第二十七章『嫉妬の絵筆』
デジタル探偵シャドー:第二十七章『嫉妬の絵筆』
医療刑務所を出た冴木の頭の中は、二つの巨大な謎で満たされていた。
一つは、目の前の『贋作師』の正体。
そしてもう一つは、その背後で静かに微笑んでいるであろう、時任錠という、本当の「敵」の存在だ。
(…今は、考えない。考えれば、足がすくむ)
冴木は、思考を目の前の事件に、強制的に集中させた。
車に戻ると彼は、すぐにシャドーへとアクセスする。時任がくれた、悪魔のヒント。それを、デジタルの力で、証明するのだ。
冴木: 『検索対象を再設定する。画家・黒田清輝の、全ての弟子、助手、研究者をリストアップしろ。そして、そのリストの中から、「黒田清輝に、最も心酔し、そして最も嫉妬していた人間」を、プロファイリングしろ』
シャドー: 『…了解。「心酔」と「嫉妬」の定義を、行動データから再構築します。関連論文の引用回数、作品への言及頻度、そして、黒田清輝の評価と、自らの評価との、相対的な落差…。これらの要素から、プロファイリングを実行』
シャドーのウィンドウに、膨大な数の名前が、一瞬で表示され、そして、消えていく。フィルタリングが、猛烈な速度で進んでいく。
数分後。シャドーは、たった一人の人物を、特定した。
シャドー: 『…候補者を、一人に特定。
氏名:雨宮 静弦
経歴:元・日本画家。幼少期より神童と呼ばれ、その技術は「黒田清輝の再来」とまで言われた。
特記事項:20代で開いた、初めての個展。その際、一人の高名な批評家から、「技術は完璧。だが、そこに魂はない。ただ、見事なだけの、黒田清輝の模倣品だ」と、酷評される。
その日を境に雨宮は、自らの作品を全て焼き捨て、画壇から完全に姿を消した』
「…ビンゴだ」
時任の言った通りだった。
天才への、狂信的なまでの憧れ。そして、その天才には、決してなれないという、絶望。その二つが、彼を『贋作師』へと変えたのだ。
彼は、自らが「魂のない模倣品」と評されたことへの、最高の復讐として、「魂のない完璧な模倣品」を、芸術の最高峰である美術館に飾り、その価値を、世界に問うている。
冴木: 『雨宮静弦の、現在の居場所を特定しろ。姿を消してからの、金の流れ、生活の痕跡を、徹底的に洗うんだ』
シャドー: 『…追跡を開始。…発見しました。彼の、唯一のデジタルな足跡を』
冴木: 『なんだ?』
シャドー: 『彼は、画材全て、海外身元を特定されにくいサイトから、偽名で購入しています。しかし、その画材の中に、一つだけ、今回の『湖畔』の贋作を描くには、不必要なものが、大量に含まれている』
画面に、購入品のリストが表示された。
最高級の絵の具、キャンバス、そして…。
『純金箔』
黒田清輝の『湖畔』には、金箔など一切使われていない。
「…こいつ、まさか」
冴木の脳裏に、一つのありえない可能性が浮かんだ。
贋作師は『湖畔』だけを、模写していたのでは、ない。
冴木は、シャドーに、新たな命令を下した。
「黒田清輝の、未発表作品、あるいは、焼失したとされる、『幻の作品』のリストを表示しろ!」
数秒後。表示されたリストの中に、冴木は答えを見つけた。
第二次大戦の空襲で、焼失したとされる、黒田清己の幻の最高傑作。
その絵のタイトルは、『金色の夜明け』。
「…そういうことかよ」
冴木は、天を仰いだ。
贋作師の目的は、贋作を描くことではなかった。
彼の真の目的は、この世から失われた、敬愛する師の「本物」を、自らの手で、この世に「再創造」することだったのだ。
そして、そのための、莫大な資金を得るために彼は、自らの才能を使い、今回の事件を起こした。
盗まれた『湖畔』のオリジナルは、すでに、海外のブラックマーケットで、彼の「創作活動」のための、資金へと換えられているだろう。
全てが、繋がった。
贋作師の悲しく、そして、純粋な動機が。
冴木: 『雨宮静弦のアトリエを、特定しろ』
シャドー: 『特定完了。山梨県の、廃校になった小学校のアトリエです。現在も大量の電力が、そこに送られています』
冴木は、受話器を取った。
「山梨県警に連絡だ。…いや、待て」
彼は一度、受話器を置いた。
そして、静かに一人、コートを羽織る。
この、あまりにも哀しい芸術家の最後の創作活動を、無粋なサイレンで、終わらせるべきではない。
刑事としてではなく、一人の「鑑賞者」として、まずは、自分だけで会いに行く。
冴木の、刑事としての「美学」が、そう告げていた。




