教えて、マティアス先生!
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──教えて、マティアス先生!
ローゼンクロイツ協会。
古来より正しい魔術のあり方を守り、異端や危険な魔術を取り締まってきた秘密結社は、その本部を帝都にあるひとつの貿易会社の建物内に潜ませていた。
現在、そこには新たに動員された職員とそれに対するオリエンテーションを行っているベテラン職員──マティアス・フォン・エーレンベルクがいた。
「あー。まずここに動員された諸君に同情する。お前たちはさほど長くは生きられないだろう。残念なことに。ご愁傷様だな」
マティアスは小さく笑ってそう言い放つ。
「とは言え、生き残る努力ぐらいはするべきだろう。なので、俺がこれから話すことを頭に叩き込め。そうすれば多少は生き延びられる。それが1秒、2秒ぽっちの長さであったとしてもな」
マティアスはそう言ってオリエンテーションを開始。
「まず知っておくべきことは敵の脅威だ」
そう言いながらマティアスは黒板に『人間』『召喚生物』『眷属』『神格』という文字を書き、その間に線を書いて区切った。それぞれのカテゴリーを示すように。
「まず人間は我々の同胞であり、よく知った存在だ。だが、この中にも脅威は潜んでいる。魔術師だ。魔術師と言っても諸君らの知っているような平々凡々の魔術で満足している連中じゃない。異端の魔術を崇めている連中だ」
そして人間とカテゴリーされた場所に『魔術師』と書かれる。
「幸いにしてやつらのほとんどは正気じゃない。高度な戦術を駆使して挑んでくるわけではない。が、それを補って余りある危険な魔術を使う。人間を一瞬で灰にしちまう魔術やあとで説明する危険な生物の召喚などだ」
だが、とマティアスは続ける。
「やつらはそれでも人間だ。脳天に鉛球をぶち込めばくたばる。問題は人間であることを半分止めている連中。つまり魔女と高位魔女だ」
次に人間と召喚生物のカテゴリーの間に『魔女』『高位魔女』と書かれる。
「こいつらは異端の魔術に手を出して満足するだけでなく、自身の肉体や魂すらも変質させた連中だ。肉体を強化し、魂を捻じ曲げ生き続ける化け物ども。こいつらは既に人間という生物のカテゴリーから片足をはみ出させている」
魔女と高位魔女の文字をトントンと叩きながらマティアス。
「魔女はまだ殺せる。だが、高位魔女となると鉛球で頭をぶち抜いても、それどころか大砲のデカい砲弾で吹っ飛ばしても、死にはしないだろう。こいつらを殺すのは骨が折れる。だが、全く不可能ではない。事実、俺は何度か殺した」
魔女と高位魔女をマティアスは殺害したことがある。彼もまた異端の魔術を知っているからだろうかと列席していたローゼンクロイツ協会の職員たちは思う。
「次に召喚生物だ。こいつらは異界に暮らす生物どもだ。異界に暮らすウジやノミみたいなもんだが、この世界においてはとんでもない化け物になる。異界の存在ってのはそれだけ脅威ってわけだ」
異界。この地球とは全く異なる世界であり、想像もできぬ外宇宙に広がる世界。そこにいる存在はどんな些細なものであっても、地球の支配者である人類にとって脅威になるものである。
「先に述べた魔術師、魔女、高位魔女は召喚生物を使役することがある。というよりも、その手のこと以外で俺たちが召喚生物に出くわすことはない。召喚生物そのものに高度な転移技術はないからだ。こいつらは人間をぶち殺せるような力はあるが、所詮は下等な存在に過ぎん」
召喚生物は自分の手で異界から地球までくることはできないとマティアス。彼らはおぞましい化け物であったとしても、異界においては不快な害虫程度の下等な存在に過ぎないからだ。
「で、召喚生物は殺せるのかって話だが、結論から言えば殺せる。不可能じゃない。だが、連中を真正面から相手にするより、こいつを召喚した魔術師や魔女を殺した方が手っ取り早く済む。召喚主が死ねば、召喚生物は元の世界に送り返されるか、地球の環境に適応できずにくたばるからだ」
