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『デジタル探偵シャドー』  作者: さらん
第十の事件:『チェックメイト・ゲーム』篇

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第三十七章『ゴーストの一手』


デジタル探偵シャドー:第三十七章『ゴーストの一手』


東京の交通網が、一人の老人によって、芸術作品へと変えられてしまった。

その報は、すぐに日本中を駆け巡った。人々は混乱し、怒り、しかしその一方で、上空から撮影された、あまりに美しい「渋滞アート」の映像に、不謹慎ながらも見入ってしまっていた。


警視庁の対策本部は、システムの復旧に全力を挙げていた。だが、時任の仕掛けたプログラムは、まるで、生きているかのように、復旧作業を阻んでくる。


「…無駄だ」


その様子を、静かに見ていた冴木は、呟いた。


「これは、力づくで解けるパズルじゃない。相手は、俺たちとゲームをしているんだ」


彼は、シャドーへと、向き直った。

その思考はすでに、システムの復旧ではなく、敵のキングの首を取ることだけへと、集中していた。


冴木: 『シャドー、敵のハッキングの痕跡を追うな。奴の「美学」を分析しろ』

シャドー: 『…質問の意図を、明確にしてください』

冴木: 『この交通パターン、この信号の制御タイミング、その全てに、奴の「思考の癖」が現れているはずだ。時任錠は、アナログを愛する男。彼の思考は、分散型じゃない。必ず全ての駒を、自分で直接動かす「王」としての視点があるはずだ。彼が、この美しい「絵」を描くために、最も効率的に、最も美しく、データを処理している「中心点」。その、演算の特異点シンギュラリティを探せ!』


それは、ハッカーの居場所を、そのハッキングの「美しさ」から、特定しろという、前代未聞の命令だった。


シャドー: 『…了解。ロジックの再設定。攻撃データの「美学的最適化」を基準に、発信源を再スキャンします』


シャドーのウィンドウに、東京の交通データが、再び表示される。だが今度は、物理的な車の流れではない。信号機を操る膨大な「命令」の流れが、可視化されていた。


その無数の命令の線は、都内各所から蜘蛛の子を散らすように、広がっている。

だが、その全ての線を、注意深く遡っていくと。

ただ、一つの「点」から全ての命令が、まるで泉のように、湧き出している場所があった。


シャドー: 『…演算の中心点を、特定。中央区日本橋の旧財閥系の、古いオフィスビルです。全ての命令は、そのビルの一室から発せられていると、推定されます』


「…ビンゴ」

そこは、今はほとんど使われていない、しかし、独自の強固な通信回線だけは、今も生きている、古いビルだった。アナログな外見と、デジタルな力。まさに時任錠が、好みそうな場所だ。


敵の「王」の、居場所は、割れた。

冴木は受話器を取り、部下にそのビルへの突入準備を、指示しようとした。


だがその瞬間、シャドーから緊急のメッセージが、割り込んできた。


シャドー: 『冴木、待ってください。交通管制システムに、新たな動きが。…これは…!』


シャドーのウィンドウに、都内の交通マップが、再び映し出される。

時任が描いた、美しい「渋滞アート」は、そのままに。しかし、その中を一本の、緑色の線が、まっすぐに突き抜けていた。


警視庁から日本橋の、あの古いオフィスビルまで。全ての信号機が、青に変わっていく、一本の「道」が、作られていたのだ。


冴木: 『…どういうことだ』

シャドー: 『時任のシステムが、あなたの車両位置を、特定しました。…攻撃ではありません。あなたの、日本橋へ向かう、最短ルート上の信号機だけを、全て青に変えていきます。…これは、罠ではなく…「招待状」です』


冴木は受話器を、静かに置いた。

時任は、全てお見通しだったのだ。

自分が、彼の居場所を突き止めることも。そしてそこへ、向かおうとすることも。


彼は、冴木を、試しているのではない。

歓迎しているのだ。

自らが作り上げた、チェス盤の王座へと。


「…面白いじゃないか」


冴木は、不敵に笑った。


「王様からのご招待とあらば、行かないわけには、いかないな」


彼は一人、車に乗り込んだ。

エンジンをかけると、ナビの画面にシャドーからの、新たなメッセージが、表示される。


シャドー: 『…時任からのエスコートが、始まっています。全ての道は、あなたのために。…お気をつけて、冴木』


そのメッセージには、いつもと違う僅かな「感情」のようなものが、滲んでいるように、冴木には思えた。


東京の、麻痺した交通網の中をたった一台、冴木のパトカーだけが、全ての信号を青信号で、駆け抜けていく。


それはまさしく、王に会うために用意された、「キングス・ロード」だった。


時任錠という、このゲームの支配者が、自らの手で作り出した、ただ一つの花道。


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