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結局、メリーの体調は俺の心配を余所に翌日には治っていた。見た目と違って体が丈夫なんだろう、朝起きると俺より早く起きていたらしくパソコンに張り付いていた。
「世界中のことが分かるんだったら、きっと何でも分かるね」と、朗らかに笑っていた。
それから3日ほどは、何事もなく時間が過ぎていった。
俺がバイトに行ってる間、メリーはもっぱらパソコンにご執心で、動画サイトやオンライン辞典、掲示板からショッピングサイトまで、様々なものを物珍しそうに飽きることなくみていた。一応検索の年齢制限はかけておいたので、そこまで衛生上悪いものは見ていないと思う。また、言い付けを守り、ちゃんと休憩は挟んでいるようだった。
一度バイトから帰った折に、何やら動画サイトの踊りを、児童のお遊戯のように踊っているところを目撃してしまった。
声にならない悲鳴をあげると、赤面した顔をコタツに突っ込み、しばらく出てこなかった。まぁ、確かに来年から中学生になろうという自称れでぃーが、そんなところを見られたら黒歴史ものだろう。それから小一時間ほどはバツが悪そうにむくれていた。
ただ、俺といるときはそのパソコンにも目はくれず、俺にあれこれと話しかけることがほとんどだった。メリーはその日のバイトのことや俺の昔のこと、大学や将来のことなど色々なことをたずね、それに対し忌憚のない感想をぶつけてきた。ボケ倒すことも多かったが、時折ハッとさせられるようなことを言うので、俺はその度に考えさせられるのだった。
大学の課題などを進めているときは正直鬱陶しくも感じたが、メリーの嬉しそうな顔を見ると無下に出来ない自分がいた。兄と言うよりは、どちらかと言うと父親の気持ちを少しだけ垣間見ている気がする。
金は余計にかかるし、自分の時間はほとんど取れないし、要らぬ疑惑をかけられもしたけど、正直に言えば心地のいい時間だった。
メリーが無邪気に笑うと、暖かい気持ちになった。意地悪をすると分かりやすくむくれるのが可愛いらしいと思えた。甘えられることが、苦ではなかった。嬉しくさえあった。利用を目的とせず、下心のない純粋な甘えというのは、子供特有のものなのかも知れない。
――ただ、ずっと考えていた。
いつまでもこのままにすることはできない、と。
しかし、俺に何が出来るか答えは出なくて、どうすることが正しいかも分からなくて、気付けば先延ばしにしてしまっていた。せめてメリーが原因を教えてくれれば、助けを求めてくれれば、こんなに悩むこともないのに。そんな言い訳さえしている自分がいた。
メリーは確かにバカで、子供で、どうしようもない甘ったれだけど、俺なんかには想像もつかないほど壮絶な経験をしている。それを押し殺し、明るく振る舞うことも出来る。
そして、おそらく、何かを諦めている。
物事を受け入れ、自分の知らないことを知っているそれは、一側面では俺以上に大人であるようにさえ思えた。簡単に踏み込めない何かがあった。
とにかく、まずはメリーについて知る必要があった。何故俺のもとに来たのか。今までどんなことがあったのか。そして、あの傷は誰に付けられたものなのか。
しかし、メリーの実家の連絡先など知らないし、仮に知っていたとしても簡単に聞けるような内容ではなかった。
俺は取り合えず、バイトの帰りに母親へと電話をすることにした。俺の住所を教えた張本人だし、何かしらの取っ掛かりになるかも知れない。
携帯の電話帳を開き、数ヵ月ぶりに母親へと電話をかける。タイミングが良かったのか、数コールで電話に出た。
「もしもし? どうしたの? あんたから電話してくるなんて珍しいわね」
年齢のわりに若い声が受話口から聞こえてくる。久しぶりの母親の声だった。
「ああ、今ちょっと大丈夫か?」
「別に大丈夫だけど、どうしたの? なに? お金?」
「いや、違うよ。ちゃんとやりくりしてる。それより、ちょっと聞きたいことあって」
「あらたまっちゃってなによ?」
「いや、実はなんて言うか、その、メリーって昔近所に住んでただろ?」
「メ、メリーちゃん?」
「あぁ。ちょっとあいつのことで聞きたくて」
「……」
電話の向こうで母親が若干無言になる。何かを言い淀んでいるようでもあった。
「やっぱり何かあるのか?」
「……そういえば、あんたには言ってなかったわね」
「何がだよ?」
母親が一拍ほど開けて、予期せぬ言葉を絞り出す。
「メリーちゃんね、ずいぶん前に亡くなったのよ」
「………………は?」
――こいつ、何言ってるんだ。死んだ? 誰が?
