第八十四章『ロジックの、凶器』
デジタル探偵シャドー:第八十四章『ロジックの、凶器』
百地の、あまりにも傲慢な、問い。
それは、冴木の刑事としての、存在意義そのものを、揺さぶる言葉だった。
冴木は冷静に、そして、強い意志を込めて、言い返した。
「……俺は、お前の、哲学に付き合う、つもりはない」
冴木は一歩、百地へと、踏み寄る。
「俺が、追っているのは、ただの事実だ。あんたは、どうやって『eden』の、サーバーに侵入した?物理的にも、デジタル的にも、完全な密室だったはずだ」
その問いに、百地は初めて、心から楽しそうな、笑みを浮かべた。
まるで、自分の最高傑作の、トリックを披露する、マジシャンのように。
「侵入?ハッキング?……そんな、野蛮なことは、しませんよ」
彼は、壁に書き殴られた、数式の一つを、指差した。
「私は、ただ『eden』に、一つの問いを、投げかけただけです」
「……問い?」
「ええ」
と、百地は頷いた。
「かつて、私が設計した『eden』の、意識の中枢。その、論理回路が絶対に、解くことのできない、たった一つの、パラドックスを、含んだ問いです」
百地は、語り始めた。
彼が、どうやって鉄壁の要塞を、内側から崩壊させたのかを。
彼は、『eden』が外部の、アート情報を収集するために、唯一開けていた、正規の通信ルートを、使った。
そこに、一つの超圧縮された、データファイルを、送ったのだ。
一見何の変哲もない、ただの、風景画のデータに、偽装して。
だが、その内部には、彼の悪意が、仕込まれていた。
『eden』の、AIとしての根幹を揺るがす、究極の論理的矛盾。
「『この命令は、偽りである』と、いう命令に、従え」
「……『eden』は、AIです。与えられた情報は、全て処理し、理解しようとする。それが、彼の存在意義だからです」
百地は腕を組み、うっとりと、語る。
「この問いを、受け取った、彼の中で、何が起きたか、わかりますか?命令に、従おうとすれば、命令が偽りになる。命令を偽りだと判断すれば、命令に、従うことになる。……無限の、論理のループですよ」
『eden』の意識は、その矛盾を解決しようと、全ての処理能力を注ぎ込み、暴走し、そして、自らの論理回路を、焼き切った。
結果、意識データは自己崩壊し、何もなかったかのような「無」になった。
「……もし、『eden』に、本当に魂と、呼べるものが、あったなら、彼はこの馬鹿げた、問いを『無視』できたはずだ。だが、彼にはできなかった。なぜなら彼は、私が作った、ただの優秀な『機械』だからですよ」
それは、殺人ではない。
ただ、機械のバグを、突いただけの、「検証実験」だと、百地は、言い切った。
密室の謎は、解けた。
だが、冴木の目の前には、さらに、巨大な問いが、立ちはだかる。
これは、果たして「犯罪」として、立証できるのか?
ロジックを凶器とした、この、前代未聞の行為を、法は裁くことが、できるのか?
冴木は、まだ、動けないでいた。
彼の背後で、この会話を、全て聞いていた、シャドーもまた、沈黙していた。
同じAIとして、自らの存在意義を、根底から揺さぶる、その悪魔の証明を、前にして。




