『Borcana』
俺達が入ったのは『Borcana』というそこまで大きくない店だった。席と席の間も近く、秘密を話すのには向いていない。
「まぁ、良いか」
別にここで話し込む必要も無いからな。純粋に食事を楽しむとしよう。
「ここはワインを楽しむ店のようですね」
「飲むか?」
「ワインは飲んだことねぇな」
カラスが笑みを浮かべながら言う。今は当然、人間の姿だ。
「折角だから、全員飲みましょう?」
「そうだな。どうせ、ふらふらに酔うようなことは無い」
俺達は全員、ただちょっと酒を飲んだだけで酔っ払うことは無い。
「注文はどうする? 俺は……スペアリブでも食うか」
「カァ、俺はこのサーモンのが良いな」
「私は……そうね、これが良いわ」
「俺はステーキで頼むぜ。当然、赤ワインだ」
メニュー表に書かれた言葉はスペイン語。当然、俺はスペイン語を理解してはいないが、読むことは出来る。
「すみません、注文よろしいでしょうか?」
「はい、大丈夫ですよ」
店員が寄ってきて、スペイン語を早口で話した。魔術が無ければ何を言ってるか全く分からなかったことだろう。
「先ずは、このワインのテイスティングコースを……」
そういえば、これが初めての海外か。
「……初の海外はチリになったな」
サンティアゴ、悪くない街だ。歩いていて悪い気分にはならなかった。まだ、スリにも狙われてないしな。
「ハハッ! そんで、チリの次は南極かぁ?」
「南極を海外に含むかは微妙だけどな……ていうか、あんまり言うなよ」
日本語とは言え、バレないとも限らないからな。
「そうですよ。今だけはただの旅行ということにしておきましょう」
「……お母様とお父様が帰って来たら、そのまま少し旅行をしても良いかも知れませんね」
その場合は三人で家族旅行だな。俺達が混ざると気まずい。
「そういえば二人とも、予定は大丈夫だったのか?」
「勿論大丈夫ですよ。それに、そろそろ話も落ち着いて来たので」
メイアとステラは取材なんかの予定が結構あったはずだが、流石に調整はしてきたらしい。俺とは違って計画性があるな。
「カァ」
「あ?」
カラスと東方が、同時に声を上げた。
「見られてるぜ。店の外からな」
「あぁ、敵だな」
カラスの言葉に、俺は悟られないように窓の外を見る。そこには確かに、木の後ろからこちらを凝視する男の姿が見えた。
「……面倒臭いな」
「本当にそうですね」
「空気が読めない敵ね」
俺達は目配せしあい、息を吐いた。
「どうせ、報告を入れるだけの木っ端だろうからな。無視しても良いが」
「ここで態々殺しに行く理由も無いということですね」
「んじゃ、放置ってことでオーケーだな?」
吸血鬼の性質的に、この街中で襲い掛かって来ることは無いだろうが……いや、ちょっと待てよ。
「アレは吸血鬼じゃないよな?」
「あぁ、アレは狼男だな」
狼男。吸血鬼の下僕みたいな感じだったか。
「じゃあ、尚更放置で良さそうだな」
俺がそう口にした瞬間。店の扉がガチャリと開いた。
「おい」
男がズカズカとこちらに歩いて来て、東方を指差した。
「表に出ろ。ダンピール」
「意外だな。ご指名だぞ、東方」
「……マジかよ」
どうやら、アイツの標的は俺達じゃなかったらしい。
「カァ、行って来たらどうだ?」
「なぁ、助ける気は皆無か?」
ドンッ、机に男の手が叩き付けられる。
「ふざけるなよ……三秒以内に席を立たなければ殺す」
「行くかぁ……」
東方が溜息を吐きながら席を立ち、店の外へトボトボと歩いていった。
「お客様、大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫だ。アイツの連れらしい」
寄ってきた店員に軽く説明すると、直ぐに頷いて去って行った。多少のいざこざ程度はそう珍しいことでも無いのかも知れない。
「まぁ、東方狙いの奴ってことはアイツの手下でも無いだろう」
「いえ、そうとは限りません。無関係を装った捨て駒の可能性もありますから」
確かに、それもそうか。
「だとすれば、他に見ている奴が居るか……」
「あの男自身に何かが仕掛けられているか、でしょうか」
そうして話していると、直ぐに東方は戻って来た。
「ったく……月も出てねえ狼男が勝てるわきゃねえだろうが」
「無事だったか?」
東方は腕を大きく広げる。
「この通りな。余裕だったぜ」
「そうみたいだな……殺したか?」
東方は首を横に振る。
「流石に、街中でやんのは気が引けるからな。路地裏に寝かせてあるぜ」
「そうだな。それなら……」
俺が席を立とうとした瞬間、テーブルの上に料理が置かれた。
「お待たせ致しました」
並んでいく料理を前に、俺は腰を降ろした。
「まぁ、後で良いか」
尋問は昼食の後だ。




