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30.幻覚魔法

 

 その痛みはもう本当に突然で……。

 頬がヒリヒリと熱をおびて疼きだした時になって、私はようやく自分が何処に立っているのかおぼろげながらに自覚した。


 ついさっきまで冒険者組合で話をしていた筈なのに、私はどういう訳か森の中にいたのだ。


 周辺に漂う魔物の気配といくつもの視線。

 ミトが私の肩を掴む手は力強くて、痛いくらいに食い込んだ指はとても熱かった。


「しっかりしなさいよロア!」


「え……何で?だって私達は今まで……」


 最高位冒険者カレンとエレノアの姿はどこにも無く、受け付けの女の人もいない。

 当然、竜王様達の姿もだ。


「幻術をかけられたのよ。組合に行った後、ロアは急にぶつぶつ独り言を言い出して森へ歩いて行ったの。何も覚えてない?」


 そんな馬鹿な……。

 私は確かに最高位冒険者カレンとエレノアの二人とレオンハルトを探しにいく話し合いをしていた。

 途中から竜王様やシェリル、ステラの双子の姉妹も加わって……。


「竜王様は……?カレンさんにエレノアさんも……」


 ミトは首を振って否定すると、魔物の気配から遠ざかる様にして歩き始めた。


 どうやらこの森の魔物は知能が高いらしく、一定の距離を保って獲物を観察しているようだ。故に一箇所に留まるよりも僅かでも移動していた方が安全という判断だ。


 暫く歩いた後、周囲を取り囲んでいた魔物の気配が薄れたのを確認したミトが、私がかけられた幻術について話してくれた。


 幻術は幻覚魔法の一種で、分類上は黒魔術にあたるそうだ。

 対象者にありもしない幻覚を見せ、意のままに操ることの出来る幻覚魔法は、精神の治療を目的とした医療行為以外には禁忌に指定されている場合がほとんど。

 因みに、私にかけられていた魔法は魔術との合わせ技。所謂、複合魔法と言われる非常に高度な物で、解除するのにかなり手こずったという話だった。


「発動の鍵はおそらく組合のドアを開けること。触れた者に魔法をかけて操るだなんて何考えてるのかしら……。中級魔法の本と基礎に関する講義を受けていなかったらヤバかったわね。私じゃ解除出来なかったかもしれないわ」


 カレンやエレノアとのやり取りは無かったにせよ、冒険者組合に出向いたところまでは真実らしい。


「それって……」


 ミトの話を聞いた私の脳裏をとある人物の影がよぎった。


「……ええ、そうよ。ロアの考えてる通り。あれを仕掛けたのはマクスヴェルト様で間違い無いでしょうね」



 一体何故?



 その理由は不明だが、少年が悪意を持っていたならミトが解ける程度の魔法を仕掛けるだろうか?

 魔法の大家、賢者とまで呼ばれる人物だ。本人以外には絶対に解除出来ない魔法を使う方が自然だ。


 そしてもう一つ、誰が触れるとも知れない冒険者組合のドアに魔法を仕掛けた事が気になる。

 おそらく少年とレイヴンには、私達が冒険者組合に助力を請うことを分かっていたに違いない。


 当然だ。

 私達だけで森を踏破するのは難しい。逃げるだけならば或いは可能性があるかもしれないけれど、地上までの長い道のりを逃げ続けるのは現実的に言って不可能だ。

 どんな魔物がいるのかも知らず、各階層の情報も無い。いずれ足の速い魔物に襲われるのは目に見えている。


 そして何より、私をあえて危険な森へ誘ったこと。

 これが一番引っかかる。



「嘘でしょ……だってあんなに……。あれが全部幻覚だったなんて……」


 竜人というのは生まれながらに魔法に対する強い抵抗力を持っている。

 慢心があったのは認める。少年にしてやられたばかりだと言うのに情けない話だ。

 けど、竜人に魔法をかけられるのは同じ竜人だけだと思っていた。なのに、こうもあっさりと引っかかるだなんてショックだ。


「竜人の私達にこうも簡単に魔法をかけるなんてね……それとーーー」


 幻というにはあまりに現実味があった。

 少年が私達の記憶に付け加えた新しい記憶が原因だというがミトの導き出した結論だ。


「じゃあ、記憶を与えたのもこの状況を作り出す為?何の為にそんなこと……」


 いくら少年が桁外れの魔法使いだとしても、竜人を相手に直接的な魔法を行使を出来るとは流石に考え難い。

 ならば少年の屋敷で私達を惑わしたように、周囲の環境に影響を与えて魔法の効果が発揮出来るようにすれば良い。

 今回はそれがこの世界に関する記憶だったという訳だ。


 言うのは簡単だが、やはり少年は魔法の天才。それも常識を遥かに超えた超常の力の持ち主だ。


「分からない……危害を加えるつもりなら、あの人達にはそのくらい簡単な筈。何か目的があってのことだとは思うんだけど私にもさっぱりよ。ただ……」


「ただ?」


「要は自力で地上へ戻って来いって言いたいのよ。誰も頼るなって」


「そんな……そんなの無理だって!私達二人でどうにかなる訳無いもん!」


 ミトは取り乱した私の口を塞いで静かにする様に目で合図すると、何かを決意した様に私の手を引いて町とは全く別の方向へと進み始めた。



 無言のまま歩くこと約一時間あまり。

 目の前にぽっかりと暗い口を開けた巨大な洞窟が現れた。

 暗闇しか無い穴の奥からは湿った様な独特な臭いの風が吹いている。


「ミ、ミト。……ここは?」


 嫌な予感しかしない私は、無言のまま穴の奥を見つめるミトの横顔をジッと見つめた。


 緊張しているのだろう。私の手を引くミトの手は汗ばんでいて、何度も何度も私の手を握り直していた。

 やがて深く呼吸したミトが握った手にギュッと力を込めて言った。


「地上へは戻らない。更に下の階層へ行くわよロア。何としてでもレオンハルトを探すのよ」




次回投稿は7月20日を予定しています。

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