08 美魚姫と海の怪物 ④
「ノドカ、重いからそろそろ降りてよ」
「ふ~ん……わたくしだけを仲間外れにした~お姉さまへのばつです~」
「もう、それはごめんって」
こんなことを言っているがノドカの表情は緩み、ニコニコとしている。今、こうして抱きかかえながら歩いているのもそんな甘えん坊なお姫様に対するご機嫌取りだ。
「おい、戻って来たぞ!」
長い海路を歩き、やっとの思いでグランバーグの町まで戻ってきた私たち。どうやらずっと帰りを待ってくれていたようで、町の人たちが出迎えてくれた。
――そしてその中に1人、見知った顔も紛れている。
「ごきげんよう、ユウヒさん。随分とお久しぶりな気がしますわ」
「あなたは……!」
「ふふっ、その反応はフリというものですわね。ならば再び名乗ってあげましょう。さあ1号、号令を――」
今日も引き連れている取り巻き冒険者に口上を叫ばせているのは、前世は魚だったと自称している変わり者の冒険者リーヴ・イエローテイルさん。
私たちとも個人的な交友のある人だ。口上を聞き流すことには慣れた。
「依頼を受けたもう1人の冒険者ってリーヴさんのことだったんですね」
「ええ。それにしてもつれませんわよ、ここで指をくわえて待っていろだなんて」
私たちがここを出発する時に言い残していった言葉を町の人はちゃんとリーヴさんに伝えてくれたようだ。
せっかく赴いてくれたことに対して申し訳ない思いもあるので事情を説明するためにもリーヴさんへと顔を寄せ、小さな声で言葉を紡いでいく。
「ごめんなさい。私たちもただの依頼目的だったんですけど、ここに来て初めて魔素が穢れていることに気付いて……」
「まあ。そちらのお仕事とは災難でしたわね」
これだけでリーヴさんは察してくれる。彼女は教団関係者以外で数少ない私たちの事情を詳しく知ってくれている人だ。
久々に会ったことで私たちが会話に花を咲かせようとした――その時、町の代表者が私とリーヴさんの元に近付いてきた。
「お取込み中すんません。俺たちにも話を聞かせてもらっても? 海の怪物の討伐は成功したってことでいいですかい」
「んー……それがですね、思った以上に複雑なことになっていまして。まず――」
私はあの海域を取り巻く真実とここに戻ってくるまでに考えた作り話を織り交ぜながら町の人々に説明する。
「――という訳でどうやら海の怪物だと思われていたクラーケンは女神ハルモニティア様と契約を交わした“聖獣”だそうで、海の魔物から皆さんを守ろうとしてくれていただけみたいなんです」
一通り話し終え、そう結論付けるがこの話を聞いていた人々は一様に怪訝な顔をしている。流石にこんな言葉だけでは納得ができないのだろう。
「それで実は本人……? えっと、人ではないんですけど来てもらいました。驚かないでくださいね」
私はクラーケンのラークにだけ分かるように合図を出す。すると陸地から少し離れた海中から、かの怪物がゆっくりと海上に姿を現した。
「ま、魔物だ!」
「ひっ、見ろ! あの触手、まさに俺が船の上で見たものとおんなじヤツだ!」
人々は騒然となる。やはり予想できたリアクションというか、当然の反応だ。
このままいけばパニックになってしまうのは火を見るよりも明らかなのですぐにどうにかするべきだろう。勿論対策は既に用意してある。
「皆さん、落ち着いて! あのクラーケンの胴体を見てください。見えませんか、あの紋章が!」
私は首に抱き着いているノドカの体をそっと手放すと同時に声を張り上げ、ラークを指さした。
「あれは聖教団のシンボル!?」
「その通りです。あれこそが女神ハルモニティア様と契約を交わした“聖獣”である証なんです!」
まあ、真っ赤な嘘である。さっき水に濡れても落ちづらいラーク自身の墨を使って10分程度で書かせてもらっただけの紋章だ。
