21.突然でした。
(注!)ウサギの病気、治療行為、死亡についての記述がありますので、苦手な方は回避してください。また、タグに『ペットロス』を追記します。
※こちらを読まなくても、話の流れが分かるように書く予定です。
その土曜日の朝の事だった。
ミミのトイレを見ると小さな糞が少量しかない。
何だか元気も無い。昨日までは普通だったのに。シュウ酸の取り過ぎを防ぐためあまり与えなかった、ミミの大好物のほうれん草も与えたが……食べない。差し出すとちょっと鼻を近づけて、それから首を引っ込めてしまった。
普段はチモシートンネルの中で蹲っている事が多いのに、何故かケージの片隅にペタリと横になりお腹を晒して足を投げ出している。
明らかにおかしい。
今日行く予定だった病院へ、予定より早くタクシーで向かった。
一度毛球症を疑って病院に掛かった事を伝えると、そこではすぐにレントゲンを撮ってくれた。念のため違う病気の可能性も考え、血液検査もしてくれるらしい。
以前掛かった大きい病院と違って先生は何処かぶっきらぼうでニコリともしなかったが、何か的確に対応してくれているらしい手応えが感じられた。血液検査では何も判明せず、レントゲンでやはりお腹の中に何かが詰まっていると言う事が分かり、丁寧な説明を受けた。
毛球症とは限らないが、治療方法としては腸が全く動いていない事が想定されるので開腹手術しかないとの事。
「ただし、腸内に詰まっている物を取り除いたとしても助かるとは限りません」
先生は淡々と説明してくれた。詰まっている物を取り除いたとしても、腸が正常に動くかどうかも分からないし、本当に物が詰まっているのか分からない。腸自体に腫瘍があったり問題があった場合、更に回復が難しくなるかもしれない。体が小さくストレスに弱いウサギはただでさえストレスで腸の動きが弱まる事もあるくらいだ。手術自体に耐えられるか、また手術で傷ついた内臓が回復するだけの体力があるかも定かでは無く……例え手術が成功したとしても、その手術の所為でウサギが死んでしまう可能性もあるらしい。
果たして其処までして手術をするかどうか、ウサギの意志は確認できないので飼い主である俺が判断しなければならない。
その上、手術に掛かる費用はかなりのものだ。保険で半分戻って来るとは言うものの、確実に助かる保障の無い手術にそれだけ掛けて良いものか……ある意味、賭けのようなものかもしれない。手術が成功した後暫く入院する事になるが、その間に容体が急変する可能性もある。リスクはいくらでも考えられるので、自信を持って進める事はできないと、仏頂面の先生はキッパリ説明してくれた。
そして俺は結局―――手術する方を選んだ。
このままだと確実に、ミミは死んでしまう。何もせずに見送るのは堪えられなかった。そして先生は無表情ながらも、丁寧に診察状況と治療方針、飼い主が被るリスクを説明してくれた。きっと誠実に対応してくれるに違いないと感じたのだ。ここで治療を受けて駄目なら―――おそらく他の病院でもミミは助からないだろう。そう思った。
その手術は成功した。
そして一週間ほど入院した後―――ミミは俺の家に帰って来る事になった。
お腹の傷は痛々しいが、腸も順調に動き出し元気に牧草をモリモリ食べ始めた時は―――思わず涙が出た。ペレットや野菜を美味しそうに食べている様子を見ているだけで、かつて毎日感じていた、幸せな気持ちが蘇って来る。
思えばミミの体調がおかしくなってから自分は常に不安と背中合わせだったのだと、改めてこれまでの自分を振り返る事が出来た。
コワモテ度1.5倍と言われてもおかしくないな……と、ちょっと自分の滑稽さを笑ってしまう。
幾ら気を付けても、仕事をしている間は様子を見る事ができない。
動物を飼うまで、病気になったらなんて当り前の事を―――考えもしなかったのだ。
三十八年生きて来て、仕事もそれなりにやって自炊も出来るようになった。税金も払ってごみの分別もして、職場で気の合わない人間ともスムーズに遣り取りする術もマスターした。―――やっと一人前の大人になったと思い込んでいたのに、誰かと一緒に暮らす事で得るメリットだけ見て、デメリットを意識していなかった事に、俺は改めて気が付かされたのだった。
そうして自分の足りなさを意識し、より一層ミミの暮らしに気を配ろうと決意した矢先。
再びミミの容体が急変した。病院に再び入院し、腸の動きを促す薬を投与して貰ったが―――結局入院中、そのままミミは亡くなってしまったのだ。
もともと手術後容体が悪くなる可能性についても、説明を受けていた。
俺はやや完璧主義の気があって、食生活もきちんと管理し毛球症予防のブラッシングも欠かさなかった。なのに下痢をしたり毛球症になってしまったのは、元々ミミが個体として胃腸が弱かった可能性が大きいのだと―――先生は説明してくれた。
先生流の慰めだったのかもしれない。気持ちは有難がったが、自分にもっと何か出来たのではないか、何が悪かったのか、足りなかったのかと繰り返し考えずには居られなかった。もっと早くこの病院を見つけて俺が連れて来ていれば……あるいはミミは助かったのではないか?
手術が成功した後、家に帰ってから―――ミミは俺の手から餌をモリモリ食べた。少々痛く感じるくらい力強く鼻で突いて来て、撫でるように要求してきた。それが本当に嬉しくて、楽しくて―――俺はこれまでちっとも信心深く無かったのだが、今年は神社にお参りしてしまうかもしれない、なんて考えるくらい浮かれていた。
それが全て……一時の夢のような時間だったなんて。
動かなくなったミミの亡骸を、病院で目にしても何だか信じられず―――実感がわかなかった。それはまるで、何処かドラマかドキュメンタリーのテレビをみているような感覚で。
以前のような生活を取り戻せた事自体が奇跡的な事で、これは寿命だったのだと先生は言ってくれた。
「きっと一度家に帰って―――亀田さんに甘える事でお礼が言いたかったのかもしれませんね」
端的で事務的な話しかしなかった先生の、御伽噺のような心の籠った台詞を聞いて―――僅かに実感が湧いたのかもしれない。頬を何かが伝う気配に気づき思わず手をやると、指に水分がくっついた。それでやっと、自分が泣いている事に気が付いたのだ。
ウサギは可燃物と一緒で、清掃事務所で焼却処分される事になっているらしい。ペット霊園的なものはネットで調べると幾つか存在しているようだが―――ミミの魂がいなくなってしまった今、その亡骸を人間のように扱う事に違和感があって行政の一般的な処理方法で処分する事に決めた。―――もうミミはいないのだ。菩提を弔おうと墓を作ろうと―――もう二度と、あのミミには会えないのだ。
あれほど愛情を注いだ相手も―――死ねばただのゴミと一緒なのか。
そんな風に何処か乾いた気持ちで清掃事務所に小箱に寝かせたミミの亡骸を持ち込んだ後、職員の人が任意で設置したような祭壇に案内され、思いがけず線香をあげさせて貰う事が出来た。
ミミを寝かせた箱を祭壇に上げて、手を合わせた時。
―――枯れていた涙が、再び溢れて来た。
もう二度と、ウサギなんか飼わない。
ミミ以外のペットを飼う事なんて―――出来ない。
ごめんな。それからありがとう。
ただひたすら手を合わせる俺を―――清掃事務所の男性は、気のすむまで傍らで待ってくれていた。
お読みいただき、有難うございました<(_ _)>




