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リィーネ森の魔女  作者: にのまえ


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9話

 ――兄のあの表情は、いったい何だったんだろう?


 やっぱり私の力が怖いとか? それとも、ほかに理由があるのかと、考えれば考えるほどわからなくなる。母がそばにいれば、すぐに聞けたのに……。


 つい食事中も気になってしまい、兄の横顔に目がいきそうになるのを、必死に我慢した。


(どうせ、兄に聞いても話してくれないだろう)


 昼食の片付けを終えた私は、頭痛薬を作るため地下にある調合室へと向かった。

 

 扉を開けて魔法でランタンに火を灯し、調合室の壁に並ぶ調合用の壺の中に魔法水をため、壺の下に火の魔石を並べる。次に調合用の杖を手に取り軽く振り「『火よ、灯れ』」と、魔力を込めるとぽうっと炎が灯る。


 いまは調合に集中しなきゃ。


 温室で摘んだ痛み止めのカボ草とナロ草。その葉を魔法で擦り合わせて、準備しておいた壺へ落とす。


 私は、いつもの“大量に魔力を流すための杖”ではなく、繊細な魔力調整ができる調合用の杖を握り、ゆっくりと魔力を注ぎ込むと薬草の色がじわりと溶け、壺の中で淡い青色の湯気が立ち上る。


 あとは、目覚めをよくするトリリンの葉を加えて。トリリンの葉をちぎりながら加え、弱火の魔力を送りながら煮込む。こうして薬が「仕上がるその瞬間」を待つ時間が私は好きだ。


 数分間、魔力を加えながら煮込み、ぼふっと煙が立ち上がったら薬の完成だ。


「よし、眠くなりにくい頭痛薬ができたわ」


 私は出来上がった淡い青色の薬を、杖を振り、壺から透明な瓶に移した。


 ⭐︎


 出来上がった薬をカゴに入れて、地下にある調合室を出ると、階段付近に兄がいた。兄は近くの壁にもたれ何か考え込んでいるようだ。


「どうしたの?」

「ん? いいや。頼まれた薬はできたのか?」


「ええ、頼まれた薬は完成したよ。このカゴを部屋に置いたら、ルルーカの街の冒険者ギルドへ薬草の納品に行くから、外で待っていて」


「ああ、わかった」


 部屋に戻ると、明日殿下へと渡す薬の瓶に「頭痛薬」とラベルを貼り、机の上に置いた。これでよしと着替えも済ませて外に出ると兄は出掛け用のローブを羽織り、父と話している。


 真剣な表情。さっきの森でのことを報告しているのだろうか。私は横目でそれを見ながら杖を取り出し、声をかけた。


「兄、準備はできた?」

「できたよ」


「じゃあ、転移魔法を使うから手を握って。父、ルルーカの街まで行ってきます」


 フリフリと揺れる父の尻尾を眺めつつ、杖を持つ手とは反対の手を差し出す。兄がその手を握ると、私は心の中で唱えた。


「『ルルーカの街まで転移!』」


 足元に転移の魔法陣が現れ、その瞬間、景色がスッと変わり、私達はルルーカの街の郊外に着いた。


⭐︎


「うわっ、さむっ……」


 外の世界では春の気配が濃くなってきたというのに、ここルルーカの街は大陸北部にあるため、まだ冬の名残が色濃い。街の象徴であるオレンジ色の屋根とレンガ造りの道には、ところどころ雪が残っていた。


 リィーネの森で、冬を閉じ込めた北の森の雪を見ているから、そのものは珍しくない。けれど、道端で小さく膨らんだ花の蕾を見つけると、どうしようもなく頬がゆるんでしまう。


「北の森の冬とは違って、ここは春の気配がちゃんと感じられて面白いわ」


「そうだな。……でも、珍しいからってフラフラしてはぐれるなよ」


「大丈夫、わかってる」


 私は、道端に芽吹く小さな春を見つけながら、人の姿をした兄の隣を歩く。


(そういえば……さっき調合室の外にいたけど、頭痛薬の調合が見たかったのかな? それとも、昼食のときにチラチラ見ていたから、機嫌を悪くした?)


