東京都新宿区
東京都新宿区。この日本で最も栄える場所の一つであるその地に、悪魔ベリアルが顕現した。
「ギャハハハッ、こりゃすげえなァ! これが今の人間の街って訳かァ? マジで面白そうだなこりゃァ!」
燃え上がるチャリオットに乗って空中から突然現れ、その上で楽しそうにはしゃぐベリアル。彼から放たれる膨大な魔力に、人間たちは逃げ出していく。
「さァ、どうやって遊ぶかって話だが……ただ暴れ回るだけってのも美しくねェ」
ベリアルは空中のチャリオットから飛び降り、新宿の街をゆっくりと歩き出す。チャリオットは炎と化して霧散した。
「んー……っと、ちょっと兄ちゃんよォ。止まっちゃくんねェか?」
ベリアルに肩を掴まれたサラリーマン風の男は怯えながら足を止め、振り返る。
「な、何ですか……?」
「安心しろよ、死にゃァしねェ」
ベリアルは男の手を掴み、引っ張ると、顎に手を添えて男の目をジーッと見た。
「ぅ……」
男でも揺さぶられるような端正な顔を近付けられた男は息を呑み……そして、気絶した。
「んぁ? ちょっとやりすぎたかァ? ま、死んじゃ居ねえし良いだろ」
ベリアルは倒れた男を道の端に寄せると、また新宿の街を歩き出す。
「しかし、今の人間は昔よりも戦士と町民の差が広がってるみてェだな」
男の記憶を覗き、肉体の構造を把握したベリアルはふんふんと唸る。
「ソロモンの命令もあるからなァ……丁度良いだろォ」
ベリアルは足を止めると、その体から膨大な魔力を放出し、地形に沿わせるように広げていく。
「こいつの記憶だと……ここくらいかァ」
ソナーのように放出された魔力は新宿の地形を完全に把握し、そのままドームを形成するように広がっていく。
「さァ……久々の結界術だァ!!」
新宿を覆うベリアルの魔力が橙色の炎へと変化し、その炎が強力な結界を形成する。触れても燃えることはなく、熱さすら感じない炎だが、その炎は確かに結界を形成し、保つ為の重要な要素だ。
「来るもの拒まず、去るもの許さず……」
中に入るのは自由だが、外に出ることは許されない性質の結界。人々は突然新宿を囲んだ炎の結界に混乱し、建物の中へと逃げて行く。
「さァ、楽しいゲームの始まりだぜェ」
ベリアルの背から燃えるような橙色の美しい翼が生え、その体が空へと上がっていく。
「ギャハハッ、全員ビビってんなァ!?」
空中から街を見下ろし、ベリアルは笑う。
「んんッ! じゃァ、行くぜェ……」
ベリアルは喉の調子を確かめると、両腕と翼を同時に広げた。
『――――よォ、見えてるかァ!? 聞こえてるかァ!?』
結界で覆われた新宿の中に、ベリアルの声が大きく響く。
『オレはベリアル。堕天使で悪魔……悪徳の権化たァ、オレ様のことだ』
笑みを浮かべながら、ベリアルは言った。
『もうわかってるだろうがァ、テメェらはオレ様の結界に囚われてる。つまり、この新宿っつー街から出るこたァ出来ねえってことだァ』
告げられた内容に結界内の人間は悲鳴を上げ、周りの人間と不安げに視線を通わせる。
『んで、オレが何の為にテメェらに語りかけてるかって話だが……まァ、突然現れて急に街を滅ぼすってのもフェアじゃねェだろ? だからよォ、今から……そうだなァ』
ベリアルは少し考え込むようにして、顎に手を当てた。
『一時間だァ。一時間後にこの結界の中の人間を殺戮し、新宿を破壊する。それまでに、オレに勝てるって奴は挑んで来い。この一時間の間にオレを倒せりゃァ、一人の被害も出さずに済むって訳だァ』
広がるどよめき、新宿の空を舞うベリアルは不敵な笑みを浮かべる。
『結界は出ることは出来ねえが、入る分には自由だからなァ、強い奴を外から呼んで来るってのも可能な訳だァ。だがァ、この結界を破壊されたらその時点で殺戮を開始させてもらう。そっちからゲームを無視するって言うなら、こっちもそうするだけってこったなァ』
ベリアルの作り出した結界を破壊しようと試みていた魔術士や研究者達は一斉に動きを止め、苦い顔をした。
『だが、あんまり退屈だとオレは耐えられねェからなァ……十分経っても誰も挑んで来なければ、一発適当にぶち込む。どのくらい死ぬかは分からねェが……オレを楽しませてくれよォ?』
ルールを一つ付け加えたベリアル。だが、その一つだけで人々の間には重い緊張が走った。
『そうだァ、一応先に言っとくがァ……オレァ、王の悪魔。元熾天使のベリアル様だァ。久々の顕現で力も弱まってはいるが……それでも、クソ強ェぜ?』
そう言い残し、ベリアルは新宿の上空に更に浮かんでいく。すると、結界が変形し、低いドーム状だったその天井が上へ上へと伸びていく。
『さァ、元熾天使様による神聖なる勝負だからなァ……相応のステージも必要だよなァ?』
そして、新宿の遥か上空まで飛んだベリアルは、そこに結界と同じ橙色の炎で巨大な正方形のステージを作り出した。四隅に柱が立ち、その上で光のような炎が燃える、どこか神聖さを感じさせるステージだ。
『勇気ある者よ、強き者よ。我は天上にて挑戦を待つ……ギャハハッ! どうだァ、天使っぽいだろォ! 偶にはこういうのもアリだなァッ!?』
ステージの中央に創り出された玉座に座り、ベリアルは愉快そうに笑う。
『しかし、こんだけ整えたんなら観客にも配慮すべきかァ……そうだァ、報道ヘリとかあんだろォ? 折角だから飛ばしてくれよォ。十分以内でなァ? 勿論、攻撃はしねェ』
ベリアルはルールを漸く説明し終えると、玉座に腰を下ろしたまま指を弾いた。
『よォし、退屈な準備はこれで終わりだァ』
天上のステージから炎の階段が現れ、地面に伸びて行く。地上数百メートルのステージに繋がる階段は相当の長さで、常人であればただ上るだけでもかなりの時間と労力がかかるだろう。
『さァ、人間ども……ゲームの始まりだァ』
ベリアルの手元に生み出された炎の砂時計が、正確に時を刻み始めた。




