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パンパンと大きな音がしたことで我に返る。感情的になっていたようだ。
「アネット、嫌いなどと簡単には言ってはいけませんよ」
「でも兄さま……、いえ、何でもありません」
言い返そうとした言葉は兄の睨みにあって、口にすることができなかった。『黙っていろ』という圧力を感じた。
「父上も頭ごなしに反対すれば、二人は駆け落ちするかもしれませんよ。二人そんなことになれば二度とアネットとは会えなくなってしまいます」
「二度と会えなくなると申すか? そんなことはあるまい。駆け落ちなどしても庶民の暮らしに馴染めず帰ってくるのがおちだ」
「確かに普通の貴族の娘には庶民の生活は耐えられないでしょう。ですがアネットは十四年も庶民として暮らしてきたのですよ」
兄の言うように庶民の生活が耐えられないなどということはない。正直今の生活の方が性に合っていないくらいだ。
「だ、だが……」
「でもロイドさんと結婚したところで遠くに行くのでしょう? バーリン辺境伯の領地は馬車でひと月もかかるのではないかしら。そのような所に行ってしまえば、一生会えないのと同じです」
「母さま……」
悲しそうに呟く母の言葉にどれほどの親不幸をしようとしているのかを悟った。母はずっと娘を聖女にしたいと思っていたのに、私のために諦めてくれた。その母の涙には弱い。でもごめんなさい。ロイドと一緒に生きていきたいの。
「それなら大丈夫ですよ。魔導列車の駅をバーリン領に作ればいいのです。あれならば二日で王都に帰ってこられるでしょう」
魔導列車というのはエドと兄が始めた鉄道事業のことだ。なんでも馬車よりも早い乗り物だとか。よくわからないのでなんでも知っているアオに尋ねたら『ピューンって感じでとにかく早いのよ』って言われた。ピューンって言われてもね。
「魔導列車はまだできていないのであろう。王への根回しは終わったのか?」
「王の許可は得ました。国の協力がなければこの事業は成り立ちませんから。話を聞きつけた領地からは自分の所に駅を作ってくれと催促されています」
「そうか。だがエドモンドは婚約を解消してもこの事業に協力してくれるのか?」
「それは大丈夫です。彼には似合いの娘がいますから」
「なんだと! アネット以外に女がいたのか?」
父が怒っている。これは兄の言い方が悪い。
「アネットにも他に男がいたのですからいいではないですか」
「だが…」
「アンナですよ。エドとアンナを婚約させたのは父上ではないですか。エドはずっとアンナを忘れなかったのです」
「アンナか。そうか。アンナと……」
「まあ、アンナと…」
両親はそれ以上は何も言わなかった。
エドとの婚約解消については父が話をつけてくれることになった。