これにはずっと私と町の住人とのやり取りを見守ってくれていたヒバナも呆れ顔である。
でも視覚情報というのは結構効果的というか、少なくとも町の人々は落ち着いてくれたようだ。
そのことにホッと息を吐く。
「《翻訳》のスキルを使って実際にクラーケンとも会話できましたので友好的であることは私が保証しますが、それでも心配は心配でしょうし、一度教会を通して聖教団に確認を取ってみてください。少し時間は掛かるかもしれませんが、女神様に繋いでくれるはずです」
こんなことを言っている私が当の女神本人であるわけだけど。この町を離れたらすぐに教団にも連絡しておこう。
「――そんな……あれは、まさか……」
「リーヴ、どうかしましたか?」
立ち尽くした様子でラークをジッと見つめているのはリーヴさんだ。そんな彼女の様子をコウカが心配そうな面持ちで窺っている。
私もリーヴさんの様子が急変した理由なんて皆目見当も付かなかったので、肩越しに身を乗り出してきたノドカと顔を合わせ、首を傾げ合う。
――そんな時だ。
「ラーク……あなた、ラークではなくって!?」
急にリーヴさんが走り出し、海岸へと近づいていく。
何故彼女がラークの名前を知っているのかなど訳が分からないことだらけだが、話をしやすくするためにも少しだけラークに陸へと近づいてきてもらうよう合図を出す。
『め、女神様ぁ……この人間さん、あ、あーしに向かって何を叫んでいるんですかクラ?』
リーヴさんが《翻訳》のスキルを持っていないからか、彼女とラークとの間で会話を交わすことは不可能のようだ。
仕方がないので、ここは私が通訳を務めよう。
「あなたの名前を知っているみたい。知り合いじゃないの?」
『し、知りませんクラ。人間さんに知り合いなんていないですクラぁ』
リーヴさんの必死な様子にどこか恐怖を感じているのか、ラークの体が少しずつ海の中へと隠れていってしまっている。
「ラーク、あなたはラークなのでしょう! あたくしです。あなたと一緒に大海原を旅した大親友、鰤のリーヴですわ!」
私は通訳係としてリーヴさんの言葉をそのままラークへと伝えてみる。すると――。
『リーヴっ!? ひ、ひぃぃっ!』
――驚いたかと思えば、今度は怯えてしまった。
『あ、ありえないクラ……リーヴは死んだクラ……絶対に何かの間違いクラ……大体あいつは鰤だったクラ……』
気が動転した様子のラークが頭を抱えながらブツブツと何かを呟いている。
『絶対にリーヴじゃない……あの人間さんはリーヴじゃない……よ、よし、とりあえず話をしてみるクラ。女神様、申し訳ありませんクラが通訳お願いしますクラ』
そう言って会話を始めるラークとリーヴさん。
終始旧友との再会を喜んでいるようなリーヴさんとは対照的に、ラークはどこか怯えの感情を纏っていた。
でもそれも会話を続けていくごとに変化していく。次第に怯えを見せなくなったラークは落ち着き払った様子で静かに呟いた。
『……やっぱり違うクラ。あなたはあーしの知っているリーヴじゃないクラ』
「えっ……何を言っていますの、ラーク」
『リーヴはあの時、人間さんの漁船に捕まって食べられたクラ。確かに死んだクラ』
「でもあたくしは一度死んで人間に生まれ変わって――」
『あーしの知っているリーヴは……もっと横暴で、どうしようもないロクデナシだったクラ。あなたとは全然違うクラ』
彼女たちのやり取りを聞いているうちにラークと“鰤のリーヴ”との関係性がある程度わかってきた。
そして、前世は魚だったと公言しているリーヴさんはその“鰤のリーヴ”であったと思っているのだろう。
でも――それはありえない。
「……それはそうだよ。魂の仕組みから考えても生まれ変わりというもの自体がありえないんだもん」
