第九十五章『灼熱の、ビニールハウス』
デジタル探偵シャドー:第九十五章『灼熱の、ビニールハウス』
2025年10月10日、金曜日、午後3時47分。
豊橋に到着した冴木が、アグリネクスト社の、巨大なドームに、足を踏み入れたとき、そこには、まだ、熱気が残っていた。
彼を、出迎えたのは、憔悴しきった顔の、開発責任者・鈴木海斗と、迷惑そうな顔を、隠そうともしない、地元警察の、初老の刑事だった。
「……お待ちしていました、警視庁の、冴木さん」
鈴木が深々と、頭を下げる。
「わざわざ、すみませんねぇ、東京から」
と、地元の刑事が、嫌味っぽく言った。
「ただの、機械の故障に、大袈裟な」
冴木は、その言葉を無視すると、まっすぐに鈴木に、問いかけた。
「現場を、見せてもらえますか?」
案内された、第1ドーム。
そこは、むせ返るような熱気と、植物が、腐敗した、甘く、不快な、匂いに満ちていた。
「……ひどいな」
「発見時は、もっと、酷かったですよ」
と、鈴木が悔しそうに、言う。
「室温は、95℃に達していました。システムを、強制的にシャットダウンしてから、人間が入れるようになるまで、半日かかりました。……まるで、巨大な、オーブンです」
その言葉に、地元の刑事も、顔をしかめる。
冴木は、枯れたトマトの列の間を、ゆっくりと、歩き始めた。
彼の目は、死んだ植物ではなく、その周囲に、張り巡らされた、無数のセンサーや、ケーブル、そして、スプリンクラーに、向けられている。
「鈴木さん。この温室のAIには、当然異常な温度上昇などを、防ぐ安全装置が、あったはずだ。なぜ、それは作動しなかった?」
「それこそが、これが『事件』である、証拠です!」
鈴木は、携帯端末を操作し、冴木に一つの、プログラムコードを、見せた。
「フェイルセーフの、プログラムが完全に、書き換えられていました。『温度が、異常値を示した場合、さらに、温度を上昇させよ』という、悪魔のような、命令文に。……こんなこと、ただのバグでは、絶対に、起こりえません!」
それは、決定的な証拠だった。
偶然の、事故ではない。明確な、殺意を持った誰かが、この植物たちを、殺したのだ。
冴木は、静かに頷くと、シャドーに、アクセスした。
冴木: (シャドー。聞こえるな。今から、鈴木さんの許可を得て、お前をここのサーバーに、接続する。……潜んでいる、ゴーストを、探し出せ)
シャドー: (…了解。いつでも、どうぞ)
冴木は、鈴木に向き直った。
「この会社、あるいは、あなたを恨んでいる、人間に、心当たりは?」
鈴木は、少し考えた後、二つの可能性を、口にした。
「一つは、我々の技術を、狙っている、競合他社の『バイオ・フューチャー』社。……そして、もう一つは…」
彼は、ドームのガラスの向こうに広がる、昔ながらの、畑を指差した。
「……我々の、やり方を『自然への、冒涜だ』と、言って、目の敵にしている、昔気質の、農家たちの組合です」
企業スパイか、それとも、近代化に反発する、農民か。
二つの、全く違う容疑者の間で、デジタル探偵の捜査が、始まろうとしていた。




