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勇者の商人  作者:
勇者のための戦い。

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58/85

虚ろの王子はのみ込まれる。

(?)


 違和感があった。

 斬撃は綺麗に入った。だが、なにかもの足りない。そういう感覚。

 引っかかったが、今は考えないことにした。まずはジルをきちんと封印するのが先だ。異形の神の化身は不死不滅。本質クオリアを断ち切っても、放っておけば数百年後には蘇ってしまう。対抗するものは、マティアルはもういない。不死性も失って、ヴェルクトの中に溶けてしまった。

 ここで永遠に封じ込めてしまわなければならない。

 本質クオリアを砕かれたジルの体は動きを止め、落下をはじめる。

 わずかに残った本質クオリアの残滓である赤い煙のようなものが、体から逃げ出そうとしているのがわかった。

 左の手のひらを突き出し、ジルの体をすっぽり閉じ込める形で緑色の魔力のキューブを形成した。

 ソウルキューブ。

 精神やそれに類するものだけを捕捉し、閉じ込める機能を持つ。

 勇者の能力というより、マティアルの能力だ。

 キューブはジルの体をすり抜けて縮小し、ジルの本質クオリアだけを絡め取る。そして手のひら大になってヴェルクトの手元へと戻った。

 残滓の状態でも自我は残っているようだ。言葉を発することはなかったが、凄まじい憎悪を吹き付けられるのを感じた。

 このままだと安定しない。さらに魔力を通し、ガラス状に物質化させる。

 残る仕事は上空からの異形たちと、斬り伏せたメイシンの体に残っている魔王のバイパスの処理。

 まずは、異形たちからだ。

 ジルとメイシンが呼び出した異形たちの本質は異形の神の宇宙に漂う、異形の神の組織のかけらをこちらの世界に引き寄せ、切り分けて、眷属や大悪魔、恐怖の黒竜テラードラゴンといった定義づけをしたものだ。

 その定義づけを書き換えてやればいい。

 危険な定義づけを解除して、元の世界に帰還させてやればそれで終わりだ。ジルがいたら不毛の定義づけ合戦になる危険があったが、もう妨害の懸念はない。

 緑の光の翼をいっぱいに膨らませ、空を見上げる。光の羽根の一本一本に、定義のキャンセルと帰還を命じるコードを乗せた。

 このあたりも勇者の能力というより、マティアルそのものの能力に近い。

 勇者のバイパスだけでなく、マティアルの記憶の一部を受け継いでいなければできない芸当だ。

 投射。

 総勢一万超の異形の群を同数の光の羽根で迎え撃つ。

 無数の緑の光芒が空へと閃き、異形の群を捉え、その定義をキャンセルしていく。

 定義をされる前の異形たちの本質、それは金と銀の瞳孔のような器官を備えた泥の塊とも肉の塊ともつかない、黄色く奇怪な物体だった。怖気を振るいたくなるような姿ではあるが、それ自体には明確な自我も悪意もない。打ち込まれた帰還コードに従い、次々と姿を消していく。

 そうして、当座の危機は去った。

 空を覆った異形たちはヴェルクトが放った羽根によって姿を消し、暗雲も晴れて行く。

 最後に、メイシンが残った。

 空中でヴェルクトに両断され、地面に叩きつけられたメイシンだが、魔王のバイパスはまだ機能している。失った下半身を四角錐の触手の束で再生し、よろめきながら立ち上がる。

 ジルがいなくなったせいだろうか、もう、ヴェルクトの名前を絶叫したりはしない。顔の穴もなくなっている。頰はこけ、髪もほとんど白くなっていた。


「死にかけてるのに無理に立つな。迷惑だ」

「だまれ」


 メイシンは咳き込み、口の端から血を吐いた。やはり、体がボロボロのようだ。


「いった、はずだ。僕は、お前が、お前たちが憎いんだ。僕の前で、僕が持ってないものを見せつけ続けて」


 憎悪の言葉。だが薄っぺらい。目にも憎悪の色はなかった。

 ヴェルクトが降りてくる。その姿を見据え、メイシンはさらに言い募る。


「ヴェルクト! どうして全部君なんだ。なんで僕じゃない。なんで君にはバラドがいて、僕には誰もいなかった。なんで君が兄上の剣を、アガトス・ダイモーンを持っていた。なんで僕じゃなかった! 君と兄上は赤の他人で、僕は兄上の弟だった。なのに、なんで!」