シズクの中では既に答えが見つかっているのだろう。
一度死んでしまった魂が再びこの世界に戻ってくることは絶対にありえない。それを女神になった私は一番よく理解している。
かといってリーヴさんが嘘をついているとは思えない。彼女はきっとただ勘違いをしてしまっているだけなんだ。
「どういうこと、ですの?」
「……死んでしまった魂がそのままの形でこの世界に帰ってくることはありえないんです。とても小さな無数の粒となってそれがたくさん集まっている源泉のような場所で、いずれ新しい魂が生まれる為の糧となる時を待つ」
少し悩んだ末に私は全てをリーヴさんに打ち明けることにした。
きっと今、彼女の心に巣食う転生者というアイデンティティを揺るがしかねない疑念を残しておくことの方が危うい。
「でもあたくしにはたしかに記憶があります。大海原を旅した記憶も、ラークのことだって!」
「え、えっと……言ってしまえば、あ、あなたには記憶しかないんだよ。それも完全じゃない」
この場を引き継いでくれたのはシズクだ。彼女はリーヴさんとは目を合わせることなく、淡々と言葉を紡いでいく。
「新たな生命が生まれる時、子供は親から魂の欠片を授かる。その時に込められた強い想いに触れることで親の声が聞こえてきたり、その記憶が少しだけ見えたりすることもある」
「それはあたくしも聞いた事があります、けど……」
「ここからはあたしの推測でしかないけど……多分、その食べられて死んじゃった鰤はすごく強い感情を抱いていたんだと思う。調理されて、食べられて、栄養として吸収されていく中でも残ってしまうくらいの大きな感情が」
ただただ無念だったのだろう。
リーヴさんが語る前世の話は大海原を旅したという話ともう少しで世界の海を制覇できるといったところで食べられたというところに集約されている。
「勿論、どれだけ強い想いを抱いていても“確かな魂の形を持つ人”には何の影響もないよ。でもまだ“しっかりとした魂の形がない命”がその想いに触れて、その記憶を断片だけでも見てしまったら……それを自分の記憶だと思い込んでしまっても不思議じゃないんじゃないかな」
その結果、彼女は自分をリーヴだと思い込んでしまった。そして彼女の人生もその時点で大きく変わった。
「例えば――体が作られていく過程にある胎児とか、ね」
きっとそここそが転生者“リーヴ・イエローテイル”と“マーチ・アンバージャック侯爵令嬢”の境目だ。
「あたくしは……リーヴじゃない……?」
恐らく今の彼女は凄まじいショックを受けているはずだ。
下手をすれば自分自身を形作るアイデンティティが崩壊し、自分を見失ってしまうほどに。
「あたくしは……いったい誰なの?」
でも、きっと心配することはない。彼女の持つ記憶なんてただの始まりでしかない。
彼女が今まで積み上げてきたものは全て、他でもない彼女自身が積み上げてきたものなのだから。
「――んっ、あれは何だ!?」
「大海原を渡る孤高の貴魚!」
「天原より再臨した天魚!」
「誰もが振り返る麗しの美魚!」
突然、大きな叫び声を上げたのはリーヴさんの取り巻きたちだ。これにはリーヴさんも目を白黒させている。
「それがあんただろう、お嬢! その魂に秘められた魚魂に俺たちは魅せられた! 俺たちを虜にしたのは他の誰でもない今、目の前にいるあんた――リーヴ・イエローテイルなんだ!」
彼女は鰤ではない。転生者でもない。ただの元貴族令嬢の冒険者だ。
「1号、皆……」
膝を突き、蹲っていた彼女が顔を上げて周囲を見渡す。
「あの、リーヴ。もう過去の記憶だけに縋って生きていく必要はないんじゃないでしょうか。もっと今の自分というものを認めてあげてください」
「コウカさん……」
「あなたは横暴なロクデナシなんかじゃなくて、正義感に溢れた熱い心を持っている人だということをわたしはよく知っていますよ」
