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118 ちょっと名残惜しいですが、旅立ちの時です

 建物や塀を飛び越えて、二人が降り立ったのは第一城郭外れの庭園。

 狩猟大会までの三週間の間、秘密の逢瀬を繰り返した二人の思い出の場所。


「はい、到着だよ」

「あなた……、よく迷わずに来れたわね」

「あはは、高ーくジャンプしながら行ったからね。上からチラチラ見えたから、まあ何とか」


 手を握ったまま、二人は庭園の長椅子に静かに腰を下ろした。

 甘い香りが漂う、色とりどりの花が咲き乱れる庭園は、夜の帳に包まれて昼間とは違う顔を見せている。

 花の色は夜闇に溶け、生い茂る高い生垣が城から漏れる明かりを阻み、中天にかかる月の光のみが二人を優しく照らしていた。


「……静かだね」

「ええ、あなたと会うに当たって、誰の目にも付かないからここを選んだんだもの。私も夜に来たのは初めてだけれど」

「あの時はまだ、ラナちゃんだけだったよね、ボクたちの仲を知ってるの。いつの間にか姫騎士団のみんなとか、屋敷のみんなまで噂し始めちゃったけどさ」

「本当にね。噂は噂、それ以上のものではないのだけれど。でも、人目を避けていた頃からは随分進展したわよね」


 王宮に住むアーカリア王国の第三王女と、イリヤーナに住む鍛冶師の見習い少女。

 暮らす世界も全く違う、接点すら無かったはずの二人がこうして仲を深め合っている。

 それだけでも奇跡なんじゃないか、これ以上を望むのは我がままなんじゃないか。

 これまで何度も自問自答してきたクロエだが、答えはいつも一緒。

 身分を言い訳にしたくない。

 リースと一緒にいたい気持ちに、そんなものは関係ないから。

 そう思えるようになったのも、全てリースのおかげ。

 身分を言い訳に夢を諦めることを良しとしない、そんな彼女の信念に触れたからこそ、そう思えたのだ。

 それでも、あの時——泣きじゃくるリースを前にした時、何も言えなかった。

 リースと夢を天秤にかけて、彼女を置いていく選択をしてしまった。


「……ごめんね」

「何よ、突然謝ったりして」

「あの時、リースが泣いてた時、何もしてあげられなかった。こうしてボクらの旅について来られるのも、ルーフリーさんが提案して、王様が許可してくれたおかげだし。結局ボクの力じゃ、リースのために何も……」

「思いあがらないで」

「……リース?」


 強い口調で言葉を遮られ、ビクリと肩を震わせたクロエに対し、リースは柔らかな口調で諭すように語りかける。


「いい? あなたはただの鍛冶師なのよ。あの状況であなたに一体何が出来たというの? お城から私を無理やり連れ出す気? 王女という身分を捨ててでも、自分について来いと?」

「そ、そんなことしないよ。リースは王女であることに誇りを持ってるんだもん」

「ええ、そうよ。もしこんな提案をしてきたら、私は心底あなたを軽蔑したでしょうね」

「う、うぅ……」

「だから、あなたが気に病む必要なんてないの。親善大使としてアイワムズに赴く、そのくらいのアイデアなら私にだって捻り出せたはずよ。それを実現出来る力を持ちながら、なにもせずにメソメソしていた。これは私の落ち度、あなたは何も悪くないの」


 王女は柔らかく微笑みながら、繋いだままの手を少しだけ強く握った。


「リース、やっぱり強いね。信じられないくらい強いよ。世界最強なんじゃないかな」

「ふふっ、何よそれ。……私はそんなに強くないわ。それにね、あなたは何も出来ていないわけじゃない。私が弱さを見せられる相手なんて、世界であなただけなんだから。私が強いように見えるなら、それは遠慮なく弱さをさらけ出せるあなたがいるおかげよ」

