25.震える肩
何事も話し合いって大切だと思う。
そう思い直した私が宿屋に帰ってみると、食堂の片隅で魔法書を読みふけっているミトの姿があるだけだった。
さすがに、あれだけ言ってしまったのだから、ずっとこの場にいたくなかったのは当然だろうと思う。
「ね、ねぇミト。……レオンハルトは?」
「知らない」
「そ、そっか……。そう、だよね……」
ミトは本に視線を落としたまま。
私達以外には誰もいなくなった食堂は重苦しい空気が流れている。
時折、ミトがページをめくる音が聞こえて来る以外には、奥の方から皿を片付ける音が聞こえるだけ。
あれだけ町を歩き回ってレオンハルトと遭遇しなかったのだから、てっきり宿屋にいると思ったのに、宿屋にはレオンハルトの気配が感じられない。
重苦しい空気に耐えられなくなった私は、何か話そうとして口を開いた。
家で引き篭もっている時は何日も喋らないだなんて普通だった。だけど、今は何か喋っていないと落ち着かない。
胸の辺りがモヤモヤして気持ち悪い。
「あのさ、さっきの事なんだけど……私もちょっと言い過ぎたかなぁって思って。レオンハルトにも事情があるもんね。私ってば、つい感情的になっちゃったし、あれはさすがに大人げ無かったなぁって……。それでね、私なりに考えたんだけどーーー」
「ロア」
「な、何?」
ミトはやっぱり機嫌が悪いのか、私に向かって鋭い視線を向けて来た。
昔から、こういう目をする時のミトは怖い。
何がある訳でも無いのだけれど、冗談が通じないというか……。
「レイヴンとマクスヴェルト様の気配が完全に消えたわ。他の冒険者達の多くも、もうこの階層にはいない」
それなら私も途中で気付いていた。
まさかと思っていたのに、二人は私達を残したまま姿を消してしまった。
少年の使う転移魔法なら一瞬で地上へ戻る事も出来る。
「でも、この町にいれば一先ずは安全だし、いくらなんでも戻って来るって」
「どうかしら……」
ミトが取り出した紙には見覚えのある字で、
『力を合わせて、無事に生きて地上へ帰還されたし。それをもってSランクへ昇格するものとする』
ーーーと書かれていた。
この丸っこい癖のある字は少年のものに違いない。
「嘘でしょ⁈ また勝手に……!!!」
「まだあるわよ」
続けてミトが差し出して来たのは見た事の無い金属の板だ。大きさは掌に収まるくらいで、薄く加工されている。
板の表面には私とミト、それぞれの名前と冒険者のランクが刻まれていた。レオンハルトの分もある。
「無理!無理無理無理無理!!!そんなの無理に決まってるじゃん!レイヴンだって、私達には精々四、五階層みたいな事を言ってたのに!ここ二十階層だよ⁈ 」
「喚かないでよ」
また勝手な事をされているのに、ミトは魔法書を読み始めた。
こんなのおかしい事くらいミトにだって分かってるはずなのに、慌てたり怒ったりせずに落ち着いていられるだなんて変だ。
「ミトはやる気なの……?」
少年に影響されて使えそうな魔法を覚えようとしているのだとしたら……。
「ロアの言う楽しいって、楽する事だけなの?」
ミトは読みかけの本を閉じて私の前に立った。
少し寂しそうな表情をしたミトは、私の動揺を察したのか、落ち着いた声でゆっくりと話し始めた。
「そ、それは……」
「だったら昔みたいに今の状況を楽しみなさいよ。流されっぱなしがムカつくのは私も同じ。だけど、私の知っているロアは、いつだって無謀なくらい前向きだったんじゃない?」
「……」
「負けてやるもんかって。やり方は滅茶苦茶で、無鉄砲ばかりだったし、そのせいで辛い思いをしたのも知ってるわ。ずっとロアの側にいたんですもの……」
「……」
「でも、何もせずに最初から諦めるだなんて事は一度だって無かった。楽しいだけなら家に引き篭もっていたって出来る。私はてっきりロアが引き篭もり生活に飽きたんだと思っていたのだけど?」
正直に言う。
私はこの時、ミトの顔を見れなかった。
ミトの言う通り、私は何でも首を突っ込んで来た。
まだ経験した事の無いワクワクや楽しさを探すことに貪欲だった。
無謀な事も後先考えずにやっていたのだ。
けれど、そうして見つけた“楽しい” は、増えれば増えるほど、私に沢山の別れを運んで来た。
妖精種でもない限り、皆んな私達より先に寿命で死んでしまうのだからわかり切っていた事だ。
私の部屋に積み上げられたガラクタも、本当は一つ一つに思い出がある。
こんなに辛いのなら、見るたびに思い出してしまうのなら……いっそ処分してしまおうとも思った。だけど、それが出来なかったのは多分、私の未練だ。
当たり前のことが分からないくらい私は未熟だった。
そんなの理由にならないって分かってる。
頭では分かってる。
仕方がない事だって……。
(分かってる……分かってるけど……)
私がもう一度あの部屋から出たのは、あの時とは違う“楽しい” を見つけられるきっかけが起きたからだ。
そのせいで訳の分からない状況になってしまっているけど、ミトはそれも楽しめと言う。
私だってそうしたい。そうしたいけど、今の私は気付いてしまった。
ただ楽しいだけじゃ駄目だって。
それじゃ、また同じ事を繰り返すだけだって。
「……馬鹿ねぇ。私達はこの世界に生きている多くの人達よりもずっと長く生きて来たけど、楽しい事だけ選べるほど器用じゃ無いし、善悪に白黒つけられるほど大人じゃ無いわ。何せ、マクスヴェルト様やレイヴンに会うまで、ほとんど引き篭もっていたんだから」
「……」
「ロア。臆病な気持ちになったって良いじゃない。辛い事をわざわざやる必要も無いわ。やりたくなければそれでも構わない。だけど、これだけは言わせて」
「……?」
「私達は本当の姉妹のように暮らして来た。世界で一番のかけがえのない存在だと思ってる。……けど、私がロアの引き篭もり生活に付き合っていたのは、もう一度ロアが笑っているのを見たいからよ。当然でしょ?私にだってやりたい事くらいあるもの。
それにね、マクスヴェルト様だって、初めから不可能ならこんな事したりしない筈だし、駄目なら駄目でまた違う方法で“楽しい” を見つければ良いじゃない?」
ミトはそう言って私を優しく抱きしめてくれた。
ミトにここまで言わせてしまうなんて、私は本当に馬鹿だ。
後悔では無い未練を、ずっと引きずっている私を待っていてくれた。
決意したと思っていたのに、ミトには見抜かれていたのだ。
「ミト、ありがとう……」
私は、微かに肩を震わせるミトを力強く抱きしめ返した。
次回投稿は6月24日を予定しています。