あまりに突拍子のない言葉に、一瞬思考が停止する。
「海難事故だって。あんた受験もあったし、ずいぶんと仲もよかったから黙ってたのよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!! 死んだって、メリーが!?」
「ごめんね、黙ってて……。亡くなったのは一昨年のことよ。理由があって お葬式は去年の秋口に行われたみたいだけど、私も知ったのはその後だったから」
「……え、ごめん、意味が分からない。何言ってんだ?」
「何言ってるのって」
「手紙で連絡とか取ってたんじゃないのかよ!? それで何かあったら連絡しなさいって言ってやったんだろ? 俺の住所だって教えたのお袋だよな? 冗談にしたってタチが悪すぎるぞ!!」
母親の言葉を遮るように捲し立てる。どういうことか意味が分からない。何から説明して、何を聞いていいのか分からない。
「ちょ、ちょっと待って、あなた何言ってるの? 手紙ってなに?」
「だからメリーとの手紙だよ!!」
「手紙? 母さん、メリーちゃんとは手紙のやり取りなんかしたことないわよ?」
「……したことがない?」
「確かにメリーちゃんの親戚の方とはやり取りしてたけど、メリーちゃん自身とは連絡取ってなかったわ。引っ越すときに何かあったら電話しなさいって連絡先は渡したけど、それ以降連絡は一度もこなかったし」
「……どういうことだ?」
「どういうことって、母さんが聞きたいわよ。ショックなのは分かるけど、ちょっと落ち着いて。何が」
電話口でまだ母親が話していたが、俺はだらりと携帯をもった腕を下ろすと、そのまま電話を切ってしまった。最後は母親に話しかけたわけではなく、純粋な独り言として呟いていた。
あまりに訳が分からなかった。
メリーが、死んだ?
馬鹿言うな。じゃあ、今俺の部屋にいるのは一体誰だっていうんだ?
思考が定まらず、次々と疑問が沸いて弾けるなか、俺は無意識に携帯をポケットへと押し込むと、全力で自転車を漕ぎ出した。メリーがいる自分の部屋へと。
冬の空気が肺を締め付け、心臓が痛いほど拍動し頭にまで脈が伝わる。ただ、それは自転車を走らせているからだけではない。母親から聞いた話と、 あまりに異常な事態におかれていることへの混乱からだった。
無我夢中でペダルを回し、ひたすらに家を目指す。途中幾つかの信号を無視してしまった気がするが、それどころの話じゃなかった。
普段は20分近くかかる道のりを大きく短縮し、アパートの下へと到着する。自転車を放るように雑に投げ出すと、階段を駆け上がり自分の部屋へと向った。
玄関のドアを勢いよく開け、部屋の中へと駆け込む。靴を履いたままだったが、それすら気にはならなかった。部屋の扉をスパンと払いメリーの名を呼ぼうとした。
――だが、そこにメリーの姿はなかった。
「…………え?」
そんなに広い部屋じゃない。確認するまでもなくパッと見ただけで無人なのは明らかだった。
慌てるようにトイレも確認するが、そもそも室内に人の気配は感じず、電気さえついていなかった。
再度部屋の中を確認する。TV、ベッド、コタツ、何も変わらない自分の部屋。そして、以前と同じように、誰もいない俺の部屋。
あまりの状況に立ち尽くし、室内が静寂に染まる。その癖、頭の中は騒がしいことこのうえなかった。
「……なんだよこれ」
ただ単に出かけてるだけなのか、そうも考えたが、メリーは俺の言いつけを守ってあのバイト先に現れた日以降、勝手に外出することはなかった。そして、もう一つ、部屋を茫然と見渡して気付いたことがある。
メリーがいた痕跡がない。
俺が買ってやった服も、取ってやったぬいぐるみも、着てきた服や昨日食べかけでコタツの上に置いておいた菓子さえ、忽然と消え失せていた。
いよいよ持って混乱の極みだった。状況が何一つ把握できない。いったいどういうことだ。
もののたとえではなく、まるで悪い夢でも見ているようだった。しかし、混乱しているとはいえ、この意識の明快さははっきりと現実だと断言出来た。当然、今までのことも夢なんかじゃない。
あまりに不自然な状況に、メリーがいた痕跡のなさに、一瞬自分の頭を疑いかけたが、自分が狂ってるとは思い難かった。
ちょっと待ってくれ、いったい何が起きてるんだ? メリーは死んだと母親は言っていて、でも俺とここ数日暮らしていて、実は母親と連絡は取っていなくて、体には幾つもの痣があって、一緒に飯も食べて、髪を梳かして、パソコンで遊んで……。
――パソコン?
