7
車窓から見える景色は見る見るうちに殺風景になっていき、1時間もするころには建物らしい建物は見えなくなった。俺が住んでる街もそんな都会とは言えなかったけれど、少し離れただけであっという間に文明の色が薄くなる。
電車で3時間、そこからバスで1時間、そこからどれだけ歩くことになるかは検討もつかない。遠く離れた街へ、メリーが俺の家へ訪ねてきた道のりを逆に辿る。
あの後、母親に電話をかけて、メリーを引き取った親戚の家を聞き出した。厳密にいえば、メリーの実家へと移り住んでいるようだったので、遠縁ながら本家への初訪問ということになるのだろうか。
母親が電話口で何か喚いていたが、住所を聞くと一方的に切った。その後、何度か着信があったが、上手く説明出来る自信がなかったのでそのまま放置している。
あてもなく、目的も曖昧で、行き当たりばったりな一人旅。今まで比較的合理的に生きてきた自分からすれば、ずいぶんとらしくないことをしているように感じる。もしかしたら、何の意味もなく、無駄に時間と労力と私財を費やすだけとなるかも知れない。ただ、それでも何もせず、何食わぬ顔で普段の生活に戻れるほど、俺にとってこの数日の出来ごとはちっぽけな問題ではなかった。
目的の街に着き時計を確認すると、もう正午を回ろうとしていた。始発の時間を調べ早朝に家を出たのだが、バスと電車の本数が比較的少なかったので、待ち時間にかなり時間を取られてしまった。
街を歩いていると、メリーと同じ背格好の女の子が俺を追い越していきハッとしたが、当然本人のわけはなく、そもそも髪や肌の色が全然違っていた。昨日あまり寝ていないせいか、はたまた、願望が安易な錯覚させているのか、ともかく自分でもあまり余裕がないなと思った。
女の子がかなり離れたところで振り向き、こちらへと手を振る。後ろを見ると、少女の両親らしき人物が手を振り返していた。そんな、何気ない家族のやりとり。
のどかな街だと思った。
高台へと差し掛かったので、立ち止り街を見渡してみる。緑と住宅が調和された街並みは、それでも田舎という感じはせず、どことなく美しくさえ感じた。
しかし、数分後、そんな穏やかな空気は消し飛ばされてしまった。
延々と道沿いに続く瓦の付いた白い壁。
ネットを介して調べたメリーの本家の住所はまだ少し歩くはずだが、どうやらその敷地の一部に差し掛かったようだった。
「こ、これ、全部そうなのか?」
自分が知っている住宅の概念が崩されそうなほど、その家、いや屋敷と言った方がいいんだろうか、その敷地は規格外に広かった。いくら都心のように地価が高くないからと言ってもやり過ぎだ。住まいとしては明らかに過剰であり、一つのコミュニティが形成出来そうなほどだ。
メ リーの祖父はこの辺り一帯の大地主だったらしく、街そのものへの影響力はもちろん、自治体も意見を仰ぐほどの権力者だったらしい。祖父の死後、メリーの両親は俺の実家の近くに住んでいたためこの本家は家中の人間に任せっきりだったらしいが、なるほど、普通に家族3人で住んだらさぞ持てあますことだろう。
壁沿いを歩くと、かなり離れたところに人が立っているのが確認でき、どうやらそれが入口のようだ。徐々に近付いていくと、門の前に立っているのが警備員の類だと分かった。
明らかに警戒されているのが手に取るように分かる。訝しげな視線が体に突き刺さり、門の前で立ち止まると、こちらから話しかける間もなく声をかけられた。
「失礼ですが、どのようなご用件でしょうか?」
体格の良い男の、低音のきいた声が響く。警備員というよりは、SPといった方がしっくりくる風貌だった。
「遠縁の親戚の者です。実は以前こちらに住んでいらした女の子と親しくさせて頂いておりまして、お話をお伺いしたかったのですが」
自分の身分を明かし、メリーが亡くなったことを先日知った旨を説明すると、警備員の男はトランシーバーのようなもので屋敷の人間と連絡を取り始めた。すると、『少々お待ちください』と待機を命じられた。
見るからに寡黙な男と談笑は出来そうになかったので、沈黙に耐えつつ大人しく待つ。
数分後、物々しい雰囲気とは裏腹に、割合あっさりと屋敷の敷地内に招かれた。
門が開かれると、入口から家屋までもかなり距離があるように感じた。バスケットぐらいだったら軽く試合が出来そうだ。広大な庭に作られた池も、泳ぐのを目的にしているのかと問いたいほど大きかった。
見る限り幾つかの家屋が連なるように建っており、左手前方に見える一番大きな建物が本宅のようだった。一つだけいやに新しく造りが豪華だったのでひと際目を引く。
「こちらへどうぞ」
「あ、はい」
門の内側には旅館の仲居さんのような格好をした女性がおり、案内に従って付いていく。その様子からみて家政婦か何かなのだろう。かなり若く綺麗な人だったが、どことなく機械的で人間味をあまり感じなかった。
