8話
頭痛薬と一緒にポプリを作ろう、そう決めて「西の森に行ってくるね。すぐ戻るから、兄は温室で薬草摘みをしていて」と告げて温室を出た。その足で、いつもの場所で昼寝をしている、父にも声をかける。
「父。西の森に、ラベンダーの花を摘みに行ってきます」
その声に父がまぶたを開いき、いつもの軽い返事ではなく。じっと私を見つめ「シャーリー、気をつけろ」と言った。
めずらしい言葉、父は何かを感じたのか「大丈夫だよ。すぐ戻るから、行ってきます」とホウキに乗り、魔力を込めて飛ぶとふわりと体が浮く。ほんの一瞬、ホウキを持つ私の手がぶるっと震えた。
――兄を呼んだほうがいい? ……ううん、大丈夫。ラベンダーを摘んだらすぐに帰る。それだけ、だから平気よ。
自分に言い聞かせて、ホウキをしっかり握った。
その下を、兄が影のように静かに追っていることなど、この時の私は知る由もなかった。
⭐︎
春と夏の境目に咲く花畑に降り立つと、さまざまな花々が風に揺れていた。私は目的の花畑に向かった。ここには紫色のラベンダーの他にも、いろんな花が咲いている。私は枝の先に小さな花を咲かせる、ラベンダーを摘む。
「花はこれだけ、あればいいかな?」
摘んだ花をアイテムボックスの中にしまい、花畑を見つめた。母の魔女魔法はしっかりきいているが、しゃがんで表面の土を指で触ってみると、パラパラと指から落ちた。
「畑の土が乾き始めてるわね。そろそろ、魔法雨を降らせないと」
そう呟いたとき、視界の端で赤い光が瞬いた。
「え? ……ネズミ?」
こんなところに? そう思った瞬間、それは牙を剥いて飛びかかってきた。反射的に杖をだして魔法弾を撃つも、ネズミは防壁を出して魔法弾を跳ね返した。
(まさか、召喚獣?)
一瞬の隙に飛び掛かられる。魔法が間に合わず、噛まれると思ったその瞬間。風を裂く音とともに兄が前に出てきて、ネズミの牙を受け止めた。
「やらせねぇぞ、ウォーー!」
兄の威嚇と、鋭い視線を浴びたネズミは怯えたように鳴き、逃げていった。
「……はぁ、怖かった。ありがとう、助かったわ」
「いや。シャーリーが温室を出ていったあと、嫌な胸騒ぎがしてな。後を追ってきて正解だったよ」
安堵の息を吐きながら、兄は笑う。
その表情に、張りつめていた心がほぐれた。
「でもおかしい。母と父が排除したはずなのに……まだ召喚獣が残っているなんて。一度、各森をくまなく見回らなくちゃ」
「そうだな。大きい召喚獣は師匠とキョン様が駆除したが……小さいやつは、見逃していたのかもしれん」
「えぇ、そうかもしれないわね」
本来、召喚獣は。召喚した魔法使いが消えれば、跡形なく消えるはず。けれど、このリィーネの森では魔力の影響か、まれに残ってしまうことがあるのだと、母は言っていた。
「召喚獣なんて、久しぶりに見たわ。兄、ほんとに助かった……」
「気にすんな、俺はシャーリーの使い魔だからな」
ニシシッと笑い兄は、散らばったラベンダーを拾い集めてくれた。
「ありがとう。お礼に夕飯は、兄の好きなものにするね」
「おっ、肉料理がいいな」
「わかった。冒険者ギルドへ、薬草を届けた帰りに買ってくるね」
そう言うと兄は小さく息を吐き、眉をわずかに寄せた。
「一人ではダメだ。荷物持ちとして、ついて俺も行く」
「え、いいの? じゃあ、お昼を食べて、頭痛薬の調合が終わったら行きましょう」
「……調合が終わったか、わかった。そうしよう。さあ、帰るか」
「ええ、森の様子を、見ながら帰りましょう」
ふたり並んで歩き出す。木々の間を渡る風が、枝葉をやさしく揺らしていた。
