ニュクス
夜の女神、本来の力の全てを取り戻したニュクスは、百を超える数の邪神を相手に戦っていた。
「フハハハハッ!! どうしたッ、その程度か邪神共!」
「ルゥゥゥゥゥン!!」
夜そのものである宇宙という空間。そこを支配するのはニュクスだ。邪神達の殆どは簡単に身動きを封じられ、睨むことしか出来なくなっていた。
「さぁ、選別だッ!」
ニュクスが手を突き出し、強く握ると、半分以上の邪神が宇宙そのものに潰されて消滅した。
「ほう、意外に残ったな!」
笑うニュクスの背後に、蟷螂のような鎌をもたげた黒い人型が現れた。
「死ね」
「くくッ」
振り下ろされる鎌は、ニュクスに触れる寸前で宇宙に溶けて消え、振り返りながらニュクスがその人型に触れると、黒い体も溶けて消えた。
「フハハハハッ、どうしたッ! その程度かッ!?」
「ルォォァァアアアアアァァァァン」
巨大な星の形をした邪神が、ニュクスの拘束を突破して動き出した。真っ直ぐにニュクスに向かってくるその邪神。溢れる冷気はニュクスを呑み込み、その肌を凍り付かせていく。
「フハハッ」
しかし、凍りながらもニュクスは笑った。そして、逃げようともせずに星の邪神を睨む。
「眠りし邪神を呼び起こし、破滅に導く邪神……確か、グロースだったか」
グロースはニュクスをそのガスと塵の体の中に呑み込んだ。魔力と神力、冷気と毒。荒れ狂う嵐の只中に入ったニュクスはしかし、滅びることは無い。
「ここで殺せるのは、僥倖だッ!」
「ルォォォォォッ!?」
恒星の如き凄まじい光が発生し、グロースの体が内側から消し飛んでいく。
「ルゥ、ォォ……ゴ、ォォ……ギ、ギゴ……ヴ……」
美しい歌声はメッキを剥がされたように錆びついた声に代わり、グロースは光に呑まれてやがて消え去った。
「さて、残りは……っと」
ニュクスは四方八方から開いた空間の歪みから飛び出して来た触手を同時に素手で弾き、周囲を見回す。
「吾輩の拘束を突破し始めたようだな」
段々と動けるようになり始めた邪神達。ニュクスは笑い、一周するように片手を一振りした。
「滅びよ」
ニュクスの周囲一帯に、星が弾け飛んだような爆発が幾つも発生した。不安定になった重力を一息で正すと、残った一柱の神を睨み付ける。
「ふん、ダオロスか」
それは、人間の眼では正確に捉えることが不可能な程に幾何学的で、複雑で多次元的に入り組んでいる実体の邪神。半球と棒を無限に組み合わせたような、どこか機械的でもある異形には、寄生するように無数の触手が生えている。
「ニュクスか……アザトースに滅ぼされた筈だ」
「あぁ、滅びかけたぞ。だが、吾輩は僅かな欠片をただの人として生き永らえさせた。記憶も、力も、全てを捨ててな」
ニュクスは笑みを浮かべ、片手を真っ直ぐ上に伸ばし、天を指差した。
「だが、夜そのものである吾輩から力が失われようとも、夜は消えない。ここは、宇宙は、そのままだ。故に蘇ったのだろう。記憶も、力も……この美しき夜からな」
「そんなことで、失った力を取り戻せる筈がない……神の力だぞ」
ダオロスは時空を歪ませる触手をニュクスへと伸ばす。
「さてな。それは吾輩もそう思うが……しかし、実際こうして力が戻っているのだ! それが唯一絶対の事実に他ならん!」
「ッ!?」
触れれば肉体が歪み原型を失う筈の触手を、ニュクスは素手で弾き、瞬きの間にダオロスの眼前まで移動した。
「尤も……人であることを望むなら、また吾輩は全てを失うことになるだろうがな」
ダオロスの複雑怪奇な肉体。その中心に全てを吸い込む巨大な重力が生み出された。ブラックホールと呼ばれるそれは、自然に発生するものとは構造も能力も違い、邪神であるダオロスすらも吸い込み、呑み込んでいく。
「貴、様……ニュクスッ! 前よりも、強、く……」
「当たり前だ。宇宙を、星を、その全てを理解しようとしたのは人になってからだからな……今の吾輩は、ただの神であった頃の吾輩よりも強い。至極、当然にな」
消え去ったダオロス。ニュクスはここからは見えない筈の地球を、目を細めて見た。そうしているだけで、ニュクスの体からは神力が漏れ出し、宇宙の中に溶けていく。
「やぁ、ニュクス……いや、アステラスって呼んだ方が良さそうかな?」
そこには、柔らかい笑みを浮かべた中性的な神が立っていた。
「ニャルラトホテプ……そうか。あそこは幻夢郷だったな」
ドリームランド。それは、ある意味で異界のような場所だ。人々が夢を見ることで辿り着ける、異形の者どもが住まう世界。
「そうさ。私はドリームランドのニャルラトホテプ。本体という訳では無いが、そこそこ強い権限を持っているし、中々に長い時間を生きて来たつもりだよ」
ニャルラトホテプは神力の漏れ出していくニュクスを見て、悲しそうな表情を浮かべた。
「しかし、そうか……君は人であることを選ぶんだね」
「あぁ、弟子がいるものでな」
アステラスはニャルラトホテプを見ることなく、遥か彼方にある地球を見ていた。
「私のお願いを、聞いてくれないかな?」
「何だ?」
一瞥もせずに言うアステラスに、ニャルラトホテプは細い手を伸ばした。
「どうか私の手を取って、再びアザトースと戦ってくれ。このまま神々を呼び起こしていけば、今度は完全にアザトースを滅ぼせるかも知れないんだ」
「……アザトースか」
ニュクスは振り向き、ニャルラトホテプを見た。同時に、漏れ出す神力の量が減っていく。
「確かに、憎い。滅ぼしてやりたい。だが……少なくとも、吾輩の弟子が死ぬまでは地球を危険に巻き込みたいとは思えん。アザトースを滅ぼすということは、一度起こすことになるということだろう」
「……そうだね」
ニュクスの答えに、ニャルラトホテプは一息の後に頷いた。
「くふふ、そうかぁ……ダメかぁ」
ニャルラトホテプは僅かに視線を上げ、目を細めた。
「仕方ない、諦めよう」
ニャルラトホテプは切り替えるようにニュクスを見ると、柔らかい笑みを浮かべた。
「幻夢郷の私としては、アブホースが死ぬということだけで満足しておくさ」
「悪いが、それで頼む」
ニャルラトホテプは頷くと、ニュクスに手を翳し、その体を元居た場所に返した。
「それか、そうだね……あの子が、全てを終わらせてくれるなんて希望に、縋っておくのも良いかもしれない」
ニャルラトホテプは宇宙の彼方を、誰も辿り着けない場所にある異空間を見て祈るように微笑んだ。