歩きながら、自分の知っている世界とはかけ離れていて、まさか自分がこんな浮世離れした空間に足を踏み入れると思わなくて、一瞬目眩がする。冬だと言うのに緊張で額に汗が滲み、動悸が嫌な感じで腹に響く。
案内されたのは本宅の方ではなく、来客用の建物のようだった。もっとも中では繋がっているのかもしれないが、初めて来る俺にとっては知る由もない。
「こちらでしばらくお待ちください」
家政婦の女性が部屋の奥へと姿を消していく。室内は外見と違い洋風の内装となっており、見るからに高そうな応接セットが置かれていた。ソファに腰を下ろすべきか躊躇いながらも、やはり立って待つことにした。先ほどから続く緊張といい、何だか面接に来ているかのような気分だった。
しばらくすると、部屋の奥の扉が開き、上品そうな初老の女性が入ってきた。パッと見でこの家の人なのだろうと理解し、挨拶を交わす。
「突然訪問してしまい申し訳ありません」
「遠いところよくいらっしゃいました。どうぞ掛けて下さい」
女性の物腰は柔らかく、柔和な表情を浮かべている。想像では厳格な感じの取っつきにくい人が現れると思っていたので、少し拍子抜けではあった。それと同時に肩の力が若干抜ける。
ソファに腰を掛けると、先ほどの家政婦の女性がお茶を持ってきてくれた。中身も器も明らかに高そうだ。もっともお茶の味なんて分からないけれど。
「ずいぶんと大きくなったわねぇ。小さい頃に会ったことあるんだけど覚えてるかしら?」
「い、いえ、すみません。覚えてないです」
「そうよね、まだ小さかったものね。お母さんは元気?」
母親とは既知の中なのだろう、親しげに親戚との定番の会話を投げかけてくる。もしかしたらこの人が母親と手紙のやり取りをしている人なのかも知れない。
話しに聞くと母親とはハトコらしく、同年代ということもあって親戚集まりのときには親しくしていたそうだ。ただ、メリーの祖父が亡くなってからは生活が一変し多忙になったため、疎遠になりつつあるとのことだった。
試しに、自分とメリーがどんな血縁関係にあるか聞いたが、俺の爺さんがメリーの祖父の妹の旦那と従兄関係にあると聞いた。頭の中で家系図を組み立てようとしたが、はとこの意味もいまいち分かっていない俺には全体像が掴めず、途中で考えることを放棄した。
「あの、それで今日はお伺いしたいことがありまして……」
「あぁ、そういえば、あの子のことで来たんですってね」
何も片道4時間以上かけて世間話をしに来たわけじゃない。おばさんもメリーとの血縁関係を聞いたことで察したのか本題へと移る。
「先日母から、一昨年に亡くなったと聞いたのですが」
「そう、船舶事故でね。まだ小さかったんだけど、残念だったわ。あなたのお母さんから聞いていたけど、ずいぶんあの子と仲良くしてくれていたんですってね」
「はい、家が近かったのもあって、小さい頃はよく一緒に遊ばせてもらっていました」
「そうなの。わざわざ訪ねてきてくれてありがとうね」
「いえ。それでお伺いしたかったんですが、船舶事故で亡くなったっていうのは……」
「あぁ、家の者が一昨年の夏に釣りとクルージングに連れて行ったのよ。ただ、わりと沖の方が時化ていたみたいでね。あの子、小さかったから海に投げ出されちゃって、そのまま……」
「そう、だったんですか」
おばさんは沈痛な面持ちでメリーの亡くなった原因を教えてくれた。母親から聞いた通り、すでに死んでいる、その事実が重く圧し掛かかる。
「せっかくだからお線香でもあげていってあげて。あの子もきっと喜ぶと思うから」
「あ、あの」
「なに?」
「あの、あいつのことなんですけど、生前、何か変わったこととかありませんでしたか? 学校とかでも上手くやれてたんでしょうか?」
「そうね、明るくて、良い子だったからね。特に何かあったっていうことは聞かなかったわ。成績も良かったみたいだし、問題を起こすような子でもなかったしね」
「そうですか……。あの、こっちに引っ越してきてからのメリーは、どんな様子でした?」
「様子っていってもねぇ。ご両親が亡くなった後は、やっぱりしばらく悲しんでいたみたいで塞ぎ込みがちだったけど、時間が経つにつれて立ち直ったみたいだったわね。家でも行儀が良くて、わがままの一つも言わなかったし、本当にいい子だったわ」
「な、何か悩んでることとかありませんでしたか!?」
「私が見る限りではないように思ったけど。……でも、どうしてそんなことを?」
「い、いえ、何でもないんです。ただ、元気にしてたかなと思いまして……」
おばさんが訝しげに訪ねてくる。確かに、亡くなった人間のこと根掘り葉掘り聞くのはあまり常識的とは思えなかった。それが、何か悪いことはなかったか? というものであれば尚更のことだ。
――しかし、何もなかった? 平穏無事に暮らしてた? じゃあ、なんであいつは俺のもとに現れたんだ?
