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メリーを自転車の後ろに乗せ、取り敢えず駅前の中心街まで出ることにした。
カーディガンにパーカーを羽織らせた程度で大丈夫かと心配したが、防寒のインナーが効いているのか、あまり寒がっている様子はなく安心した。
メリーは道中、色んなものに興味を見せ、あれこれ質問してきたり感想を述べていた。
背中から聞こえてくる賑やかなリアクションが、昔を思い出させる。
これだけ反応がいいと、もっと見たくなるから不思議だ。
「なぁ、どっか行きたいところあるかー」
「どこでもいー」
俺は、取り敢えず、たまに暇を潰す時に使っているゲームセンターへと向かった。
メリーはゲームセンターという概念がなかったようで、最初はどういうところなのかを理解していなかった。
ただ、幾つかアーケードを試させてみると、予想通り、いや予想以上の興奮を見せてくれた。
テレビゲームは難しいだろうから、レーシングやシューティングゲームをやらせてみる。
キャーキャー言いながら、余程新鮮なのか、夢中でプレイしていた。
途中、ボールをスクリーンに投げまくる体感ゲームをやらせたが、それが一番気に入ったらしく、5回も付き合わされた。最近運動らしいことはしていなかったから、明日は軽い筋肉痛かも知れない。
しかしゾンビ系のガンシューティングはいささか刺激が強すぎたらしい。
「お、お兄ちゃん、これどうやるの!? 何かこっちに来r、キャーー!!」
「いいから撃て!! そいつらはもう死んでるんだ! お前の手で成仏させてやれ!!」
俺がアドバイスすると、メリーは『ごめんなさい! ごめんなさい!!』と半泣きでゾンビを撃っていた。
周りからは当然注目を集めてしまい、何故かその視線の矛先は俺だった。いや、ちょっと待て、俺は親戚の子を遊んでやってるだけだぞ!? 何故そんな好奇の目を俺が向けられなければならない!?
いや、そうか。俺の気のせいか。多分外人の女の子が初めてのゲームセンターに大興奮! という光景を微笑ましく見ているだけで、俺のことなど誰も見ていない。うん、間違いない。
そんなことを考えていると、ゲームを終えたメリーは放心状態だったので、一応ゲームの設定とかを説明してフォローしておいた。
「ちょっとトイレ行ってくるから、これでも飲んで待ってろ」
「うん!」
先ほど自販機で買った缶ジュースを渡し、店内の一番奥にある化粧室へ向かう。
しかし、ゲームセンターをここまで満喫したのはいつぶりのことだろうか。
子供の頃は、確かに俺もあんなふうにはしゃいでいた気がする。
一通り遊び倒したのでそろそろ帰ろうかと考えながら戻ると、メリーがクレーンゲームのアーケードに張り付いていた。
「ほしいのか?」
「え!? あ、あの、別に、大丈夫」
後ろから急に話しかけたから動揺したのか、メリーはクレーンゲームの筐体からパッと離れ、入口の方へと向かおうとした。
ガラスの中を覗くと、一時話題になった、世界最大のげっ歯類のぬいぐるみが不規則に陳列されている。
……でかいな。クレーンゲームはある程度得意だが、取れるか?
ポケットから先ほど崩した小銭を取り出し、コインの投入口へと流し込む。
「あの、ホントに、いい……あっ」
上手いことタグにクレーンの爪が引っ掛かり、かなり取り出し口へと近づいた。メリーがそれに合わせて思わず声を漏らす。その様子から、本当は欲しいのだと分かった。
俺はメリーの言葉には反応せず、無言で次の100円玉を投入した。狙うべきところは分かった。あとは、同じように寄せてっと。
「あ」
再びメリーが声を漏らす。もう興味がないふりはやめたのか、ケース内のでかいネズミの挙動に首ったけだ。
もう一度タグに爪を引っ掛けると、ぬいぐるみは今にも落ちそうなところまで来た。だけど、獲物が大きいせいで、先ほどのやり方じゃ落とすまでは行かない。
クレーンの幅を確認して、再度コインを投入する。500円玉を入れておけばよかったと後悔しかけたが、同じ金額で何とか取れそうだ。
「あ、お兄ちゃ、通り過ぎ」
「大丈夫」
目標を通り過ぎたクレーンは、そのまま下降し地面に当たって爪を広げた。しかし、ぬいぐるみは広がった爪に押されることで落下し、やっとのことで取り出し口にその顔を見せた。
よし、面子は保てた。これだけすかしておいて取れなかったらどうしようと、内心焦っていた俺は心の中でガッツポーズを取った。
「ほら」
そういった感情は見せずに、ぶっきらぼうにぬいぐるみを渡す。
メリーはぬいぐるみを受け取ると、そのでかいネズミと睨めっこしていた。顔を突き合わせ、そして服を渡したときと同じように、ギュッと抱きしめる。
「……かわいい」
