2話
肩をがっくり落として家に入ると「許可が出た」と喜ぶ師匠。いいえ、母リシャンは楽しそうに荷造りを続けている。その姿に私の胸の奥では、不安がもやのように膨らんだ。
「父の許可が出ましたが……。母、ギルドの依頼もですが。王家付きの薬師はどうされるんですか? 他の魔女も、魔女会に参加されるのですよね?」
伺いを立てた私に、リシャン母は顔を上げ、にっこりと笑った。
「もちろん、そうだね。王家の薬師はわたしの弟子であり、娘のシャーリーに任せる。明日には、王家に引き継ぎの書類を送っておくね」
ニコニコの母と、眉を細める私。
「そうですよね。やはり、そうなりますよね。だけど、そんな大役が私に務まるでしょうか? 王家の薬師と冒険者ギルドの依頼。そして、リィーネ森の森護りなんて……」
「大丈夫。シャーリーなら務まるわ」
母は即答した。
「なにせ、大魔女のわたしと八年間一緒にやってきたじゃない。薬草の育て方、選別も、調合も、行商人とのやり取りも。あと魔女魔法、森護りの術だって教えた。さぁ右手を出して、リィーネ森の権利を移すわ」
「え? は、はい。おねがいします」
母が笑い、私の右手を取って魔法を唱えると、周囲の木々が魔力を感じてざわめいた。それはこの森の森護りが変わるのだから。
「『リィーネの森の権利を、魔女シャーリーに託す』」
その言葉とともに、私の右手の甲が熱くなり、緑の魔法陣が浮かび上がる。これは、森に選ばれた魔女の証で、森の魔女にしか見えない印。
「シャーリー、そんな顔をしなくても大丈夫。ここ、リィーネの森には最強で、使い魔の幻獣フェンリルのキョンがいるから安心して」
「はい……でも」
「そう、心配しなくて大丈夫。キョンの力を知る者はそうやすやすと森に近づかない。森に来るのはキョンの力を知らない、人間くらいだね。シャーリー、わたしは八年間あらゆる事をあなたに教えた」
確かに、母のもとでの日々は厳しくも充実していた。
「母にはたくさん教わりました。でも、不安です」
私の言葉に母は柔らかく笑みを浮かべ、肩にぽんと手を置いた。
「シャーリー、あなたは要領は悪いけど、魔力は魔女の中でも高い。物覚えもいいし、努力家で、何事も最後までやり遂げる子だから大丈夫」
母が自分を見ていてくれた。
そして、大丈夫と言う言葉に嬉しくなる。
「あ、それから、まだ使い魔がいないあなたのために、五年前この森を出たあなたの兄弟子で、魔獣族のヴォルフをここへ呼んでおいた。あの子が着いたら、彼を使い魔にするといい」
「え? 兄弟子のヴォルフ兄が森に帰ってきて、私の使い魔になる!?」
「あの子に、シャーリーの事を頼んでおいたわ」
「ヴォルフ兄に?」
使い魔――それは魔女にとって、調合や魔法補助を支え、魔法の詠唱中には身をていして守ってくれる、大切な存在。
「えぇ。さっきヴォルフに連絡したら、誰とも契約していないと言ったからお願いしたわ。嬉しいでしょう?」
リシャン母は、私の胸の内を見透かしたようにニヤリと笑う。そんな母に私も素直に答える。
「とても嬉しいです。ヴォルフ兄は魔法、戦闘、薬草に詳しいから心強いです。兄が森に着いたら、正式に使い魔として迎え、このリィーネの森を守っていきます」
「うんうん、頼もしい娘だね。でも、シャーリー。あなたが無理だと思ったら、やめてもいい。身の危険が迫ったら逃げなさい。逃げた後、困るのは“リィーネ森の護り魔女を甘く見ていた”連中だけ」
母の言葉に私は頷く。
「でも、シャーリーがまだ頑張れると思ったら、キョンか、ヴォルフを頼りなさい」
そう言い残すと母はホウキを取り出し、扉の外へ出る。私もその後に続く。母は家の前で眠る父に。
「キョン、あとは頼んだよ。じゃあ、行ってくるね。シャーリー、あなたならきっと大丈夫」
ホウキ片手に、母は笑った。
フェンリルのキョン父は目を閉じたまま、もふもふの尾をひらりと振り、静かに応えた。ホウキに乗り、空高く舞い上がる母に手を振る。
「母、いってらっしゃい!」
その背が見えなくなるまで見送って、ふうと息をついた。
いきなり、こんな大役を任されるなんて。リィーネ森の森護りにして、王家の薬師。不安は尽きないけれど「頑張らなくちゃ」心の中でそう呟き、私は小さく拳を握った。