「まぁいいわ。他に何か聞きたいことはある?」
「えっと、あいつの部屋ってまだあるんでしょうか?」
「部屋? 去年の葬儀の後、遺品と共に整理しちゃったから今は空き室にしてるのよ。ごめんなさいね」
「そうですか……」
「じゃあ御仏壇まで案内するからついてきて」
おばさんはそう言うと、部屋の奥へと案内してくれた。本宅に続く渡り廊下を歩き、奥へ奥へと進んでいく。それにしても広い。何だかお寺みたいだな、とそんな印象を持った。
「こっちの建物は新しいんですね」
「そうよ。私たちがこっちに移り住んだときに建て替えたの。大伯父様が一人で住んでいたときと違って、住む人数も増えたしね」
「警備員の人や家政婦さんまでいてすごいですよね」
「あぁ、あの人達は大伯父様が亡くなる前から仕えていて、ここに住み込みで働いてもらってるの。私たちよりこの街のことや屋敷のことに詳しいから助かるわ」
「へー」
住み込みの従業員がいるなんて、いよいよ持って浮世離れしている。本当にこういう家って存在するんだな、と軽く感心に近いものを覚えた。
ちょうど先ほどの家政婦さんとすれ違ったので軽く会釈する。向こうも軽く会釈を返してくれたが、何やら注意深げに見つめられている気がした。こっちの建物に入ってくる人間は少ないのだろうか。
案内された仏壇の間に着くと、新しいイグサの匂いが鼻孔をくすぐった。小綺麗にされた部屋は仏壇以外は置いておらず、屋敷の奥ということもあり非常に静かだった。何だか厳かな雰囲気すらある。仏壇はやはり立派でそれこそ寺かと思えるような作りだった。
「それじゃお線香上げてあげて」
「あ、はい」
おばさんが蝋燭へと火を灯しながら促す。線香を一本手に取り、火を付けながら仏壇を眺めた。
大伯父と呼ばれていたメリーの祖父だろうか、中央に厳格そうな老人の遺影が飾られている。そして、見覚えのあるメリーの両親の写真と、その隣の写真立てにメリーの姿があった。
遺影のメリーは、俺が知っている姿よりさらに幼く見えた。しかし紛れもなく同一人物だということは見て取れる。これで一応選択肢の中にあった他人という線も消えた。
線香を立て、手を合わせると、心の中で語りかける。
(なぁ、お前なんで俺のところに来たんだよ? なんで急にいなくなっちまったんだ? 俺に何かしてほしかったんじゃないのかよ?)
(……俺にしてやれることは何もないのか?)
物音一つない部屋の中を、線香の燻った香りが充満する。独特の雰囲気の中では死者とさえ会話が出来そうだったが、写真の中のメリーは無表情なままで、もの言わずこちらを見つめるばかりだった。
おばさんは俺の長めの黙祷に付き合い、隣で手を合わせていた。長くなり過ぎると悪いと思い、適当なところで切り上げ頭を上げた。
「すみません、ありがとうございました」
「いえ、この子もきっと喜んでるわよ。お兄ちゃんが来てくれて良かったわねー」
叔母さんが遺影のメリーに語りかける。よく見る光景だし、先ほどまで自分も心の中でしていた行為なのだけれど、おばさんの声はどことなく空々しい響きで虫唾のようなものが走りかけた。
「それじゃそろそろいいかしら」
「はい。御忙しいところありがとうございました」
これ以上、ここにいても出来ることはなさそうだったので、俺は大人しく帰ることにした。それに、屋敷の中の空気は何となく居たたまれなくて、早く帰れとでも言われているような気になった。
来た道を辿り、入ってきた門のところまで再度案内される。おばさんは見送りながら、『またいらっしゃい』と言ってくれたが、それが明らかに社交辞令であることは分かっていたので、俺は軽く会釈をして屋敷を後にした。
しばらく続く屋敷の外壁に沿って歩き、敷地の切れ目でふと振り向くと、警備員の大柄な男がこちらを見つめていた。それが見えなくなると、その物々しい空気から解放されてやっと一息つく。
「……ったく、何なんだよあの家」
時代錯誤もいいところだ。のどかな街並みに場違いなほどの存在感を放つ屋敷の方を眺め、吐き捨てるように呟く。実際、あんなところに住んでたらメリーも相当息が詰まったんじゃないだろうか。ふとそんな心配をしてしまう。
「しかし、この後どうするか」
あてが外れた、と言ったら語弊があるんだろう。もともとあてなどないのだから。しかし、こうまで収穫がないと途方に暮れてしまう。確認できたのは、メリーが死んでいる事実と、どれだけ遠い親戚だったかということだけだった。
〝船舶事故で海に投げ出されて〟、おばさんはそう言っていた。
ふと、荒波に揉まれて溺れ苦しむメリーの姿が脳裏に過ぎり、胸が締め付けられる。本当にあいつは死んでしまったのか。
ただ、その事実はどうあれ、この数日間メリーと過ごしたということもまた事実だった。あれが俺の見た幻覚でなければ、メリーと再び会える可能性があるように思えてならない。そのために俺はここに来たのだから。
しかし、せめて何かしらの手掛かりはほしかった。次にどうすればいいのか全く見当もつかない。
俺は持て余した時間で街を散策することにした。メリーの住んでいた街がどんなものなのか、見て回るだけで何か分かるかも知れない。
