろいろ言いたくなる。
この人家では物ぐさおっさんだよ?勘定できるのは宮廷会議の中だけで家ではどんぶりだよ?自室では一日中下着でうろうろしてるよ?使った物元の場所に戻さないよ?人に言われないと寝ぐせ直さないよ?その上いびきと歯ぎしりひどいよ?夢見過ぎじゃない?
そうこうしている内に家に着いたのだが、ヨーゼフの機嫌はトビアスによりさらに高められ、その笑顔は発光せんばかりだった。
しかしいつものルドヴィカの「お帰りなさいませ!」がなかった。
「寝ているのかな?ウチの娘ちゃんは」
「いえ、皆さまと客間にいらっしゃいます」
「ストップ!あがりですわー!!」
「だめだねー!お嬢様さっきのターンでチェックしなかった!」
「し、しましたわっ」
「しーてーなーい!」
「してないよ、ルドヴィカ嬢。
さっきしたのはエルヴィンだ」
「ううう、きびしいですわ…」
「勝負の世界なんてそんなもんさー」
めっちゃ打ち解けてた。
「うんじゃ俺の番ねー」
「いやいや、わたしたちのこと流さないで。
帰ってきたの、ただいま」
「あ、おかえりなさいー」
「おかえりなさいませ!もう少しで勝負がつきますの、お待ちください!」
そして再びゲームに戻った。
「…ははは。
なんだか嬉しいよ」
ぎゃーぎゃーと姦しく輪になっているてんでんばらばらの立場の4人の人間を見、トビアスは呟いた。
「ヴィンが、普通にしてる」
ぽつり、とこぼされた言葉は、ユリアンの言葉でもあった。
しかし何も言わずにユリアンはただその情景を眺め、そっと口の端に笑みを浮かべた。