ハッと気付いたように俺はテーブルに置いてあったノートパソコンの電源ボタンを押した。起動までの時間がもどかしく、破壊したい衝動さえ覚えた。
インターネットを開き、閲覧の履歴を確認する。
そこには、メリーが見ていたサイトやページの履歴が幾つも残っていた。
一瞬血迷いかけた頭が鮮明になっていく。間違いない。メリーは確かにここにいた。
大体、インターネットの履歴に限らず、ここ数日で出費した財布の中身もメリーがいなくちゃ説明がつかない。混乱から立ち直ると、そんな当たり前のことに今更気付く。
しかし、そうするとどういうことだ?
少し冷静になり、数日前からの情報を整理する。
まず、ここに訪ねてきたメリー。
そして、メリーが死んだという事実。
メリー自身と共になくなった痕跡。
……ダメだ。さっぱり分からない。メリーがここ数日俺とともに過ごしたことだけは間違いないが、状況は何一つ掴めない。
常識的に考えれば、いや、死んでないだろ、と突っ込みの一つでも入れたいところだが、母親が嘘を付いているようには思えなかった。
バカげた話だが、メリーが実はメリーではない、なんてことまで思い浮かんでくる。しかし、あそこまで昔の面影を残した他人がいるのか、また、何の目的で俺のところへと訪ねてきたのか説明が付かない。却下だ。
すると、ずいぶん非科学的な考えではあるが、メリーが実際に幽霊の類だったということだ。
思い返してみれば、メリーは俺以外の誰とも話していない。また、ゲームセンターで感じた周囲の人の違和感、バイト先でいなくなったことも考えると、そもそも、メリーが他の人に認識されているのかも分からなかった。
しかし、俺は霊感の類いはまったくない方だし、そもそもそういったオカルト的なことは昔からまったく信じてなどいない。なにより、今朝まで一緒に過ごしていた女の子が死者などとは信じがたかった。
あの温もりは、柔らかさは、確かに本物だった。
額に手を当て溜息を吐く。暖房器具を一切付けていない部屋はひんやりとしていて、室内なのに息が白くなる。緩慢な動きで脱いだ靴を玄関に揃えると、再びパソコンの前へと座り頭を抱える。
「……仮に、仮にそうだとして」
客観的に、多角的に考えるよう、呟いてみる。信じたくなくても、今重要なのはそんなことではなかった。
「あいつはここに何しに来て、そして、何故急にいなくなった?」
自分の中で大切なのは、メリーがどういった存在なのかではなく、メリーがどこに行って、今後どうなるのかだった。
俺は、あいつの力になってやりたいと思ったはずなのに、何も出来ず、何も知ることも出来ず、そのままメリーは消えてしまった。こんなに腑甲斐なくて、情けない話はない。もしもこのまま会えないのだとしたら……、そう考えると罪悪感にも似た後悔が胸を圧迫する。
「いなくなった理由は一体なんだ?」
自分からいなくなったのか、それとも離れざるを得ない理由があったのか。はたまた、単純に消えたのか。
ふと顔を上げパソコンの画面へと目を移す。履歴に何かしらのヒントが残されていることを願い、膨大な量の履歴を一つ一つクリックする。
しかし、手掛かりになるようなものは一つも残されていなかった。
ただ一つだけ、幾つもの履歴を確認する中、目に止まったものがあった。
それは〝メリー〟という検索ワードだった。
普通の人間が自分の名前を検索することはたまにあるけれど、つい先日までパソコンをいまいち知らなかったメリーが検索することはまったく違う意味合いに思えた。
〝世界中のことが分かるんだったら、きっと何でも分かるよね〟、そう言っていたメリーの言葉を思い出す。
公園では、自分のことを〝どこにもいない〟と言っていた。
だからなのかメリーの名の閲覧履歴を見たとき、その行為はまるで自分を探しているかのように映った。
そして、もう一つ思い出す。
あいつは自分のことを〝いらない存在〟だと言っていた。
俺は何であの時、何も言ってやれなかったのか。例えメリーのことを聞けなくても、掛けてやれる言葉はあったはずなのに。
そして今この時も、無駄に考えるばかりで何も出来ていない自分に憤りを感じた。
俺はポケットから携帯を取り出すと、発信履歴の一番上にある番号へと再び電話をかけた。
すみません、もう少し更新しようと思ったのですが、昨日も寝たのが遅く限界が来ました
ちょうど折り返しなので、残りは明日にでも更新したいと思います