「——そっか。ボク、ちゃんとリースの支えになれてるんだ」

「ええ。だから何かの役に立とうだなんて考えなくていいの。黙ってこの私について来なさい!」

「あははっ、頼もしいお姫様」


 ドンと胸を叩いて見せたリース。

 思わず笑ってしまったクロエに釣られてリースも吹き出し、二人は笑い合う。

 やがて笑い疲れた二人は、どちらともなく肩を寄せ合い、寄り添って月を見上げた。




 ○○○




 翌朝、旅立ちの日。

 クロエの部屋に押し掛けたリースは、旅の準備を手伝ってもらっていた。

 彼女の出で立ちは白銀の胸当てとグリーブ、王家の紋章が刻まれた腰までの長さの白いマント、腰には両刃の剣を佩き、背中側に背負うのは円形の鉄の盾。

 そして、もの凄く大量の、ギリギリこの部屋のドアを通るくらいの大荷物を後ろ手に引き摺っている。


「……あの、リース。もしかしてそれ、全部持っていくつもりなの?」

「ええ、それが何か?」

「何が入ってるか、聞いてもいいかな」

「まずは厳選した最低限の着替えを三十着分と」

「はい、ちょっと待って。もう二十五着ほど置いていこうね」


 クロエの発言に対し、お姫様は信じられないものを見たような目を彼女に向ける。


「いや、何さその顔。こっちの表情だよそれは」

「……三十着よ? たったの三十着なのよ?」

「セリムならそのくらい持ってるけどさ……」

「あら、そうなの。やっぱり問題ないじゃない」


 リースはセリムについて、一定の常識を持ち合わせた人間であると評価している。

 彼女が三十着持っているのなら、自分も持っていって問題無し、そんな判断だった。


「いやいや、セリムには時空のポーチがあるからそんな無茶が出来るのであって……」

「……どうしても、ダメなの?」

「我慢して」

「わ、分かったわ……。旅って、辛いのね……」


 旅の過酷さを早速実感したリース。

 厳選に厳選を重ねた服を引っ張り出し、泣く泣く更に厳選する。


「で、あとは何が入ってるの」

「お茶会用のティーセット」

「よし置いて行こう! あとは!」

「折り畳み式の丸テーブルと椅子」

「出しといて! それから?」

「そのテーブルに差すパラソル」

「……キミ、何しに行くつもりなのさ」

「旅、だけど?」


 不思議そうに小首をかしげるお姫様。

 クロエは疲労感の中、改めて住む世界の違いを実感する。

 彼女の荷物を一緒に洗い直し、不必要なものを取り除いたところで、ようやく彼女の荷物は常識的な範囲の大荷物になった。


「……ふぅ、これで良し」

「たったこれだけなの? 思った以上に旅って大変なのね。ちょっと甘く見ていたかも」

「うん、甘く見過ぎだから。あー、先行きが不安だー……」


 世間ズレしたお姫様と、くっつきたてのバカップルとの長い旅路。

 自分の胃が耐えられるのか、クロエはさっそく不安に満ち満ちていた。


「……さてと、じゃあボクも」


 クロエは昨夜のうちに纏めておいた荷物を肩にかけ、つなぎに大量の魔力カートリッジを収納する。

 荷物の中身は替えのつなぎ三着、愛用のハンマー、魔力石採掘用の小型ツルハシ。

 そして、改良を施したドリルランス改を背中に背負う。

 本来巨大なドリルランスであるが、携帯性を高めるために穂先を左右に分割して柄の側に折り畳み、更に柄そのものを三つの節で折り畳めるように改良。

 もちろん向上したのは携帯性だけではなく、内蔵ギミックも大幅に強化されている。

 しっかりと折り畳まれてはいるが、ボタンひとつで合体音を轟かせながら普段通りのドリルランスの形態に戻るため、咄嗟の戦闘にも対応可能だ。


「おっし、準備完了! それじゃあソラたちの部屋に行こうか」

「ええ。……本当に少ないのね、荷物」


 部屋を後にした二人は、その足でセリムたちの宿泊する部屋へと向かう。

 以前ノックをせずに開けてしまい、真っ最中の場面に遭遇してしまったクロエは、あれ以来ノックを絶対に欠かさない。

 友人たちの濡れ場を何度も目撃するなど、彼女自身も御免こうむる。

 しかし出発直前の今、さすがにしてはいないだろう。

 そう思いつつも念のため、クロエは扉を軽く叩き、中の二人に呼びかける。


「おーい、クロエだよー! 二人とも、そろそろ準備は整ったー?」


 ドタン!

 ドシン!

 バタバタバタ!


