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捕獲されました。[連載版]  作者: ねがえり太郎
捕獲しました。 <亀田視点>
23/288

22.抜け殻です。

仕事があるって素晴らしい事だ。

何の感動も無く、俺は思った。

少なくとも仕事に没頭し、熱中していれば余計な事を考えなくて済む。


『ワークライフバランス』?……ふん、そんなものクソくらえだ!

余裕のある幸せそうな人間を見ると、何がそんなに楽しいのかと苛々してくる。俺がこんなに殺伐とした気持ちでいるのに、随分潤った生活を楽しんでいるようですね、とひがみ根性が湧き上がって来る。


そんな大人の男としては明らかにみっとも無いと思われる嫉妬心を撒き散らしつつ、俺はどす黒い塊になって仕事にのめり込んだ。いつもサッサと帰宅していた俺がなかなか帰ろうとしないから、プレッシャーで課内の雰囲気がつられて重くなる。


頭に余裕と言うものを作りたくないので、後回しにしていた改革に手を付けた。


慣れない部下達が仕事の手順に戸惑って、業務が停滞がちになる。すると作業効率が落ち仕事が溜まる。仕事が溜まると一つ一つの作業がやっつけになって、精度が下がる。精度の下がった報告書や資料に目を通した俺にリテイクを食らった部下達は緊張しまくって、結果ミスが増える―――と言う悪循環に陥り始めた。


サッサと一次会の後帰っていた俺が、何故か二次会にも顔を出すようになって最初は『珍しいですね!』なんてお愛想を言っていた奴等も、徐々に静かになって行った。二次会になると昏いオーラを撒き散らして、時折仕事の話を持ち出す俺は―――典型的な嫌な上司そのものだ。


お陰で飲み会のみならず、営業課の自分の席に座っている時も何処か居場所が無いようで、落ち着かない。けれどもそれでも―――家に帰るよりは、ずっとずっとマシだった。




容体が急変して、アレコレ手を尽くしたが結局ミミはこの世から飛び去ってしまった。

ミミの亡骸を送った後、一週間くらいはケージを片付ける事も出来ずグズグズしていた。

するとケージの中に黒い毛皮が隠れているような錯覚を覚えて―――つい何度も覗き込んでしまう。そして覗き込んでは―――何もないことを確認して落ち込む。その繰り返しだった。


このままでは行けないと、何度か逡巡しつつ結局俺はケージを処分する事にした。全てを解体し、片づける。部屋のモノを齧られないよう囲っていたプラダンも外した。徐々に部屋がすっきりとしていくに連れ、俺の心の中にも何か空洞のような物が拡がっていった。


再びペットを飼う事があれば役に立つのかもしれない。押入れの奥にしまい込み保管する事も一瞬想像した―――しかしそれらを眺めているのに耐えられず、結局全て処分する事にした。目の端にミミのために買ったそれらが引っ掛かるだけで、様々な想い出が溢れだして来て、一歩も動けなくなってしまう事に気が付いたからだ。例え目に見えない形で保管できたとしても、そこにあると言う気配だけで重苦しい気持ちが蘇って来てしまう。


全てを処分して、未練を断ち切ろうとした。ミミはもういないのだ、諦めろ。時にはそう自分を叱咤する。―――なのに、黒い影は俺の心の中で動き回る。


テーブルでご飯を食べていると、座っている足をグイッと突かれた事を思い出して喪失感にさいなまれる。部屋のそこここで散歩するミミや、うっかりカバーしそびれた家具についた齧り後を見て、ギリギリと胸が締め付けられる。


その度に涙が溢れ出て来て止まらなくなってしまう。

辛くて辛くて、嗚咽が出てしまうほど泣いてしまう。


付き合って来た彼女が去って行った時も、こんな気持ちになった事は無かった。

ただプライドを傷つけられた事を苦々しく思い、自分の気持ちに考慮しない、商品を選ぶように自分に掛ける愛情や時間を計算して品定めをし、結局違う商品おとこを選んだ彼女達に対して悲しい気持ちを抱くと言うよりは呆れていただけだった。


だけどそれは―――それだけしか、俺が相手に踏み込もうとしなかった結果なのだ。


相手の気持ちに気を配り、労力を掛けて理解しようと努力して―――気持ちが通じ合った時のあの、何とも言えない充足感。言葉の通じないミミと心が繋がったように感じた。

何でもない日常を共有した相手が、傍らに寄り添ってくれる安心感。それだけで、寂しさから俺は解放された。

ビロードのような、ふんわりと温かい温もりに触れる時の満たされた幸福な感情―――それを知ってしまったら。苦々しく思うなんて、そんな軽い傷どころでは済まされない。


口だけの大きな怪物に、自分の心臓を半分パックリと食べられてしまったみたいに。

何だか現実感が無いんだ。

暗い深海にボチャンと落とされて―――水の中でもがいているみたいに、全く前に進めない。お祭りの金魚みたいに、透明な袋に入れられて外に触れる事が敵わないような―――そんな窮屈な状態が続いている。


こんな時のストレス解消法は……?


そうだ、辛い時にそんなストレスを全て無かったことにしてくれる存在があったじゃないか。―――そう無意識に心の中で手探りをし始めて―――ふと我に返る。


そんな魔法のような存在は、もういないのだ。

辛い事があった時、自分を慰めてくれた存在。

どんな憂鬱で孤独な気分も、一瞬で癒してくれて幸せと言う心の状態を復活させてくれた魔法の黒い毛皮の塊は―――もう何処にもいないんだ。


燃やしてしまった。

灰になってしまった。いや、今は廃掃法が改正されて清掃所の燃焼能力が高くなってしまったから―――灰も残らないんだっけ。


この地上の何処にもいないんだ。


俺の中に生々しい記憶が、確かに今でも息づいているのに。

気配を感じてしまい、ふと振り向いてしまうほど。

例え幽霊でもいいから、顔を出して欲しい。そう思うのに―――


不調に気付けなかった、病院選びを間違えた。ちゃんと世話が出来ていると過信していた俺を―――責めて欲しかった。言葉がしゃべれたなら、きっと文句を言ってくれただろうに。苦しかっただろうに。俺に飼われなかったら―――もしかしてもっと快適に暮らして、長生きする事が出来たのではないか?




そうしてひたすら欝々とした日を過ごした。




それから一ヵ月が過ぎても、俺の心は晴れなかった。

そしてそんなある日、最近ワークライフバランスを意識しだした会社が作った定時退社日に避難場所であった職場を追い出されてしまう事となる。

正社員の奴等に声を掛けて飲みに行こうと誘っても皆「ちょっと用事が……」なんて後退って行ってしまい、独りになってしまった。


俺は家に帰りたくなくて、駅ビルにある本屋を意味も無くウロウロしていた。


そこでふと、見知った顔を見つけて足が止まる。


アイツは……半年ほど前から採用して主に事務作業を頼んでいる契約社員だ。

確か名前は……。




次話で亀田視点最終話となります。

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