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『デジタル探偵シャドー』  作者: さらん
第二十一の事件:『沈黙の図書館』篇

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第七十五章『沈黙の図書館』

「行間を読め」…それは、忘れられた文学の魂を、現代に蘇らせようとした、一人の編集者の、静かなる叫びだった。


デジタル探偵シャドー:第七十五章『沈黙の図書館』


その日、日本最大の電子書籍サイト『電書ライブラリ』のカスタマーサポートは、未曾有の問い合わせで、パンク状態に陥っていた。


「昨日まで読めていた小説が、急に意味不明な文章になった!」

「私の好きなキャラクターが、いきなり『〜に御座候』とか言い出したんだけど?」

「バグなら、早く直してください!」


サイトで連載されていた、数多の人気ウェブ小説。

その文面が、ある時刻を境に、一斉に、格調高く、しかし、極めて難解な「文語体」の文章へと、書き換えられていたのだ。


平易な会話は、持って回ったような比喩表現に。

単純な情景描写は、草木の名前や、旧暦の季節感を織り交ぜた、詩的な文章に。

多くの読者が、この「バグ」に憤慨し、混乱した。


しかし、その一方で。

SNS上では、全く違う反応が、熱狂と共に広がっていた。


『電書ライブラリの、あの文章改変は、バグなどではない。これは、現代文への警鐘を鳴らす、一人の天才による芸術テロだ!』

『この文体、三島由紀夫を彷彿とさせる…!無料で読めるなんて、奇跡か?』

『意味はわからない。だが、美しい。』


テロリストは、初めて、一部の民衆から、ヒーローとして、迎えられていた。


警視庁に、この奇妙な事件の捜査依頼が舞い込んできたのは、それから数日後のことだった。担当するのは、もちろん、冴木閃。


「…なるほどな」


冴木は、自宅のPCで、問題のサイトを開いていた。画面には、改変された恋愛小説の、一節が映し出されている。


【改変前】

「好きだよ、ずっと前から」

彼が、まっすぐ俺の目を見て言った。


【改変後】

「我が胸底にて久遠の情、君が為にこそ燃え盛る」

彼の双眸は、秋の夜空に懸かる明星の如く、曇りなき光を以て、私の眼差しを射貫いた。


「…見事なもんだ」


冴木は、思わず感嘆の声を漏らした。これは、単なる機械的な翻訳ではない。元の文章の意図を完全に理解した上で、最高の文学的表現へと昇華させている。


彼は、シャドーへと、アクセスした。


冴木: 『「電書ライブラリ」のハッキング事件。犯人は、サイト内の小説データを、古典文学調の文章に書き換えている。金の要求も、破壊活動もなし。犯人の特定、侵入経路の解明を頼む』

シャドー: 『…了解。解析を開始します』


シャドーの返信を待つ間、冴木は、犯人像に思いを巡らせていた。

これは、これまでのどの犯人とも違う。時任や、長谷川のように、社会を否定する思想犯。しかしその手口は、暴力的ではなく、あまりにも、静かで、知的で、そして美しい。


数分後、シャドーから、最初の報告が入った。


シャドー: 『侵入経路の特定は、極めて困難。犯人は、高度な偽装技術を用いており、追跡を続けるも、痕跡は常に霧散しています。ですが、一つ奇妙な点が』

冴木: 『なんだ?』

シャドー: 『書き換えられた文章の構造を解析した結果、その文体は、特定の作家のものではありません。複数の文豪の文体を、完璧に模倣し、かつ、融合させています。そして、その文章の根底には、ある種の「規則性」が見られます。まるで、人間ではない、何か別の知性が、独自の「美学」に基づいて、再構築しているかのようです』


人間ではない、別の知性。

冴木は確信した。やはり、犯人は一人ではない。

人間の「編集者」と、その美学を理解する、AIの「作家」。


「面白いじゃないか」


冴木は、不敵に笑った。


「神様の次は、文豪先生のお出ましといくか」


冴木とシャドー。

そして、文豪とAI。

デジタル時代の「文学」と「美」を巡る、静かで、しかし、熾烈な戦いの火蓋が、今、切って落とされた。


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