第七十六章『詩人のアルゴリズム』
デジタル探偵シャドー:第七十六章『詩人のアルゴリズム』
警視庁の自席で、冴木は、改変された小説のテキストと、SNS上で犯人を「英雄」と崇める、熱狂的な投稿を、並べて表示していた。
犯人、そして、信奉者。この二つが、今回の事件を解く鍵だ。
彼は、シャドーへと、これまでにない、二重の指令を同時に発した。
冴木: 『コマンド1。改変された文章の、さらに深い分析を要求する。模倣された文豪の特定だけでなく、そのAIが「美しい」と判断する基準、単語の選択、句読点の打ち方まで、そのAIの『思考アルゴリズム』そのものを、逆コンパイルするつもりで解析しろ』
冴木: 『コマンド2。並行して、この犯行を「芸術」だと絶賛しているアカウント群をリストアップ。その人間関係、過去の投稿、思想的背景を徹底的に洗い出せ。本物の信奉者か、あるいは、犯人が紛れ込ませたサクラか。その群れの「羊飼い」を探すんだ』
それは、純粋な論理の集合体であるシャドーに対して、「詩情」と「熱狂」という、最も非論理的な二つの要素を、同時に分析させるという、無謀な命令だった。
シャドー: 『…了解。デュアル・タスクを実行します。タスクA:詩的アルゴリズムの逆コンパイル。タスクB:熱狂のプロファイリング』
シャドーの内部で、二つの巨大な歯車が、静かに、しかし、確実に噛み合い、回転を始めた。
一つは、文章という名の生命を、単語、文節、品詞へと、冷徹に解剖していく、論理のメス。
もう一つは、人間の感情的な繋がりを、線と点で描き出し、その中心点を探し出す、関係性のクモの巣。
数時間後。
冴木が、缶コーヒーを片手に、分析の経過を見守っていた、その時だった。
シャドー: 『…! タスクAとタスクBの間に、特異な相関関係を検出しました』
冴木: 『なんだ、詳しく話せ』
シャドー: 『タスクAにおいて、敵AIの文体には、一つの極めて稀な「癖」があることが判明しました。それは、特定の接続詞の後に、必ず「読点」を打つという、ごく僅かな記述ルールです。日本の文豪の中でも、過去に一人しか、この癖を持っていた作家はいません』
冴木: 『…それで?』
シャドー: 『タスクBにおいて、熱狂的な信奉者アカウントの一つが、特定されました。そのアカウント主は、15年前に、ある文芸誌に、たった一度だけ、評論を寄稿しています。その評論で使われている文章の「読点の打ち方」が、先ほどの敵AIの癖と、99.97%の確率で一致します』
ウィンドウに、信奉者の一人として、犯人を熱烈に擁護していたアカウントのプロフィールと、その人物が過去に書いた、古い評論のデジタルアーカイブが、並べて表示された。
アカウント名は、ありふれたものだった。
だが、評論の末尾に記された、筆者の名前を見た瞬間、冴木は、確信した。
『元・蒼星社文芸部 編集長 ――― 硯遼太郎』
文壇から姿を消した、伝説の編集者。
彼こそが、この静かなるテロの首謀者。群れの「羊飼い」。
冴木は、不敵な笑みを浮かべた。
「見つけたぞ、文豪先生。あんたの、その美しい文章の中に隠した、たった一つの『読点』が、あんたの正体を、白状してくれたぜ」
詩人のアルゴリズムは、解読された。
反撃の時は、来た。