よく区画整理のされた、整然とした街並みを歩く。舗装された住宅街は俺の住んでいる街とあまり変わりなかったが、少し外れると緑が色濃く、流れる小川も人の手を加えられていない自然なものだった。冬だというのに日差しが暖かく、少しだけ鬱屈とした気持ちが和らぐのを感じた。
ただ、近くに電車が通っていないので、交通便は最悪と言えた。時間通りに来ないうえ1時間に1本ペースのバスの時刻表は、通勤通学をどうしているのか疑問を抱かせる内容だった。
途中、メリーの家を訪ねるために立ち寄った駐在所を通りかかったので、同じ警官がいることを確認すると、あらためて話しを聞くことにした。
「御免ください」
「ああ、さっきのボウズか。場所は分かったかい?」
心なしか、こっちの警官は距離感が近い気がする。よく言えば親身で、悪く言えば馴れ馴れしい。いや、話しを聞く立場からすれば当然ありがたいことなのだが。
「おかげさまで辿りつけました」
「そっかそっか。しかし、ボウズみたいなのが、あの家に何の用だったんだ?」
「あの、そのことで実は聞きたいことがありまして」
「聞きたいこと?」
「ええ、あの家に住んでいた女の子のことなんですが」
「女の子っていうと?」
「金髪の小柄な子です。一昨年の夏に亡くなったと伺ったんですが」
「あー、はいはい。覚えてるよ、あそこの亡くなった旦那さんの孫娘だろ?」
「多分、そうです」
大伯父様とやらは、メリーの父親しか子どもがいなかったらしいから、孫娘というとメリーのことで間違いないだろう。そもそも金髪ハーフの女の子など、この街では二人といなさそうだ。
「その子がどうしたんだい?」
「いや、俺、昔あの子が近くに住んでたことがあって、何か生前のことでご存知ないかな、と」
「んー、あそこのお屋敷のことは基本的に分からんよ。障らぬ神に祟りなしっていうかね、実質この街の支配者みたいなもんだから」
「し、支配者ですか……」
「いや、支配者って言っても、旦那さんが生きてた頃は良かったんだよ。気難しい人だったけど、街のことはよく考えてくれてて、行政にも掛けあってくれてずいぶん住みやすくしてくれたよ」
「はぁ」
大人物とは聞いていたが、街づくりにまで口を出していたのか。まさに雲の上の存在だな。いや、実際に今は雲の上にいるんだけど。
「だけど、今の人達が越してきてからはずいぶんとあの屋敷の印象は変わったよ。街のことはよく知りもしない新参なんだけど、態度だけは大きくてね。でも屋敷の影響力は変わらないから誰も注意すら出来ない」
「そうなんですか」
先ほど会ったばかりのおばさんの顔が浮かぶ。確かに物腰は柔らかいながらも威圧感があったが、そんな態度が大きいというふうには思えなかった。おばさん以外の家の人の態度が悪いのだろうか。
「あぁ、悪い悪い、女の子のことだったね。私は詳しいことは分からないけど、確かこの先の小学校に通っていたはずだよ」
俺が気のない返事をしたことで、本来の質問を思い出したのか、警官がメリーに関することを教えてくれた。
「もう冬休みに入ってるだろうけど、多分用務員のおっさんがいるはずだよ」
「この先って、どの辺りですか?」
「歩きだと30、40分ぐらいかな。まぁ真っ直ぐ行くだけだから分かると思うよ」
「い、意外と遠いですね」
「大丈夫だよ、若いんだから」
なんでこの齢の人間は若さですべてを解決しようというのか。あんたらが思ってるほど若さってのは万能じゃないぞ。まぁ、確かに多少歩く程度の問題は解決出来るかも知れないが。
俺が若干呆れるような顔をしていると、警官は何か思い出したのか、突然、少し大きめの声で叫んだ。
「あー、そういえば思い出した!」
緩衝材など入っていない駐在所の打ちっぱなしのコンクリートに声が響く。
「な、何がです?」
「確か先週かな? 誰かが出たって言ってたよ」
「だから、何がですか?」
「さっき君が言ってた子の幽霊だよ」
「……幽霊?」
「いや、眉つばものだけど、深夜にその子の幽霊を見たって噂を聞いたもんだからさ。もしかして、君もその子の幽霊にでも会いに来たのかい?」
ハハハッと、警官が冗談交じりに笑いながら聞いてくる。しかし生憎と、その内容から俺は苦笑いでしか返すことが出来なかった。
「まぁ、何にせよ学校に行ってみることだな。少なくとも俺なんかより何か知ってると思うよ」
「分かりました。では少し訪ねてみます」
「おう。風邪ひかないようにな」
大よその道のりを聞いて交番から出る。と言っても本当に道は真っ直ぐらしく、説明もへったくれもなかった。駐在所の外に出ると、日が陰って気温が下がったように感じられ、風が頬を刺した。
警官に説明を受けた通り、黙々と目の前の道を真っ直ぐに歩いていく。どうやら小学校は街のはずれの方にあるようだった。確かに市街地に建てるのもどうかと思うが、これだけ離れているのも考え物だ。少し着込んできたためマシではあるが、それでも時間が経つにつれ体の末端から徐々に体が冷えていく。
