居眠り姫と王子様・8
今回はちょっと早かったよね、更新……!
「おーい、ルイーゼー」
ノックとともに兄の呼びかけがあり、ルドヴィカはメリッサから顔を上げた。
「いれてー、軽食持ってきた。
いっしょにごはんたべよー」
大方、父や祖父から様子を伺う斥候として送り込まれたのだろう。
そう安々と攻略されるつもりはない、とルドヴィカはもう一度メリッサに埋まった。
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「……これはおあいこということにはならないか、ルイーゼ?」
苦し気な兄の言葉に、ルドヴィカは笑顔で応じた。
「だめですわ! 頑張ってくださいまし、お兄様!」
以前父の上司が突然訪問してきた折に、みんなとしたゲームが楽しかったらしい。
イェルクが在宅のときには、ルドヴィカにねだられて共にカードに興じることが何度かあった。
めきめきと腕を上げていくルドヴィカは、もしかしたら賭けの才能でもあるのかもしれない。
小さな決め事をして臨むと、なぜか必ずイェルクの負けがこんだ。
「待っていますわね、たのしみですわ!」
夜半に部屋を出る際笑顔で言われたので、まあ、機嫌を直したし、いいか、とイェルクも笑った。
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「……で、なんで俺までつきあわされてるん?」
ザシャが無表情につぶやいた。
「……僕ひとりで来るとかありえないし」
イェルクも無表情で返した。
翌日、公休日のイェルクは可愛い妹との約束を果たしにある特殊な商店街を訪れた。
目的は若い女性に人気で有名な菓子店である。
通り一帯が女性向け商品を取り扱う店舗ばかりのこの一帯は、やはり道行く人々も女性ばかりで、そこを歩く長身の男性ふたりはとてもとても目立っていて、好奇の視線に晒された。
目的は老舗菓子店のチョコレート菓子で、考案した料理人の名前をとって『ザッハーのケーキ』と呼ばれている。
レシピはシャファト家も利用している王室御用達菓子店にも引き継がれているのでわざわざここまで買いに来る必要はないし、なんならその引き継ぎの際にレシピは一般に流出したので、もちろんシャファト家の厨房でも作ることができる。
が、ルドヴィカはどうしても元祖の味が食べたい、ということなのだ。
そのゆえに、まさに製菓調理師ザッハーが百年程前にレシピを考案したその場所である、今や若い女性たちの憩いの場として賑わっている『カフェ・ザッハー』第一号店へとイェルクは向かわされた。
問題点は、その第一号店の特色が、商品の持ち帰りができるのは店内飲食者に限る、ということだ。
店内は木造外壁と同じセピア色で統一された瀟洒な内装で、意を決してイェルクとザシャが入店すると、一斉に人々の目が二人へと向いた。
男性客はいない、ひとりもいない。
「……」「……」
入り口で固まってしまった二人に、女性店員がにこやかに近づいてきた。
「いらっしゃいませ、お待ち合わせですか?」
「……いえ、その、二人で来ました」
しどろもどろでイェルクが答えると、一瞬目を丸くした店員はすぐに接客笑顔に戻る。
「承知しました、一階席と二階のテラス席、どちらがよろしいですか?」
「あー……どっちでも……」
「ではテラスでご用意いたしますね、ご案内致します、どうぞこちらへ」
メニュー帳を小脇に抱えて店員は階段を上り先導した。
ついて行く際も注目を集めており、イェルクとザシャは猫背気味に体を小さくする。
「当店は初めてでしょうか?」
衆目を集めつつ見渡しの良い右端の席に案内され、二人は店員の問いかけに素直に頷いた。
メニュー帳を開いて提示する店員はにこやかにオススメ品や本日限定スイーツの紹介をしてくれ、なんだかんだと二人はガッツリ食事とデザートのセットランチを頼む流れになった。
「……すぐ帰るんじゃなかったのか」
「……だって店員さんの誘導が鮮やかで……」
他の席から遠巻きに観察されている気がして小声になる。
先に運ばれてきたコーヒーを受け取って、唇を濡らしてからイェルクはザシャに尋ねた。
「おおまかには聞いたけどさ、『いねむりひめ』の編集長さん言ってきたの。
で、ルイーゼはなんて言ってたの」
その件を話すために自分を連れてきたことはわかっていたので、ザシャも少し笑いながらコーヒーを口に含んだ。
「『不安なんです』だと」
形の良い鼻梁でため息を吐いて、イェルクはカップをソーサーに戻す。
苦味の酸味の薄いコーヒーは、ザシャの口内をいくらかやけどさせた。
「うーん」
唸りたくもなるだろう。
ザシャの目から見て、イェルクはシャファト家の中でもルドヴィカの自立を是とし促そうとしている人間の一人だ。
父であるユリアンのように、長い軸で物事を考えていない。
それは年の近い兄であるからこそなのかもしれないし、ザシャには見えないなにかが見えているからなのかもしれなかった。
そしてザシャもイェルクと同じ考え方だ。
「お姫さんの遊び相手で行くのはぜんぜん構わないけど、ドレスの紹介やらなんやら、他の人付き合いが発生するのが嫌なんだろうな」
「まあ、いわゆる『社交』だよね。
ルイーゼと、周囲が徹底的に排除して来たものだ」
眉間のあたりをつまんで、イェルクは悩むそぶりを見せる。
顔を上げたとき、どこか悟ったような瞳でイェルクはザシャを見た。
「……ルイーゼを頼むよ、ザシャ。
僕は……しばらくは、関われないから」
それはどういう意味なのか、ザシャは訊こうとして口を開いたができなかった。
「あの……よろしければ、席、ご一緒しません?」
三人の若い女性客に笑顔で囲まれて声をかけられ、ザシャとイェルクは驚いた顔を見合わせた。
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門衛に気さくに手を挙げて挨拶をされつつ、エルヴィンは往診鞄を片手にシャファト家の潜戸を通った。
いつもは馬車で門を通り玄関前まで乗り付けるのだが、貴族街第二区画に入ったところで馬車は降り、歩いてきた。
少し外の風に当たって考えごとをしたい気分だったり、日頃の運動不足のことを思ったり、いろいろだ。
ぐしゃぐしゃになっている頭の中を整理したい。
ゆっくりと歩いたつもりだったが、なんの心の準備もできないまま、玄関についてしまった。
玄関は両開きされ、帽子を取るエルヴィンを迎え入れるのは、ルドヴィカ付きの侍女であるラーラだった。
ラーラは侍女という身分でありながら、普段からまるでメイドのようにおとなしい装いをする。
彼女が着飾ったら、どうなるだろう、とぼんやりと思い浮かべた。
「お待ちしておりました、エルヴィン様。
本日は馬車ではなかったのですね。
お疲れでしょう、元気が出る茶を淹れますね」
やわらかな微笑みは滅多に見られないものだと知っている。
エルヴィンがルドヴィカの主治医に専任されたのは四年半程前だった。
その期間は決して短くはないと今更ながらに気づいて、エルヴィンはうつむいた。