 メイシンは血を吐きながら喚く。憎悪の色はやはりない。

 悲痛としか言いようのない必死さだけが伝わってくる。

 アスール王子は何も言わない。メイシンの真意を察したのだろう。「たわけ」ということもなく、破滅した弟の姿を静かに、厳粛に見据えていた。

 メイシンの必死さ、切実さはヴェルクトにもわかったようだ。戸惑い気味に口を開こうとしたが、アスール王子がそれを制した。


「黙っていろ……頼む」


 アスール王子にしては珍しい、優しい声音だった。ヴェルクトは小さく頷く。メイシンはさらに叫ぶ。


「殺されてたまるか、君なんかに、君たちなんかに。殺されてやるものか!」


 やっぱりか。

 思った通りの流れになってきた。

 これが、メイシンが最後に選んだ役柄なのだろう。

 自分を演じ続けた男が、最後に、自分の意思で演じる芝居なのだろう。

 本当に、どうしようもない。

 だが、もう、他にどうしようもないのだろう。

 こちらとしても、もう、何もしてやれない。

 手を差し伸べてやれるところは、とうに踏み越えてしまっている。

 見守ってやるしかない。

 メイシンは自分で自分の胸に爪を立てる。魔王の力にものを言わせ、胸板を引き裂くように割り開く。

 狂ったように笑う。

 狂気を演じ、悪鬼を演じ、血反吐を吐きながら、死に物狂いで笑う。


「殺されてやるものか、お前たちなんかに、裁かれてたまるものか!」


 メイシンの背中から四角錐の触手が伸びる。それは俺でもヴェルクトでもなく、引き裂かれたメイシン自身の胸へ、心臓に向かって伸びていく。

 全てに終止符を打つために。

 贖罪のつもりはなかった。

 自尊心の問題だった。

 ヴェルクトを裏切り、魔王に堕ち、幼稚で浅ましい嫉妬と憎悪を撒き散らした。その上自分の始末まで、あの少女に押し付けて逝く。

 それだけはできない。

 あの少女は、強く、甘く、柔らかい。自分を手にかけることを、傷として抱えてしまう。せめて、最後まで演じ抜こうと決めた。

 いや、演じる必要もない。

 どうしようもない屑が、ただ、屑らしく振舞うだけだ。

 裁きを恐れ、罪から逃げ出し、自らの命を断つ。惨めな男が惨めに死ぬ。それだけだ。

 狂笑を最後の仮面に、自らさらけ出した心臓へと、四角錐の触手を延ばす。バイパスを自力で壊すことはできないが、死ぬことくらいはできる。

 だが、その覚悟は、届かなかった。

 四角錐がメイシンの心臓を引き裂く前に、メイシンの胸にぽっかりと穴が開く。

 異空へとつながる穴が。

 異形の神の宇宙。それも異形の神の中核部が存在する銀河の中心部へとつながる穴が。

 ジルの無理な運用が祟ったのだろう。魔王のバイパスがメイシンの体を侵食し始めていた。胸の穴が広がり、メイシンという存在そのものを、異空につながる穴へと変えてゆく。


(ダメだ! ダメだ! ダメだ! これ以上! もう! これ以上はダメだ!)


 これ以上の醜態は、もう晒せない。もうこれ以上、誰にも迷惑はかけられない。

 必死でバイパスを制御し、抑え込もうとする。

 だが、どうすることもできない。

 胸の穴から、蠢く黄色い肉のようなものが、じわりと溢れ出す。

 それは、異形の神の一部だった。


(ぁ……)


 止められない。

 どうすることもできない。

 せめて。

 ヴェルクトを、バラドを、アスールの顔を見る。


(逃げろ!)


 そう叫びたかったが、うまく言葉が作れない。

 アスールが叫ぶ。


「離れよ!」


 読み取ってくれた。

 だが、礼をいう時間はない。

 止められないなら、離れなければならない。

 少しでも、人の世界から遠い場所へ。

 最後の力を振り絞り、メイシンは翼を広げる。

 飛翔する。

 遠くへ。

 できるなら、海へ。

 だが、届かない。

 王都から十マイルにも行かぬところで、メイシンと言う存在は侵食され尽くし、異空への穴に成り果てた。

 高度千ヤード。直径百ヤード。中空に浮いた穴から、黄色い肉塊のようなものが、じわじわともりあがっていく。

 菌の塊が膨らむような緩慢さ。

 だが、それは確実に、その体積を増していく。

「なんなんだ、一体」


 妙なことが、取り返しのつかないことが始まろうとしている。そんな予感がした。だが、具体的に何が起きたのか、よくわからない。


「つながったの」


 そう告げたのは、哄笑を含んだ女の声。

 ジルの声だった。


「つながったの。暴走した魔王のバイパスがメイシンを食いつぶして、父なる母に、異形の神につながる穴になったの。残念でした。この世界は、あなたたちは、これでおしまいです」


 狂喜を孕んだ、歌うような声。


「まだいやがるのか」


 ぞくりとして呟いた俺に、ヴェルクトは堅い表情で「ごめんなさい」と言った。


「これ」


 そういって、小さなガラスのキューブのようなものを取り出す。


「黙って」


 ヴェルクトはキューブに魔力を通す、キューブが真っ黒に染まると、それきりジルの声は聞こえなくなった。


「なんだそりゃ」

「ジルの残りかす。復活できないように閉じ込めてたんだけど、壁が薄かったみたい」


 不死不滅とか言ってたな。どこまでも迷惑だ。


「なんだか、わかるか」

「ジルの言った通りのものみたい。魔王のバイパスが、メイシン王子を呑み込んで、異形の神の世界につながる穴になったの。そこから異形の神の一部が、こっちの世界に染み出して来てる」


 また穴か。

 空間に穴。顔に穴、新しく作った魔族も顔に穴。挙句の果てに、異形の神の世界への穴。

 穴ばかりだ。


「異形の神が攻め込んでくる!?」


 フルール二世は悲鳴のような声をあげた。ヴェルクトは首を横に振る。


「攻めては来ません。ただ、染み出してくるんです。穴から水が染み出してくるみたいに。でも、異形の神は、大きいんです。この世界より、ずっと、ずっと。だから、このままじゃ、世界が沈みます。異形の神の中に」

「おしまいってのは、そのことか」

「……うん」


 ヴェルクトは、青い顔で頷いた。


「止められないのか? 今のお前でも」


 ヴェルクトに止められるようなものなら、ジルもああまで狂喜はしなかっただろう。ヴェルクトもこんな顔にはならないだろう。


「勇者の力じゃダメなの。あれは、異形の神のかけらじゃなくて、異形の神そのものだから。あの組織を削り落とせば、穴を塞ぐことはできるけど、わたしじゃ、異形の神を直接攻撃することはできないの。勇者のバイパスの力は、もともと、異形の神に作られたものだから」

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