「そっか」
メリーが真顔の顔を少しだけ赤らめ、俯いて呟く。普段は騒がしい癖に、こういうときはしおらしいな。
たかがぬいぐるみなのに、そんなに心底嬉しそうにしないでくれ。普段のようにキャッキャッと無邪気に笑ってくれ。
「そろそろ行くか」
「うん」
そう言って店外に向かうと、ぬいぐるみを抱えながらメリーは俺の裾を掴んでいた。
何とも言えない気持ちが胸に去来する。
これが同情なのか、父性なのか、愛しさなのかは分からない。ただ、守ってやりたい気持ちに、助けてやりたい気持ちに駆られた。
メリーに裾を引っ張られたまま、自転車には乗らず、押して歩くことにした。
しかし、今日の散財っぷりは酷いものがある。
昨日から数えて諭吉先生が2人ほど俺の元を去っていった。
正直、バイトと仕送りでやり繰りしてる学生には結構な出費だ。夜飯はテカ弁で済ませるかと考えた。
とはいえ、夕飯には流石にまだ早い。
帰りがけに通りかかった公園をメリーが眺めていたので、ちょうど良いと思い敷地内のベンチに腰を下ろすことにした。
ゲームセンターを出てから、俺たちは一言も言葉を交わしていない。公園に入るときも、それとなしに進路を変更して、後ろで裾を掴んでいるメリーが着いてきただけだ。
別に空気が重いわけじゃない。ただ、久しぶりに再会して終始和気あいあいと話せるほど、俺とメリーは近い位置にいない。年齢も身長も立場も経験も、何もかもが離れ過ぎていた。
それに、たまに振り返ってメリーの様子を確認しても、ぬいぐるみを抱えてうつむき、ポーっとしているので、別段話す必要もないと思った。
夕暮れの公園はまだ遊んでいる子供も多く、メリーと同年代ぐらいの子もいる。
視線は動かさずメリーに問いかけてみる。
「最近、学校とかどうだ?」
自分の発した言葉が耳に届きそこでようやく気付いたが、何て当たり障りなくてオッサン臭い質問なんだろう。まさしく俺は親戚のオジサンと化していた。
「えと、行ってないからよく分かんない」
……当たり障りはあった。
え、ちょっと待ってくれ。というと、あれか? あの傷跡は学校が原因? 俺は勘違いをしていたのか?
ハーフ。容姿の違い。両親がいなくて。由緒正しい裕福な家。妬み。省き。イジメ。体罰。不登校。家出。
一瞬にして様々な感覚と考えが同時に浮かんで弾ける。
そして、遂に俺は聞くことにした。
これ以上、問題を先送りにすることは出来ない。
意を決して、メリーへと向き直り、昨日から抱いていた疑問を言葉にする。
「……なぁ、お前さ、その身体の痣、どうした?」
「……」
沈黙が下りる。
ただ、俺はそれ以上何も問いかけない。話さなくていいとも言わない。
取り繕うようで、誤魔化すようで、何だか嫌だったから。
メリーは相変わらずぬいぐるみを抱えたまま、遊んでいる、自分と同世代であろう子供達の方へと視線を投げていた。
その瞳からは、俺は何を考えているのかは分からなかった。
ただ、遠い目と言うのはこういうものを言うのだろうなと、何となく思った。
どれぐらいの時間が経ったのか、やがてメリーがポツリと呟いた。
「私ね、いらないんだって」
「は?」
俺は、メリーが零したその言葉を上手く受け止めることが出来なかった。
幾らでも取りようがあったから。
「……いらない?」
「うん、いらないの。いらないし、どこにもいないの」
「いない?」
それがどういう意味なのか、俺には理解しかねた。
ただ、何か言葉をかけなければならない気がして、必死で頭の中を探しまわったけど、上手い言葉はついに見付からなかった。
メリーは先ほどと同じように遠くを見つめている。
〝どういうことだ〟と問い詰める言葉も浮かんだが、その横顔を見て思わず呑みこんだ。
聞いても、それ以上語ることはないだろうと分かってしまったから。
沈黙こそが、メリーの拒絶を雄弁に語っていた。
それは、俺に出来ることはないのだと突き付けられているようでもあった。
「ふぅ」
どれぐらい時間が流れただろうか、メリーが勝手に区切りを付けるように一息ついた。
ベンチからやや勢いを付けて立ち上がると、まだあれこれと考えている俺をたしなめるように目の前に立って声をかけてくる。
「お兄ちゃん、ぬいぐるみありがとう! 大事にするね!」
人もまばらになった夕闇の公園を背に、メリーは俺に微笑みかけた。
その笑顔は曇り一つなくて、何だか呆然とした。
こいつはまだ12歳の子供なんだ。自分だけじゃどうしようもないことも、分からないことも幾らだってあるんだ。そう思っていたのに、自分の方が子供のように思えてしまった。
暮れる空は幻想的で、目の前の光景は美しいはずなのに、メリーの言葉だけがずっしりと腹の中に残って、石を呑んだかのように重く重く息苦しかった。