ふと、同じように寒空の下を歩いてバイト先に来たメリーを思い出した。俺の働いてるところが見たいからと、4時間も迷ってたどり着いたメリー。バカだと思いながらも、それを思い出すと、冷たくなっていく体とは裏腹に不思議と足が軽くなった。
しばらく、というかひたすら歩いていくと、やっと学校の敷地らしきものが見えてきた。近付いていくにつれ分かったが、市街地の外れで土地が余っているせいか校庭はトラックが2つあり馬鹿みたいに広い。野球とサッカーを同時に行っても何ら差し支えなさそうだ。
流石にメリーの屋敷も、全体像が分からなかったとはいえ、この学校ほどは大きくなかったように思う。
正門まで来て気付いたが、どうやら中学校と併設されているらしく、小学校名と中学校名が両方書いてあった。取り合えず小学校の校舎を目指し、そちら側の校門へと移動する。警官の言う通りつい先日冬休みに入ったようで、これだけ広い敷地にもかかわらず殆ど人の気配を感じなかった。寒々とした空の下、荒涼とした校庭が無人を強調するかのようだ。
校舎の側まで来ると、入口の校門が開け放たれていた。不用心だなと思いつつ、そのまま敷地内へと入っていく。どこかのニュースでやっていたが、このご時勢、こういった行為は当然不法侵入に当たるので控えた方がいい。 しかし、門のところにインターホン一つなく、また、校門から用務員室らしきプレハブのような建物が見えたので、そのまま歩を進めることとした。
予想通りこじんまりとした建物は用務員室らしく、窓から年配の人が机に向かっているのが見えた。そのまま扉の方へと回りノックする。
「はい、なんでしょう?」
暖かい空気と共に扉から用務員さんが顔を出した。その表情には戸惑いのようなものが浮かんでいる。確かに休みの学校に訪れる人間などそうはいないだろう。こんな場所であれば尚更だ。
「はじめまして、突然のご訪問恐れ入ります。実はこの学校に通っていた子の血縁のものなんですが、少しお伺いしたいことがございまして」
出来るだけ怪しまれないよう、作り笑いと誠実さを心がけて話す。
しかし、そんな小細工は必要なかったようで、用務員さんはあっさりと室内へと招き入れてくれた。
冷えるだろうと、熱いお茶まで出してくれたのだから、人の良さが窺える。
好意を受け取り、冷えた身体が少し温まると、今までの経緯を説明した。 当然、メリーと一緒に過ごしたことは言わなかったが、たらい回しにされ、いまいち情報が集まっていないことに困り果てていることは分かってもらえたようだった。
「しかし、わざわざ遠くから御苦労だったね」
「いえ、僕もちょうど大学が休みに入っていたものなので」
バイトは都合の良いことにシフトが減らされていたため、こうして来ることが出来た。ここ最近、チーフが腫れものを扱うように俺に接していたが、極力気にしないようにしている。
先輩からは、『お前ってロリコンの気があるのか?』と一度聞かれたが、苦笑いでかわしておいた。
「それで、あの子のことって覚えていますか?」
「あぁ、よく覚えているよ。大人しいけど外見は目立つ子だったし、ここにも来たことがあるからね」
「本当ですか? それで、あいつ学校ではどんな感じだったんでしょうか?」
「さっきも言った通り、大人しい子だったよ。こっちに引っ越してきてあんまり馴染めてなかったんだろうねぇ。あの御屋敷の子ってこともあって、先生も生徒も接し方が分からなかったように思うな」
「そう、なんですか……」
確かにあの容姿で転校生のうえ大屋敷の子どもと三拍子揃ったら、大体の人は引いてしまうように思える。俺も同じクラスにそういった存在が転校してきたら、さぞ戸惑うことだろう。
「帰りもいつも一人でね。表には表さなかったけど、ずいぶん寂しそうに見えたよ。だから、たまに内緒でここに招き入れてね、お茶とお菓子を出してあげたりしてたんだよ。あんまり笑わない子だったけど、そのときは嬉しそうにしてたね。……でも、それがあんなことになるなんてね」
用務員さんが遠い目をしている。その当時のことを思い出しているのだろう。俺も菓子をほうばって無邪気に笑うメリーの顔が浮かんだ。
「事故が起こる前は、どんな感じでした? やはりずっと馴染めてなかったんでしょうか?」
メリーが亡くなったのが一昨年なら、こっちに越してきて4年は経っている。あいつはそれまでの間、ずっと一人ぼっちだったんだろうか。
だとしたら、大学で俺に居場所があるか聞いてきたあいつはどんな気持ちだったのだろう。
「いや、それが分からないんだよ」
「分からない、というのは?」
用務員なわけだし、教師のように生活態度や環境が分からないのは当然のことだろうが、そういった意味だろうか。
しかし、俺が思うより状況は悪かった。
「あの子ね、途中で登校拒否になってしまったみたいでね。まともに通っていたのは最初の1年ぐらいなんだよ」
「と、登校拒否?」
「あぁ。儂も詳しい経緯は分からないけどね、見掛けなくなったから担任の先生に聞いてみたらどうやらそういうことだったらしい」
およそ、俺の知っているメリーからは想像も付かないことだった。
あのメリーが登校拒否? いったいなんで?