 ——ソラさん違います、そのパンツ私のです!


「あー、もぅ……」

「ねえ、クロエ。私も先行き不安になってきたのだけれど」


 扉の向こうから聞こえてくる物音と親友の声に、クロエは思わず両手で顔を覆う。


「何やってんのさ、もうすぐ出発だってのに……」


 数分後、息を切らせた旅装姿のセリムが扉を開けた。

 さすがというべきか、その身だしなみはしっかりと整っており、髪型のセットも完璧。

 胸元で揺れる大きめのリボンがチャームポイントの、短いマントがついた青い旅装を着用し、髪型はしっかりツーサイドアップ、前髪までばっちり決まっている。

 ただ、少しだけ汗ばんでいるようだ。

 急いで準備したからかなー、と現実逃避気味に考えるクロエ。


「えっと、とりあえず、準備は完了ってことでいいのかな」

「はい、もちろんです! ソラさんも、いいですよね! いつでも出発できますよね!」

「あたしもオッケーだよー」


 ソラは真新しい黒竜素材の鎧とガントレット、グリーブをスカート付きインナーの上から装備した勇ましい姿。

 背中に背負う剣は、クロエが鍛え上げたアダマンタイト製の世界最強の剣。

 頭には動物の耳のように角を二つ立てた、彼女のトレードマークでもある大きな赤いリボンがゆらゆらと揺れている。

 おそらくはセリムに髪を結んでもらい、付けてもらったのだろう。

 彼女たちには武器以外の手荷物は無い。

 この夫婦はお互いの全ての持ち物を、時空のポーチに突っ込んでいる。


「……急いでた割には、髪型のセットとかは完璧だね」

「あー、元々準備は出来てたからねー。あとはクロエたちを待つだけってところで私が我慢できなくなって襲いもごっ」

「さー行きましょう! 王様たちもお見送りに来て下さってるんですよね!」


 皆まで言おうとしたソラの口を手早く塞ぎながら、セリムは出発を急かす。


「そうだね……。行こう、リース……」

「ええ……。本当に、旅って大変そうね……」


 屋敷を出る前から疲労感たっぷりのクロエと、そんな彼女に心底同調するリース。

 先行きに大いに不安を抱きながら玄関ホールまでやって来たところで、リースは驚きに目を見開く。

 屋敷中の使用人が総出で、彼女の見送りのため、二列に分かれて整列していた。

 主人の姿を見止めるや否や、彼ら彼女らは一斉に頭を下げる。


『姫殿下、いってらっしゃいませ!!』


「あ、あなたたち……。ええ、行ってくるわ」


 驚きの表情はすぐに消え、勝気な笑みを湛えて威風堂々、王女は三名のお供を引き連れ、胸を張って使用人の間を進む。

 列の最後、玄関扉のすぐ側に控えるラナ。

 彼女は扉を開き、その傍らで深く頭を下げる。


「……ラナ、私が留守の間、屋敷を頼んだわよ」

「はい……、お任せください……。心置きなく、いってらっしゃいませ……」


 従者の見送りを受けながら、玄関を出て日の光の下へ。

 最後に一度振り返り、自らの屋敷を仰ぎ見ると、彼女は颯爽と歩き出した。



 アイワムズの国土はアーカリアス大陸の約六分の一、大陸北西部に位置している。

 方角は西、旅立ちは当然王城西門からだ。

 親善大使たる王女リース、そして救国の英雄たちの出立を見送るのはアーカリア王と王妃、その側近のルーフリーに、王の忠実な僕たる王城騎士団総員。

 そして、リースを主と仰ぐ姫騎士団の三十名。

 居並ぶ四人の少女のうち、王はまず命の恩人であるセリムに言葉をかける。


「セリムよ、お主に受けた恩、決して忘れはせぬ。いつかまた、顔を見せに来てくれ」

「はい、勿論です」


 固く握手を交わすと、次はソラの前へ。

 彼女の背負った剣に目を向けたあと、じっとその青い瞳を見る。


「ソレスティアよ、お主が背負ったその剣、それを背負う意味は分かっておるな」

「はい、勿論です。無暗な口外は決して致しませぬ」

「うむ、信じておるぞ」


 深く頷き、次はクロエの前に進む。


「クロエ、まさか本当にあの剣を完成させるとはな。お主、本当に父を越える鍛冶師となるやもしれぬ」