何度も剣を交わせ、心を通わせあっているコウカは転生者ではない今のリーヴさん自身のことをよく理解しているのだろう。
「リーヴさん、こんなことを話してあなたに恨まれているかもしれない私ですけど、敢えて言わせてください」
私もここは勇気を持って彼女に向かって踏み出していきたいと思う。
「あなたには今のあなたが積み上げてきたものが確かにある。だから何も恐れず、あなたの人生を突っ走ってください。それが私の知っているリーヴさんらしいと思います」
「……あらまぁ、恨むだなんてあたくしも随分と安く見られたものですわね」
そう言って不敵に笑うと彼女はゆっくりと立ち上がった。
「オーホッホッホッホッホ、あたくしはどこまで行っても人間。でもこの心にはあたくしが魚魂と呼んでいるものが宿っている! それさえ分かってしまえば恐れるものなど何もなくってよ!」
リーヴさんは鉄扇を持った腕を天高く掲げた。
「1号、号令を」
「お嬢……ハッ!」
1号と呼ばれた男が姿勢を正し、胸を張る。
「――んっ、あれは何だ!?」
「大海原を渡る孤高の貴魚!」
「天原より再臨した天魚!」
「誰もが振り返る麗しの美魚!」
「そう。それこそがあたくし――リーヴ・イエローテイルですわ!」
今まで私が聞いてきた中でも最高の名乗りを上げたリーヴさんは居ても立っても居られないといった様子で言葉を紡ぐ。
「さあ、こうしては居られませんわ。まずはマーチ・アンバージャックとしての自分もしっかりと受け入れた新生リーヴ・イエローテイルとしてお母様たちに挨拶に行きますわよ!」
「でもお嬢は国外追放を受けた身じゃ……」
「そんなもの正面突破あるのみですわ!」
「おおっ、さすがお嬢! 絶え間なく流れ続ける水の如きその行動力、まさにお嬢の魚魂が為せる業!」
怒涛の如く彼女たちは去っていく。
だがある程度行った地点で彼女は振り返った。
「それではユウヒさんにコウカさん、スライムの皆さん、そしてラークもごきげんよう。ラーク、あなたが海のどこにいようとも今度はあたくしからあなたに会いに行きますわよ! あたくしと新たな友情を築いていきましょう!」
『げええぇぇっ! く、来んなクラ、あいつとは違うとわかっていてももうリーヴは懲り懲りクラぁぁ……!』
リーヴさんの言葉をそのままラークへと伝えると彼女はそんな反応を示し、自分も逃げるように海へと帰っていく。
そこに私はすかさず声を掛けた。
「あっ、ラーク! 大陸の西側にある龍の孤島を目指してみて! 私からも話を通しておくけどそこの責任者はすごく気性の穏やかな子だし、のんびりとした場所だからあなたも気に入ると思う!」
『情報提供感謝いたしますクラ、それではごきげんようクラ!』
そうしてラークはまるで手を振るように触手を振りながら海へと潜っていった。
「――なんか、嵐のように一気にいろんなことが過ぎていった感じだね」
「でも、少し強引なところもあるリーヴらしいです。……って、ああっ!」
微笑を湛え、私の隣で海を眺めていたコウカの様子が急変する
「せっかくリーヴと会えたのに……手合わせしてもらうのを忘れていました……」
「もう……ここにも相変わらずな子が1人、だね」
こうなってしまった彼女の取る行動なんて容易に予想できる。
あの子たちもそれに気が付いたのか、げんなりとした表情を浮かべた。
「ダンゴ、アンヤ、ヒバナ、やりましょう! 手合せです、今すぐにです!」
「ちょっ、ボクたちもう疲れているんだってばぁっ!」
「あ、アンヤも……同じ……っ!」
この後、何が何でも拒否する3人の次に私とシズク、それに続いてノドカまでもが指名され、コウカがどうにか落ち着いてくれるまで全員で首を横に振り続ける羽目になるのであった。