「事故のことを聞いたときは胸が痛んだもんだよ。家族の人もあの子のことを元気づけようとして連れていったんだろうけど、まさか亡くなってしまうとはね」
用務員さんが表情を陰らせ、心底残念そうに声を絞り出す。このような人ばかりであれば、メリーも孤立することはなかったんだろうか。ふとそんなことを思ってしまう。
外よりは暖かいとはいえ、プレハブのような作りの建物は気密性が低いのか、ひんやりとしている。お互いに黙りこむと、ストーブの上に置かれたヤカンから湯気が上がる音が小さく響くばかりで、室内は余計に寒々とした空気が流れた。
しばらくすると、用務員さんが区切りを付けるように口を開いた。
「だから、申し訳ないんだけど、儂もそこまで話せることはないんだよ。すまんねぇ」
「い、いえ。すみません、ありがとうございます」
用務員さんは心底申し訳なさそうに謝罪する。こちらが恐縮してしまうぐらいだ。しかし、今のところは、むしろ一番具体的な内容だと思えた。しかし、情報が増えた分、疑問も増えてしまったが。色々と食い違いも生じてくる。
「せっかく遠いところから来たんだ。この先に寺があるから、花の一つでも添えていけばいいだろう」
「寺ですか?」
「ああ。あの屋敷の墓があるからね。お参りしてあげるといい」
「この先っていうとどれぐらいですか?」
「まぁ、30、40分ってところだろう」
「……へー」
「真っ直ぐだから多分迷わないとは思うがね」
「……」
――結局俺は寺に向かうことにした。
学校を後にすると、再びウォーキングに努める。用務員さんが寒いだろうとくれたカイロが、上着のポケットの中で温もりをくれる。あの人は多分、前世は菩薩か何かに違いない。
さすがに市街地をかなり離れてきたせいか、ずいぶんと周囲の様子も変わってきた。街中のように整備された緑ではなく、山側の木々は生い茂っており、道も土くれていて凸凹している。
途中、視線のようなものを感じ何度か振り向いたが、当然のように道には誰一人おらず、歩いているのは自分だけだった。畑がちらほら見受けられ非常に見通しが良くなったおかげで、遮るものがなく空が非常に広く感じる。
そのため、寺は辿り着くかなり前に発見することが出来た。遠く離れた山林の中から屋根が突き出している。しかし、幾ら歩いても近付かないため、蜃気楼か何かなのかと思えた。
結局、辿りつくまでに学校を発ってから1時間近くかかってしまった。どうやらあの用務員さんの中では、時間がずいぶんとゆっくり流れているらしい。日が傾き、太陽の色が白から赤へと濃く変わりかけていた。
寺へと続く階段を上がると、石畳の参道を経た立派な建物が見えてきた。見たところ無人のようで、閑散とした空気が流れている。本堂の脇には地蔵が並んでおり、どうやらその奥から墓所へと続いているようだった。辺りを窺いながらそちらの方へと進んでいく。
山間に設けたためだろう、墓所は棚のように段差があり道が入り組んでいる。この中から、メリーの家の墓を探すのは骨が折れそうだった。
しかし、そう考えていた矢先、あっさりと墓は見つかった。というか、勝手に視界に入ってきた。
もっとも良い場所であろう敷地の中腹に、ひと際大きな墓石が佇んでいた。近付かずとも分かる、あれがおそらくそうだろう。遠目で見ても明らかにサイズやスペースが違った。まぁ、この地域の大地主というぐらいだから当たり前なのかも知れない。
目の前まで行き、墓に記された名前を確認すると、間違いがなかった。幾つかの卒塔婆と小奇麗にされたスペースと裏腹に、花や線香の類は添えられていなかった。
「ちょっと失礼します」
一応墓へと手を合わせてから墓石の横へと回る。
念のためだった。別に深い意味もないし、疑ってるわけでもなかった。
ただ、それでもそれを見たとき、自分の中で決定的な喪失感のようなものが心を抉った。
……墓石には、確かにメリーの名前が刻まれていた。
名前の上には〝享年11〟と記されていた。数え年と聞いたことがあるから、実際には10歳か。
その隣には、見覚えのあるメリーの両親の名が刻まれており、遣る瀬無さに襲われる。
しばらく茫然とした後、墓の正面へとしゃがみ、途中で摘んだ花を添える。
一輪しか見付からなかった、八重咲きの、小さく黄色い花。
何かで見たことがある、確か花言葉は……。
――別れの悲しみ。
何故こんなことを覚えているのか自分でも分からなかった。寂寥とした感情が込み上げ、思わず呟く。
「どこ行っちまったんだよ、お前……」
当然、言葉を返す者は誰もいなくて。
西に傾いた墓地の斜面が夕日に照らされオレンジに染まる。目の前の墓石はひと際その存在を主張するように光を弾いて輝いていた。
立ち上がり赤に染まった太陽を眺める。広がる山々や畑も同じように赤く色づいていた。
ここまでなのかも知れない。
もう一度メリーに会えるだなんて漠然と計画性もなく飛び出してきたけれど、結局俺に出来ることは何もなくて、してやれることなんて何一つ残されてなくて。
つい昨日までの出来事なのに、メリーと一緒にいたことが霞がかってしまう。まるで、本当に幻と過ごしたかのように。
体力的なものもあるのだろうが、メリーの墓石に刻まれた名前を見た瞬間、フッと力が抜けてしまったようだ。
