6話
リィーネの森の四季は相変わらず変わらないが、母が魔女会へ旅立ってから、森の外はひとつめの春を迎えていた。
私の暮らしは変わらず、日課の温室の手入れとギルドへの納品の薬草を摘んでいた。
「おーい、キョン様ー! シャーリー来たぞ!」
温室の外から聞こえた知った声に手を止め、私は慌てて温室から外に出ると、そこに立っていたのは母が私の使い魔として呼んだ兄のヴォルフがいた。
彼は獣化したオオカミの姿ではなく。ふさふさな黒い耳と尻尾、整えられた黒髪に鋭くもどこか優しさを宿す赤い瞳、人型であらわれた。
「よっ! 久しぶり、シャーリー」
笑顔で手を上げる兄。彼は、私がこの森に来る前からいたリシャン母の弟子。森に詳しく、薬草にも詳しい兄のことが気になり、母に兄はいつからいるの? と聞くと、三年前に迷いの森を自力で抜けてやってきたと言った。
私と同じ、外から来たみたい。
このとき、兄は十三歳で、私は十歳。
兄は来てすぐ。
『冒険者ギルドで、強いフェンリルがここにいると聞いてやって来ました、手合わせお願います』
父、フェンリルに勝負を挑み、すぐ負けた。それでも、ヴォルフは諦めず何度も挑んでは敗れ……ついにはこの森に、住み着いてしまったのだという。
『まったく、勝手に居ついた挙げ句、“強い技を教えろ”ってうるさくてね。キョンは嫌だって言うから、わたしの弟子にしたの』
そんな話を思い出していると、ヴォルフ兄がにかっと笑った。その彼の頬には見事な赤い手形が残っていた。兄はどこぞの女の人にちょっかいを出して、叩かれたのかな? と思いつつ私も微笑んだ。
「お久しぶりです、ヴォルフ兄。えっと……相変わらずですね」
「あ? これか? いやぁ、道中で可愛い子を見かけて、声をかけたら叩かれた」
――やっぱり、思っていた通り。
「へぇ~、そうですか」
「なんだよ、その目。そんな嫌そうに見るなって……ハハハ、ま、これからよろしくな」
眉をひそめ笑い、あたりを見回して昼寝中のキョン父を見つけると。父の近くにある、テーブルへ腰を下ろした。
「お久しぶりです、キョン様。今日からお世話になります」
「ヴォルフか、よく来たな。よろしく」
五年前と何ら変わりのない兄に、私は小さくため息をつき、「お茶を淹れてきます」とだけ告げて家に戻る。家の外から兄と父の楽しげな声が聞こえてきた。
「もう、五年もたつのかぁ」
兄がこの森を出てから五年。前よりもずっと大人びて、頬には叩かれた手が残るけど……ヴォルフ兄は、やっぱりかっこいい。
兄の声を聞いていると、ふと昔の記憶が蘇る。
『ごめん、シャーリーの気持ちには応えれない』
五年前のあの日の告白と、見事に振られた記憶が蘇る。心の奥にしまい込んだはずの気持ちが、出てきてしまいそうで胸がキュッとする。
「ダメ、ダメダメ。もう告白をして悲しい思いはしたくない」
気持ちを胸の奥に仕舞い込み、自分に言い聞かせるように呟いて、私はヤカンを火にかけ急須を手に取った。
⭐︎
久しぶりの再会、外で楽しそうに話す二人にお茶を持って行く。
「父、兄、お茶がはいりました。茶菓子と……塗り薬です」
「ありがとう、シャーリー。おまえも座れよ」
そう言って、にこやかに笑う兄が私の手を掴んだ。
驚いて、振り払おうとしたそのとき――
リン、リリーン――。
家の中に呼び鈴の音が響いた。これは王家から至急の、薬の依頼がきたという呼び鈴。
「すみません、ヴォルフ兄。薬師の仕事が入りました」
慌てて家へと入り自室に戻り、服掛けにかけた魔女の証の帽子とローブを羽織り、机の上にある通信鏡の前に座り魔力を流し込む。リリーンとなる呼び鈴の音。この呼び鈴には何種類かあり、国王、王妃、王子とおのおの違う音色なので誰が呼んだかわかる。
私は胸に手を置き、通信鏡に映し出された人物に挨拶をした。
「ごきげんよう、ローサン殿下。急ぎの薬が、ご入用でしょうか?」
金髪に青い瞳の第二王子、ローサン・スカロード殿下。彼はいつも、穏やかな微笑みを浮かべているが顔色がいつもよりも悪い。
――たしか、ローサン殿下は慢性的な頭痛を患っており、疲労が重なると発作のような痛みに襲われる。だったかな?
「ごきげんよう、魔女……。すまないが、明日の夜は舞踏会でな。明日の午前までに納品薬とは違う、眠くなりにくい頭痛薬を届けてほしい」
――これは、王子からの特殊な依頼だ。
「かしこまりました。眠くなりにくい頭痛薬ですね。殿下は錠剤と液体の、どちらになさいますか?」
「うむ。……液体で頼む」
「承知いたしました。明日の早朝、王城へお届けいたします」
「魔女、ありがとう。頼んだよ」
殿下から薬の依頼を受け、通信が途切る。ふと背後に気配を感じ、振り返ると扉の近くに兄が立っていた。どうやら、今の会話を聞いていたらしい。
「シャーリー、いまのは……誰? なんの依頼?」
「彼は第二王子のローサン殿下です。明日の早朝までに、眠くなりにくい頭痛薬の依頼を受けました」
「眠くなりにくい頭痛薬が必要なのか。難しそうだな、俺も調合を手伝うよ」
と兄の申し出は嬉しいけど、私は首を横に振る、
「いいえ、この依頼は私が直接ローサン殿下からお受けしました。責任をもって私が薬を調合します」
とはっきりとした声で言うと、兄は少し肩をすくめて笑った。
「ああ、そうか。わかったよ」
「兄、けして意地悪じゃないから勘違いしないで。兄はまず、私との使い魔契約を済ませていないし。国王陛下、王家の方々への顔見せもおわっていません。調合の手伝いは、それが終わってからお願いします」
「顔見せかぁ……わかった」
ポリポリ頭をかきながら、部屋を出て行く兄の背に。
「そうだ兄。来て早々悪いのですが。今日、冒険者ギルドに納品する、チャロ草を温室で摘んでくれませんか?」
と伝えた。
兄は振り向き。
「チャロ草? いいよ、何束必要なんだ?」
「十束です」
よし任せろと意気込む、兄と温室へ向かった。




