邪神様と事件
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──邪神様と事件
マリー・フォン・シュタインヴェークはあの事件のあとでずっと休学していた。
「おぞましい、おぞましい肉の塊が……触手が……ああ、ああ……!」
彼女は精神に異常をきたしていたが、身内に精神障害が出たとあっては家の品格が疑われると考えたシュタインヴェーク家によって、自室での療養となっていた。
一向に良くなる気配がないマリーの下に現れたのは、ひとりの専門家という女性。
「酷い悪夢を見たようだな」
黒髪を長く伸ばし、血のように赤い瞳をした年若い女性は、未だに正気に戻れないマリーに向けてそう言う。
「だが、安心するがいい。今、私が別の夢を見せてやろう……。いい夢をな……」
その女性──クラウディアはそう言ってにたりと不気味に笑った。
* * * *
当然、教室に響いた悲鳴。
私がびっくりして悲鳴の方を見ると──。
「エミリアさん!?」
エミリアさんの腹部から血が流れていて、制服が赤く染まりつつあった。
「ど、どうして……!?」
教室内が混乱する中で私が周囲を見渡すと、そこには血の滴るナイフを持った女子生徒──そう、以前私たちに嫌がらせをして私が懲らしめたマリーがいた。
「あ、あああああっ!」
マリーは狂った表情でナイフを振り回し始め、倒れているエミリアさんに再び襲い掛かろうとしている! こ、これは不味いです!
「だ、誰か! 手を貸してくれ!」
「取り押さえるぞ!」
レオンハルトがエミリアさんを庇うように立って助けを求めるのに、フェリクスがそう叫び、クラウスとフェリクスがナイフを振り回すマリーを取り押さえようとする。
「ああああ! あああああああっ! 離せ、離せえっ! こいつが、こいつが、こいつがっ! こいつこそが悪夢の元凶なんだああああっ!」
「クソ! ナイフを奪え、クラウス!」
フェリクスたちは叫び、暴れ回るマリーからナイフを奪い、何とか取り押さえた。
「エミリアさん!」
私が倒れているエミリアさんに駆け寄る。彼女の表情は既に出血のせいで酷く青ざめ始めている。大変だ!
「救護室へ! それから教職員に知らせて救急と国家憲兵隊を呼べ!」
「は、はい!」
クラウスが素早く命じる。
フェリクスは他の男子生徒と協力してまだ暴れようとするマリーを取り押さえており、レオンハルトはエミリアさんを抱えて救護室に走る。私はレオンハルトと一緒に救護室に向けて走った。
私にできることがあるとすれば、こっちなのだ。
「先生! 女子生徒が、エミリアが刺された! 救護を!」
「な、何だって!?」
レオンハルトが救護室に飛び込んで叫ぶのに救護室の校医が目を見開いて驚く。
「こっちのベッドに寝かせなさい!」
校医が言い、レオンハルトがエミリアさんをベッドの上に横たわせる。
「刺されたのは腹部だけか? クソ、酷い出血だ! 止血を手伝ってくれ!」
「私が傷口を押さえますので!」
校医はそう求め、私がエミリアさんの刺された傷口に手袋を外して手を伸ばす。真っ赤な血が溢れてくる傷口は、深く抉られたようで血が止まらない。このままではエミリアさんは出血死してしまうだろう。
だが、ご安心を! 私は邪神様なのですから!
私は押さえている傷口にひっそりと触手を伸ばして、その触手を切り離すと眷属として使役し、それによってエミリアさんの傷ついた血管を元通りにしていく。さらに眷属を分解させて、失われた血液の代わりにした。
これで大丈夫! 邪神様は救急医療もできるのです。わはは。
……これでエミリアさんに人じゃないものの血が流れることになったけど、些細な問題だろう。うん。死ぬよりはいいですよね。多分。
「で、殿下……」
「エミリア! しっかりするんだ!」
エミリアさんが苦しげに呟くのに、レオンハルトがエミリアさんを励ます。
「おお。血が止まったようだ。しかし、どうして……?」
校医は何故かエミリアさんの出血が止まったことに頭をひねっている。細かいことは気にしない方がいいですよ~。
それから救急車が来て、エミリアさんはレオンハルトが付き添う中、帝都の病院へと運ばれて行ったのだった。
さて、残る問題はひとつ。マリーだ。
私が手を洗ってから教室に戻ると、まだ国家憲兵隊は来ておらず、マリーは学園の警備員によって拘束されていた。
「ああ。イリス嬢、君は無事か?」
「はい。エミリアさんも出血は止まっていたそうです」
エーミール先生も慌てて教室に来ており、生徒たちを犯行現場である教室から移動させようとしているところだった。
教室には生々しい血の跡が残されている。
「イリス嬢。エリザベス嬢から話があるそうだ」
そこでフェリクスがそう言ってきた。そのエリザベスさんはクラウスとマティアス先生と一緒にいて、何やら相談しているようだ。
「エリザベスさん。何かお話があるとか?」
「ええ。まずは場所を移しましょう」
私たちはエリザベスさんに言われて生徒会室に場所を移す。
「まず今回の事件ですが、ただの暴行、あるいは殺人未遂とは思えません」
エリザベスさんはまずそう言った。
「マリーさんの様子を見ましたが、彼女は明らかに精神に異常をきたしていました。それもただの精神異常ではありません。ある種の洗脳によって引き起こされた異常です」
「洗脳……?」
エリザベスさんがそう言い、私たちは首を傾げる。
「まさかとは思うが、イリス嬢……?」
「ええ!? ち、違いますよ! そんなことしてませんって!」
クラウスが私の方を見て言うのに私はぶんぶんと首を横に振る。
それは前には意地悪に対する仕返しをしたけど、そのあとはノータッチだよ~。私は無実だよ~。それでも邪神様はやってないよ~。
「ええ。これはイリスさんの仕業ではないでしょう。もし、彼女ならばもっと上手くやったはずです。私の長年の勘では、これを起こした人間は魔女だと睨んでいます」
「魔女? 前に言っていた魔女協会か?」
「ええ。彼女たちだと思われます」
フェリクスが尋ねて、エリザベスさんが頷く。
魔女協会か~。ってことはクラウディアさん辺りかな~。迷惑だよ~。
「そこでイリスさんにお願いがあります」
「私に、ですか?」
「国家憲兵隊がマリーさんを聴取する前に彼女を正気に戻し、誰が彼女を洗脳したのか確かめてほしいのです。人の精神を容易に操るあなたならば可能だと思うのですが、お願いできますか?」
エリザベスさんの頼みはそういうものだった。
脳をコネコネしたら正気には戻せると思うけど……。そういうことやってみんなに引かれたらやだなーと思う邪神様であった。
「いいですけど、どこでやります?」
「国家憲兵隊が来る前に空き教室でやりましょう」
「了解です。けど、そのー……」
私はフェリクスとクラウスの方を見る。ふたりは私がどうやってマリーを正気に戻すのか興味津々という具合だ。
いや。でも、絶対触手で脳をコネコネしてるところを見たら引かれますよ。
「フェリクス様とクラウス様はここで待っていていただけますか?」
「ん? 何故だ?」
「衝撃的な光景になると思いますので」
邪神であることをカミングアウトした私ですが、やはり『わあ! 触手だ! こいつ、気持ちワル!』って引かれたらショックを受けると思います。
「私は気にしない。同行させてくれ」
「そ、そうですか。本当に引いたりしないでくださいね?」
「ああ」
というわけで、マリーの脳をコネコネする時間だ。
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