『どうしようもない』、そんな言葉が頭に浮かんだ。
うな垂れて、再び自分で添えた献花へと目を移す。
こんな花言葉を持つものを摘んできたことの皮肉と、添えるその時まで思い出せなかった自分の間抜けさを呪う。
ただ、何故か花の名前は思い出せなかった。喉元まで来ているのだが、もうひと押しがない。
確か、この花の名前は……。
「キンセンカ」
――後ろから不意に声を掛けられ、思わず仰け反る。
振り向くと、若い女性が立っていた。
「よく咲いていたものを見つけましたね。この辺りでは珍しいのに」
透明感のある澄んだ声が響く。ただ、その言葉は感情らしいものがなくて、淡々と音を発しているかのように感じた。無機質でどことなく人間味がない。整った顔が、余計人形のようなものを強調しているように感じた。
俺は、突然の出来事に息を呑み立ち尽くした。先ほどまで人の気配なんて一切感じなかったのに。
女性はそんな俺を他所に話し続ける。
「お嬢様のお墓参りに来たんですね」
「お嬢様?」
と、ここで一つのことに気付く。俺はこの人に会ったことがある。しかも極々最近のことだ。突然話しかけられたショックで、そんなことにさえ気付かなかった。和服にエプロンという特徴的なその格好。
「っていうか、あなたさっき屋敷で見た……」
「はい、お屋敷で女中を務めさせて頂いております」
「いったい何でこんなところに?」
「あなたを追い掛けるように言われました」
「は?」
「お嬢様のことを調べておられるのでしょう?」
「さっきからお嬢様って何のこと、……って、もしかしてあいつのこと言ってるのか?」
俺の言う〝あいつ〟が誰を指すのか察したようで、家政婦の女性は薄く顎を引く。
メリーのやつ、お嬢様なんて呼ばれてたのか。確かにあの屋敷じゃ納得せざるを得ない呼称だけど。
「あいつのこと知ってるんですか?」
「よく存じてます」
「聞きたいことがあるんですが。それも山ほど」
「はい」
「いや、ちょっと待って下さい。何から聞けばいいのか」
予期せぬタイミングで現れた解答者に、何から聞いていいのか分からず頭の中を整理する。
この街に来て分かったことは、一昨年に船舶事故で亡くなったこと。学校では馴染めていなかったこと。しばらくしてから不登校になってしまったこと。
「えーと、ここにはよく来るんですか?」
「昨年遺品を納骨して以来ですね」
「へー。若そうに見えますけどいくつぐらいなんですか」
「来月で十九です」
「あ、同い年ですね」
「そうなんですか」
「……」
違う、こんなことを聞きたいわけじゃない。これじゃまるで安いナンパじゃないか。
しかし、家政婦さんはそんな質問にも律儀に答えてくれた。今まで話した人達と違い、その淡々とした様子がかえって聞きやすいように思った。多分、平気でスリーサイズとかも教えてくれそうだ。いや、聞かないけど。
「そ、そんなことじゃなくてですね、あいつのことなんですけど」
「はい」
「いつからあいつのこと知ってるんですか?」
「お嬢様がこの街にいらっしゃったときから存じております。私の家は母の代からあのお屋敷に仕えておりますから」
「そうなんですか。あいつ、事故が起きる前はどんな様子でした? 何か、悩んだりとかしてなかったでしょうか?」
「悩んでいるというのがどういったことを指しているのか分かりませんが、私には明るく接して下さいましたね。お菓子などをお持ちした際には、大変喜んで下さいます」
「そ、そうですよね!」
やっと、やっと俺の知っているメリーの印象と合致した。今まで聞いた話は、まるで違う人間のようでいまいちピンと来なかった。そのズレが疑問となり、俺はそれをそのままたずねる。
「……でも、あいつが学校に行かずに不登校だったって本当ですか? とても想像出来ないんですが」
「確かに、途中から学校には行かなくなりました」
「学校の用務員さんには馴染めていなかったって聞いたんですが、やっぱりそれが原因なんですか?」
「学内での様子は分かりかねますが、とても行けるような様子ではありませんでした」
「そ、そうなんですか」
「はい」
「やはり、あいつは辛かったんでしょうか?」
「そうですね、表だって不満を見せる方じゃないので分かりませんが、状況は苛酷なように思えました」
「おばさんやあなたは、そんなあいつに何かしてやれなかったんですか?」
「私はあくまでお嬢様の世話役に過ぎませんので、差しでがましいことはできません。何かをしてあげられるような立ち場ではないのです」
「じゃあ、そのままあいつは学校にも行かず家に引きこもってるままで、苦し紛れに旅行に連れて行ったら事故に遭って死んだって言うんですか?」
「……そのようですね」
「そのようですねって、なんだよそれ」
――なんで、そんな他人事みたいな言い方なんだよ。
どうしようもない怒りが自分の中で膨れ上がる。それでも、もうそれは過去のことで、死んでしまったあいつには何もしてやれなくて、行き場のない想いが語調を荒くする。
「……もうちょっと、どうにかならなかったのかよ」
「あなただったらどうにかしてあげられたのですか?」
「分からないよ。ただ、あんたみたいに傍観だけは絶対にしない」
「左様でございますか」