「いっ、いえっ、そんなっ」


 緊張で舞い上がってしまったクロエに苦笑しながら、王は最後に娘の前へ。

 旅立つ愛娘の側に、母である王妃も歩み寄り、彼女の体を抱きしめる。


「あぁ、リース……。どうか無事に戻って来て。母はいつまでも待っています……」

「ええ、お母様。私は大丈夫ですから」


 名残惜しげに娘を放す王妃。

 涙ぐむ彼女とは対照的に、王はただ黙って娘の顔を目に焼き付ける。


「……リースよ」

「お父様、語る言葉は要りませんわ。……行ってきます」

「うむ、行ってこい。行って多くを得て来るのだぞ」


 王が右手を高々と掲げると、王城騎士団の演奏するファンファーレが鳴り響く。

 王都郊外までは、姫騎士団が彼女たちを護衛する手筈だ。

 ブリジット以下三十名の騎士を引き連れ、四人の少女は王城西門をくぐり、長い旅路に出た。


 西大通りは、まるでパレードでも行われているかのような様相を呈していた。

 両脇に寄った人の群れが道を作り、その中央を姫騎士団に守られた四人の少女が行く。

 この国の危機を救った彼女たちの名を知らぬ者は一人としておらず、その姿を一目見ようと民衆はこぞって群がり、パニックを抑えるために衛兵隊が駆り出される始末。

 肩で風を切り、威風堂々進むリースと、呑気に両手を振ってひたすら声援に応えるソラ。

 この二人とは対照的に、セリムとクロエは息が詰まるような思いであった。


 やがて彼女たちは長い西大通りを抜け、王都西門を通過。

 そのまま一キロほど進んだところで、一行は一度足を止める。

 いよいよ姫騎士団の面々とも、しばしの別れの時。

 ブリジットが代表してリースの前に進み出て、片膝をつく。


「姫殿下、我らのお供はここまでです」

「ブリジット、騎士団の修練はあなたに任せたわ。私が戻った時、王城騎士団にも負けない精強な騎士団となったあなた達を見せて頂戴」

「必ずや」


 団長が主君と言葉を交わす間、エミーゼはクロエに思いっきり顔を近付けて鼻息荒く詰め寄る。


「クロエさんッ! 姫殿下との禁断の恋、間近で見届けられないのは大ッ変、心残りではありますが! どうか、どうか戻った時はそのラブストーリーを一部始終余すことなくこの私に、お聞かせくださいませッ!」

「いや、あの……。エミーゼさんが期待してるようなことにはならないから……。あと、顔近い……」

「二人の恋の行方なら、私が代わって見届けさせていただきます! 身分違いのロマンスが成就するまでの一部始終、必ずこの私の心に刻みつけますから!」

「ああ、セリム様!」


 がっしりと握手を交わすセリムとエミーゼ。

 ほぼ初対面にも関わらずこの同調率。

 やはりこの二人の間には、通じ合う何かがあったようだ。


「こら、最後まで何やってんだ、お前は。整列だ、皆さまをお見送りするぞ」

「あてっ」


 ブリジットに頭を小突かれ、副団長は整列した騎士団の中に引っ張られていく。

 広い王都への街道に三十名の騎士が横一列に並び、旅立つ主君に対して敬礼。


『姫殿下、我ら一同、無事の御帰還をお待ちしております!』


「……ええ、留守はよろしくね」


 団員全員の顔を順番に目に焼きつけると、リースは彼女たちに背中を向けて歩き出す。


「さ、行くわよ、あなたたち」

「はい。少々名残惜しいですけど」

「思えば王都にも、結構長くいたもんね」


 リースの後に続き、三人も歩を進める。

 先頭を歩いていたリースはふと足を止め、後ろを振り向く。

 彼方にそびえる白亜の城、生まれ育った王城を、彼女はじっと見つめた。


「……リース、寂しいの?」

「ふふっ、まさか。ただ、しばらくの間は見納めだから。それだけよ」


 心配そうに窺うクロエに笑みを返すと、リースは再び歩みを進める。

 今度こそ振り向かず、真っ直ぐに西の果てを見据えて。



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