召喚生物は彼らにとっての異界である地球で存在し続ける上で、召喚主に依存している。召喚主を屠れば、彼らは自然と地球から消滅する。そして、大抵の場合、召喚主は召喚生物より脆弱な獲物だ。
「次に眷属。ここからはヤバい領域だ」
マティアスは眷属のカテゴリーに髑髏マークを記した。
「眷属は神格の血を受けた異界の存在であり、召喚生物とはけた違いの強さを有する。召喚生物より賢く、タフで、そんでもって残忍だ。連中にはほとんどの召喚生物にない知性がある。それが何よりもヤバい」
どうヤバいかって? とマティアスが続ける。
「戦術的に行動することもあるし、高度な魔術も行使する。そして、連中は人間がどれだけ脆弱な存在なのかを理解する。一度眷属どもが人間を自分たちにとって大した相手じゃないと分かってしまえば、そこからは俺たちはネコがネズミで遊ぶようになぶり殺しにされるだけだ」
そう言ってマティアスは肩をすくめた。
「殺せるかどうかは、その神格の眷属かにもよるだろうが、まあ、よほどのラッキーがない限り、ただの人間が眷属を倒すのはまず無理だ。よほど命がけで殺してやろうってならない限りはな」
眷属は人間が対応可能な領域のギリギリに生きている存在だ。
「そして、神格。お前らは異端の神格は全て人類に敵対的だと思っているだろうが、実はそうでもない。人類に敵対的な神格というのは、これまでの観測の歴史において一度も見られちゃいないんだ」
意外かもしれないがとマティアス。
「だって、そりゃそうだろ。ガキがアリの巣を面白半分に壊すのを見て、人間の子供はアリの絶滅を試みている敵対的な存在と認識するか? しないよな? そう、連中にとって人類はアリか、それ以下の存在だ。わざわざ敵意を持つまでもなく、どうでもいい存在に過ぎないってことさ」
あまりにもスケールが違いすぎて、神格は明確に人類を認識できていない場合すらあるとマティアスは語った。
「だが、だから無害ってことはない。俺たちが下等過ぎて殺しても心が痛まないから、面白半分に俺たちを発狂させてみたり、冒涜的な化け物に改造してみたり、ろくなことをしない。慈悲深く、善良な神様ってのは、それこそ人間がでっち上げたフィクションの中だけの存在だぜ」
マティアスはうんざりしたようにそう言った。
「で、敵対的な神格というのにもしも出くわしたらどうするのかって? それはやることはひとつしかない」
くつくつとマティアスが笑う。
「そのフィクションの神様に祈るだけだ」
* * * *
オリエンテーションを終えたマティアスはローゼンクロイツ協会本部の建物内を、ある部屋に向かって進んでいた。
「ベス。新人をえらく大規模に動員したんだな?」
それはエリザベスの執務室だ。彼女の部屋にマティアスはノックもせずに入り込む。
「ええ。魔女協会の動きが全く分からなくなりました。無星の智慧教団が私たちと休戦したことで反応を示すと考えたのですが。彼女たちにとって同盟者のひとりが勝手に裏切ったわけですからね」
「同盟者、ねえ。どっちもそうは考えてないんじゃないか? 所詮はカルトどもだ。都合よく相手を利用することは考えても、仲良く手を結ぶってのはあり得ねえだろ」
「そうかもしれませんが、いずれにせよ魔女協会に動きがあると我々は見ています」
「そうかい。じゃあ、好きにしてくれ」
そう言ってマティアスが部屋を出ようとしたときだ。
「マティアス。ローゼンクロイツ協会の現在の方針と、それにフェリクス・フォン・シュタルクブルクのことが気に入らないのは分かりますが、大人としての自制心は持ってください」
そこで釘を刺すようにエリザベスが告げる。
「私も仮の身分に過ぎない教師として相応しいとまでとは言いません。ですが、せめて常識的な大人として考えて行動を」
「はいはい。だがな、ベスよ」
マティアスが胸ポケットからタバコを取り出しながら言う。
「あいつは絶対俺以上にろくなことをしないぞ」
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