――召喚獣かぁ。
あの召喚獣を見たとき、兄はどう思ったのかな。
私は兄が旅立つ前。五年前に起きた出来事を思い出していた。
⭐︎
あれは兄が十六歳、私が十三歳だった、あの日。
栗が食べたいと、秋を閉じ込めた東の森へ栗拾いに出かけたときのこと。
『ヴォルフ、たくさん落ちてるよ』
『だな、棘に気をつけて栗を取れよ』
『うん、わかってる』
栗の木と下でイガを足で割り、栗を取っていたそのとき。ウサギの姿をした召喚獣が唐突、私達の目の前へ現れた。
兄はすぐに、私の前に立ちふさがってくれた。けれど相手は小柄でも力は強く、私を庇いながらの兄では太刀打ちできなかった。
兄に牙が届く、そう思った瞬間。
私は前へと飛び出していた。
『シャーリー、やめろ!』
ウサギ型の召喚獣に額噛まれながらも、私は叫んだ。
『――消えて!』
その言葉に召喚獣が泣き叫び、体に記されていた魔法陣がチリチリと燃え上がり、粒となって消えた。
『……消えた?』
『シャーリー、大丈夫か? おい、シャーリー⁉︎』
私の名前を呼び駆け寄ってくる兄を見て、ほっとすると、体の力が抜けた。普段の訓練よりも、多くの魔力を使ったせいか、私はその場で意識を失った。
次に目を覚ましたとき、見慣れた自分のベッドの上に寝ていた。気がつくと母が枕元にいた。
『……母? 私』
『よかった、シャーリー気が付いたのね。……慣れていない体で膨大な魔力を使ったから、体が耐えれず倒れてしまった。何があったか、ヴォルフから聞いているわ。あなた、召喚獣の契約陣を壊したって』
『契約陣? 燃え上がって消えた、魔法陣のことですか?』
『えぇそうよ。いくら魔女でも魔法使いでも、他人の作った魔法陣を壊するなんて、本来はできない』
その母の言葉。私は魔力が強すぎる“バケモノ”なんだと言われた気がした。あの場所からバケモノだと言われて捨てられた私は、今度は森からも追い出される。
『母、バケモノのは……この森からも、出ていったほうがいい?』
震えながら呟いた言葉に、母は首を振った。
『出て行かなくていい。シャーリー、あなたはバケモノなんがじゃない。確かに、あなたの魔力は飛び抜けているけと、ただそれだけ。あなたは私の可愛い娘よ』
可愛い娘。その言葉が嬉しくて大泣きした。
そして、私は母のような魔女になりたいと心から思った。
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私が魔女になると決めたその日を境に、兄は外の世界に出る機会が増えた。兄がどこかへ行ってしまいそうで、焦った私は「どこにも行かないで、ヴォルフが好き」だと告白までしてしまった。
「シャーリー、ごめん」の言葉と、兄は仲間たちと修行へ旅立ち、森を出て行った。そっか、兄は私の力を見て怖くなったから……出ていったのか。
母が魔女会に旅立つ前、兄を呼んだからと言われたとき嬉しいより、なんで? なんで森に帰ってくるの? 私が嫌で出ていったんじゃないの? その疑問が頭に浮かんだ。
その疑問はいまも残ったまま。外に好きな人がいるのに、兄はどうして森に戻ってきて、私の使い魔になったのだろうか。
一番の答えは、師匠の母に頼まれたからかな?
「なぁ、シャーリー。ほんとに、怪我してないよな」
「もう、何回聞いてくるの。兄が守ってくれたから、どこも怪我してなって」
何度目かの兄の確認に顔をあげだそのとき、とつじょ吹いた風が私のポワボワな前髪を巻き上げ、額の古い傷跡が露わにする。
それを見るなり、兄の額に深い皺が刻まれた。




