帝都動乱
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──帝都動乱
私は馬車で帝都中央病院へと急いだ。
「すみません! 父と母がここに運ばれたと聞いたのですが!」
「まずはお名前をどうぞ」
「イリス・ツー・ラウエンシュタインです。父はカール、母はアンネリーゼです」
「ラウエンシュタイン夫妻のご家族の方ですか。こちらへ」
看護師さんに案内されて私は病室に通される。
「お父様、お母様!」
お父様とお母様は包帯を巻かれ、点滴を受けていた。体は心電図に繋がれているが、それを見ているお医者さんは険しい表情をしていた。
「先生。ご家族の方がいらっしゃいました」
「娘さんですね。ご家族の容態を説明します」
お医者さんはとても険しい表情のまま、お父様とお母様の容態を告げ始める。
「おふたりとも全身の皮膚の4分の1に重度の化学熱傷を負っており、これが重症です。この化学火傷を治療できないと、感染症が引き起こされる可能性もあります。最悪の場合、細菌が血管に入り、敗血症を起こす可能性も……」
「治療はできるんですよね?」
「現状では完全な回復は保証できません。覚悟をなさってください」
覚悟って……? ふたりとも死んでしまうってこと……?
「できる限りのことは全てやります。なので、今は傍にいてあげてください」
「はい……」
私と数名の看護師を置いてお医者さんは出ていった。
「この椅子をどうぞ」
「ありがとうございます」
看護師さんに勧められて私は椅子に座り、ベッドに横たわっているお父様とお母様を見つめる。心電図が意味することは分からないが、これが動いている間は心臓が動いていて、生きているこということなんだよね?
敗血症は少し知っている。細菌が血管に入ってしまい、血管内で増殖する。そうすると血管が詰まったり、臓器が機能不全を起こしたりして、死んでしまうということ。
この世界にはまだ高度な抗生物質というものがない。そのため火傷からの感染症を防ぐ手段はあまりないと看護師さんが説明してくれた。
「お父様、お母様……」
朝には私のドレス姿を見て喜んでくれていたふたりが、今死にそうになっている。
どうして? 何故?
「……イリス、またはイリリースよ……」
「お父様!」
お父様が目を動かして私の方を見て、呻くように言うのに私が急いで近づく。
「……どうか……汝のもたらす……偉大なる……知性が……この地球に…………芽生えることを……。汝と……汝の子らの…………幸福があらんことを……。切に……願う……ぐぐあ…………」
「お父様、お父様! 」
ここで看護師さんたちがお医者さんを呼び、慌ただしく動き始めた。心電図は何かの警報を発している。だが、私には何がどうなっているのかまるで分からない。
分からない。
「心室細動です!」
分からない。
「除細動器を準備! 離れて!」
分からない。
「高度徐脈! 血圧測定不能です!」
分からない。
「心臓マッサージを続けて!」
分からない。
「……心停止です」
いつもそうだ。
いつもいつもいつも。
いつもいつもいつもいつもいつもいつも。
いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも!
私はずっと分かっていなかった。
凄く簡単な問題なのにどうして私はいつも理解できなかったんだろう。
みんながおかしくなるのも。みんなが悪夢を見るのも。みんなが自殺してしまうのも。みんなが傷つくことも。みんなが怖がることも。みんなが困ることも。みんながこうして死んでしまうのも。
そして、フェリクスに助けられてばかりなのも。フェリクスに迷惑をかけてばかりなのも。フェリクスと離れなければいけないのも。
全て、全て、全て。たったひとつの方法で解決できるじゃないか。
そのとき私の中で何かがぷつりと音を立てて切れた。
* * * *
『こちら国家憲兵隊。どうされましたか?』
『こちらは帝都中央病院! 助けてくれ! すぐに来てくれ!』
『なにが起きているのか冷静に話してください』
『化け物だ! 化け物が病院を──ああ! 助けて、神様──』
1915年12月24日午前11時40分。帝都中央病院との連絡が途絶。
『本部、本部。こちら国家憲兵隊のバルリング軍曹です!』
『軍曹、状況を報告せよ』
『肉塊が、肉塊が帝都中央病院を覆っています! あれは何だ!?』
『肉塊と言ったのか?』
『そうです! あれは化け物だ! 化け物が帝都中央病院を飲み込んで……クソ! 周囲に広がっている! 肉塊が周囲に向けて広がっている! ああ、なんてことだ! 早く逃げろ! 逃げるんだ!』
11時45分。巡回中の国家憲兵隊が帝都中央病院が肉塊に制圧されていることを報告。
ローゼンクロイツ協会本部に足早にエリザベスとマティアスが駆けこむ。
「総裁閣下がお待ちです」
「ええ」
武装した職員にそう言われ、彼らが警備する部屋にふたりは踏み込んだ。
「エリザベス・フォン・エンゲルハルト捜査官。状況は最悪だぞ」
「理解しております、総裁閣下」
部屋の中にはローゼンクロイツ協会に所属する幹部職員と密かに繋がりがある国家憲兵隊の将官や国軍の将官たちがいた。
それとローゼンクロイツ協会の総裁であるひとりの老人も。
「先ほど帝都中央病院の状況が報告されてきた。君たちが報告していたイ=スリ・リスが帝都中央病院にそのときいたことも報告されている。これを合わせて我々はある判断を、協定に基づき帝国政府に対して通知した」
老人は深く息を吸ってから告げる。
「帝都は現在、敵対的神格による攻撃を受けている、と」
総裁がそう告げるのにマティアスは口笛をひゅうっと吹いてやけくそ気味に笑った。
11時52分。史上初めて地球上において敵対的神格の存在が観測される。
魔女協会の長クラウディア・フォン・ヴィンターシュタインは魔女たちを連れて、帝都で万博が開かれた際に作られたホテルの屋上から、帝都中央病院を急速に蝕む肉塊と、周囲に広がる混乱を見学していた。
「見るがいい、同志たちよ。今やイリス、またはイリリースは忌まわしい枷から解き放たれた。この地上を偉大なるものが支配するときが、人類が長い惰眠から目覚めるべきときが来たのだ」
クラウディアが軍用外套を翻して告げるのに魔女たちが叫ぶ。
「我らに高次元の知性を!」
魔女たちは叫ぶ。彼女たちの欲望を。
「そうだ。我らに高次元の知性を。今こそ変革のときだ」
クラウディアはそう言って残忍な笑みを、狂った笑みを浮かべる。
「まずは混乱が必要だ。全てのものはカオスから生まれる。秩序から生まれるのは退屈だけだ。そうであるが故に我らが神格に捧げる生贄として、この帝都を混乱へと叩き落すのだ」
「生贄を!」
魔女たちが叫ぶ。知性に対する犠牲を。
「では、諸君。帝都を腐肉に沈めてやろう」
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