 そんな取りとめのない考えがよぎる一方で、兄は街を行き交う人々を眺め、どこかのんびりとした表情をしていた。


「そうだ。さっきの昼飯な、シャーリーの作るホットサンド……チーズたっぷりで美味かったぞ。明日の朝もそれにしてくれよ」


「いいよ。明日は、もっとチーズ入れてあげる」

「それは、楽しみだな」


 こうやって笑い合える時間が、私はとても好きだ。

 だから、母が森に戻ってくるまでは兄と喧嘩せず、仲良く過ごしたいと思う。

 

 ⭐︎


 街の冒険者ギルドに向い、街の中を歩く私たちに通りの人々の視線が集まる。それは、黒い三角帽子と黒のローブ、手には杖。誰が見ても、魔女だとわかる格好をしているから。


(一人の時は感じなかったけど、やけに視線が多いわ)


 すれ違う人の中に、好奇心を隠そうともしない目で見てくる者もいれば、ひそひそと声を潜めて囁く者もいる。


(あ、もしかして。母が使い魔にした、フェンリルの父を連れていたとき、しばらく街を騒がしたと言っていたから。兄……オオカミの姿ではなく、美形な男性と歩いているから?)


 けれど兄は、そんな周囲の視線など気にも留めず金の瞳を細め、いつも通りに笑い。


「なんだ? 荷物持ちにこの姿できたが、注目を集め過ぎか? ……ふうっ、オオカミの姿でくればよかったな」


 なかでも、女性の視線が嬉しいらしく顔がにやけている。


「嬉しそうだね。兄はしばらくそこに立っていたら?」

「おい、待てよ! シャーリー」


 追いかけてくる兄を無視して、私は歩くスピードを上げた。


 ⭐︎


「シャーリー、そう怒るなよ」


「怒ってないよ。……ほら、冒険者ギルドに着いたから行ってくるね」


「おい、置いていくなって!」


 私が受付カウンターに向かうと、兄は慌てた足取りで後を追ってきた。ギルドにいた冒険者たちの視線がこちらに向く。受付の女性は、私の姿を見るなり笑顔で頭を下げた。


「こんにちは、魔女様。いらっしゃいませ」


「こんにちは。依頼のチャロ草を十束、持ってきました」


 アイテムボックスを開き中から束ねた薬草を取り出すと、周囲の視線がさらに集まった。無理もない。チャロ草は今や滅多に出回らない希少薬草だ。


「魔女様、確かにチャロ草十束、お受け取りしました。いつも貴重な薬草をありがとうございます。料金は、いつもの口座にすぐ振り込みますね」


「お願いします。新しい依頼があれば、魔女依頼紙に書いてリィーネの森まで飛ばしてください」


「はい、承知しました。本当に助かっています」


 冒険者たちの間に小さなどよめきが広がる。話しかけたい、珍しい薬草を分けてもらいたい。そんな気配がひしひしと伝わってくるけれど、魔女の薬草は高額でとても気軽に買えるものじゃない。


 ――母はよく言っていた。「人は一度施されると、それが当然だと思い込み、どんどん要求が多くなるわ。だから、王家、ギルド以外に薬草は渡さないように」と。


 その教えを守り、王家付き薬師としての報酬はしっかりと頂いている。このギルドへの薬草の納品も、その仕事の一環だ。

 

 でも、しばらくすれば、今納品したチャロ草がギルドで調合され、支給品として出回る。効能は――傷んだ食材や、うっかり口にした魔物肉で起こる腹痛の緩和。さらに、魔物に噛まれた際に体内にたまる毒素を流し、怪我の治りを早める……まさに必需品だ。魔女の調合とは違うから、質は……まあ、多少落ちるけれど。


 納品を終えてギルドをあとにすると、道端に小さな花が咲いているのが目に入った。レスの花だ。この花の花弁を手で揉むだけで簡易の傷薬になる。森には多い花だけど、街ではめっきり見かけなくなったいた。


 ――森の外で見るのは久しぶりかも。


 それは、チャロ草も同じだ。昔は森の外でも採れた薬草だったのに、金になると分かってからは冒険者たちが根こそぎ採り、姿を消してしまった。


 採るだけ採って、育てない。そりゃ貴重にもなる。

 だから今では、魔女が育てたものを高い金を払って入手するしかない。


「なぁ、シャーリー。そろそろ機嫌直してくれよ。……ほら、あそこの肉屋でさ、大きな肉の塊でも買って帰らないか?」


 肉――? 兄の声に顔を上げると、肉屋の前で足を止めていた。そういえば、滅多に来ない街まで来たのに、買い物のことをすっかり忘れて歩いていた。


 兄が足を止めた肉屋を覗くと、立派な肉の塊が吊るされている。その肉は森では滅多に手に入らない、人の手で育てたギューギューの肉だ。


「いいお肉ね」

「だろう、買おうぜ」


 今日、森に来てくれ使い魔になってくれた、兄の歓迎も兼ねて少し豪勢な夕食にしてもいい。


「……うん、いいよ。とびきり大きいやつ、買っちゃおう。あと、雑貨屋と本屋にも寄って帰ろう」


 兄と顔を見合わせ、肉屋へと足を向けた。

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