「あんたには明るく接してたって言ったよな? なんでそんなあいつの助けになってやれなかったんだよ」
「返す言葉もございません」
「あんたにとっては仕事相手かも知れないけどな、あいつはただの小さな子供だったんだよ。自分一人の力じゃ、出来ないことだってあるだろ!」
「おっしゃる通りです」
「ふざけんなよ! 機械的に答えないでくれ。あんたちゃんと感情があるのか?」
「……」
「両親が死んで、天涯孤独で、学校にも馴染めなくて、家でもそんな他人みたいに扱われたら、あいつは誰に助けを求めたらいいんだよ! そのまま辛いことしかないまま死んだなんて、いったい何のために生まれてきたんだよ!! あんたらがもう少し何かしてやれたら、こんなことにはならなかったんじゃないのかよ!?」
――違う、こんなことを言いたいわけじゃない。こんなこと言っても何も変わらない。ただの八つ当たりだ。
でも、どうしても治まらない。あいつが、あんなに明るくて無邪気でバカで、健気なメリーが、不幸なまま、孤独なまま死んでいったなんて、納得できるはずがなかった。
「だから、だからあいつは、きっと俺のところに……」
その先の言葉は続かなかった。
やっとあいつが俺のところに現れた理由が分かった。あいつは、やっぱり頼ってきてくれたんだ。昔一緒に過ごしただけの俺なんかのところに。
それなのに俺は、くだらないことばかり気にして、踏みこまれたくないことなんだと決め付けて、あいつに何一つしてやれなかった。
きっと、誰も信じてくれないだろうけど、それでも俺はもうあいつのことを幻だなんて思わない。
絶対にもう一度会って、伝えなきゃならないことがある。例え、方法が分からなくても、何年かかっても、絶対に見つけ出す。
「あなたのことは、お嬢様から聞いていました」
無言で決心していた俺に、突拍子もなく家政婦の女性はそう声をかけた。だけど、俺はそれを聞き流すことしかできない。俯き、メリーを会うためにどうすればいいか模索する。
しかし、そんな俺に女性はなおも声をかける。
そして、その言葉は、今までと違い人間味を帯びた響きだった。
「お嬢様に会いたいですか?」
「……っ」
予想もしなかった言葉に驚き、言葉に詰まる。
顔を上げると、もう随分と陽の沈んだ夕闇を背にして女性は薄く微笑んだ。その光景はどこか浮世離れしていて――、思わず息を呑む。
「会いたいって、どういうことだ?」
「皆さんは死んだと言っておりますが、私にはお嬢様が見えております」
「……何言ってるんだあんた?」
先ほどメリーが幻なんかではないと思った俺が言うのもなんだが、正気ではないと思った。自分が体験しているにも関わらず、死んだ人間が見えるだなんて、そんなオカルト染みた話しを信じることが出来ない。
「座敷わらしというものをご存知ですか?」
「あ、あぁ。あの家の中にいる妖怪みたいな奴だろ」
「ええ。その家に富をもたらし、座敷わらしが去るとその家は衰退すると言われています」
「それがどうしたんだ?」
「あの家にとって、お嬢様はそういった存在なんです」
「……馬鹿にしてるのか? ブロンドの座敷わらしなんているはずないだろ」
いきなり話しがとんでもない方向へと飛んでいった。思ったよりも痛い人なのかと疑いそうになる。ただ、そんな冗談染みたことに付き合う余裕は今の俺にはなく、苛立ちが募るばかりだった。
「ふざけるのも大概にしてくれ。死んだ人間が見えるだなんて、あんた本気で言ってんのか?」
「……」
「じゃあ、あいつは今あの家にいるっていうのかよ」
「左様でございます」
「嘘付くんじゃねぇよ! そんなこと信じられるはずないだろ!」
「信じられるか否かより、事実かどうかが重要かと思われますが」
「――っ」
確かに、そう淡々と告げる様子から、冗談の類ではないと思った。しかし、それをそう簡単に信じることを、俺の常識観念が妨げる。
それに、怖かった。
信じて、願って、期待を裏切られることが。
そんな俺を見透かすように、女性は俺の言葉を待ち、真っ直ぐと見詰めていた。
「あんた、いま事実が重要だって言ったな?」
「左様でございますが」
「じゃあ、あいつが、つい昨日まで俺の家にいたって事実があるとしたら、それを信じられるか?」
「……」
「あんたの言い分じゃ、あいつはあの家にいるんだよな? それとも座敷わらしってのは瞬間移動でもするのか?」
「それは出来ないでしょうね」
「それでも、あいつは確かにあの家にいるっていうのか?」
「相違ありません」
「さっき、あいつに会いたいかって聞いたよな?」
「はい」
「会いたいって言ったら、会わせてくれるとでも言うのかよ」
「はい」
「ハハハ、死んだ人間に? 本気で言ってるのか、あんた」
思わず、渇いた笑いが漏れる。当然、愉快な気持ちなど欠片もなくて、とてもじゃないけど信じられなくて、それでも、それでも、その言葉に縋るしかなくて。
俺は、思わず滲みそうになる涙腺を閉め、女性へと懇願する。
「……じゃあ頼むよ。あいつに、もう一度だけでいいから会わせてくれ」
行き詰った俺に、選択の余地など最初からなかった。藁にも縋る想いでこの街に来たのだから。
頭上から降り注いだ女性の返答が、日の暮れた墓地へと響く。
「はい、かしこまりました」




