邪神様は無害でありたい
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──邪神様は無害でありたい
廊下に現れた魔女クラウディア。
以前にあった時と同じように黒いワンピースに灰色の軍用外套姿の彼女が廊下の奥から、ゆっくりと私の方に歩み寄ってくる。
「ついにお前も人を意のままに操ることに快楽を見出したか? それはさぞ愉快なことであろう?」
「何のことでしょう?」
見られてはいないはずだ。教室は封鎖しておいた。私の触手で。
「私にまでその偽りの仮面を見せる必要はないぞ。私はお前のその皮膚の下に蠢いているものを知っている。その可愛らしい少女の皮の下に、どれだけおぞましいものが潜んでいるかを知っているのだ」
クラウディアさんはそう言って私の方に歩み寄り、それから窓枠に寄り掛かった。
「人間の意志など所詮は化学反応と電気信号に過ぎない。そこに神秘など存在しない。より高次の存在からすれば、ぜんまいで動く玩具と同じ。それを実感したであろう? 脳を弄り回し、好き勝手な記憶と思考を持たせたことで」
否定はできないのかもしれない。確かに私はレオンハルトの脳を好き勝手に弄り回し、彼の本来の性質を書き換えた。人間が信じている絶対的な自己というのが、幻想にすぎないことを私は知っている。
自分は、自分というアイデンティティは、神経細胞間の電気パルスと化学物質が生み出した幻にすぎないのである。
「お前はこれから大勢を狂わせるだろう。意図して、意図せずして、お前の欲望のままに狂わせるだろう。それは素晴らしいことだ」
「素晴らしい、ですか?」
「そうとも。この退屈な世の中には、お前のような邪神がいた方が盛り上がる」
くすくすとそう笑いながら、クラウディアは私に背を向ける。
「だが、用心はするといい、イリス、またはイリリースよ。お前の正体を知っているのは、私のような魔女だけではないぞ」
次の瞬間、クラウディアさんは消え、廊下の淀んだ空気が吹き去った。
しかし、そこに今度は慌ただしく誰かが階段を上ってくる足音が聞こえてくる。
「イリス嬢!」
その足音ともに現れたのはフェリクスだった。
「フェリクス様? どうされましたか?」
「……今、ここに何がいた?」
「何が、ですか?」
誰か、ではなく、何かという指定だ。ここにいたのが人間でないのを既にフェリクスは知っているとみるべきですね。
「私以外には誰もいませんよ。もしかしてお化けでもいると思われましたか?」
私は小さく笑ってそう尋ねた。
「何もないならばそれでいい」
フェリクスは私がからかうのを無視して周囲を見渡す。
クラウディアさんは予言するように言っていた。私の正体を知っているのは、狂信者や魔女たちだけではないと。フェリクスはそう言った直後に現れ、ここにいた何か──人ではないものがいたかと尋ねた。
フェリクスのこれまでの態度からしても、私を不審に思ってるのは明白。
つまりは、そういうことなのだろうか。フェリクスは私の正体を知っている、と。
しかし、確証がない以上、下手に探るのは下策だ。ここは普段通りに接しておこう。それに邪神ムーヴは可能な限り控えると決めているのです。
「フェリクス様。これ、ありがとうございました」
私は預かっていた魔道具をフェリクスに渡そうとする。
「まだ持っておけ。何があるか分からないからな」
「しかし……」
「予備ならある。それがないからと言って困りはしない」
フェリクスはそう言って私が返そうとした魔道具を受け取らず、私の方をまたじいいっと見てくる。怖いよ~。
「それよりも生徒会だ。もう活動は始まっているぞ。すぐに来い」
「は、はい」
フェリクスに急かされて私たちは足早に生徒会室に向かう。旧校舎から生徒会室がある第2校舎まではそれなりの距離で、フェリクスの歩幅は大きいので、私は追いつくのに必死であった。
「おお。戻ったか、フェリクスにイリス嬢」
そんなこんなで生徒会室にやってくると、会長のクラウスがでんと生徒会長の椅子にふんぞり返って私たちを出迎えた。
「イリス嬢。レオンハルト殿下と話しに旧校舎に行ったんだって?」
「ええ。少しだけお話を」
クラウスが好奇心半分、心配半分という具合に尋ねてくるのに、私は笑顔を浮かべてそう返した。
「そりゃあフェリクスが心配するわけだよな。何もなかったならいいけど」
クラウスはそう言ってフェリクスの方を見る。
「クラウス。そういうお前の仕事は少しは進んだのか?」
「まーだだよ!」
「まーだだよ、ではない。さっさと書類を確認してサインしろ。それだけの仕事だぞ」
会長のクラウスがやるのは生徒会に提出された書類を確認してサインする仕事が過半を占める。他には学校行事の際の指導などもあるが、今は何の学校行事も控えていないので、やることは本当にサインだけだろう。
「それにしても男ばっかりでむさ苦しかった生徒会にイリス嬢が入ってくれてよかったよ。やはり花があると心が晴れるね」
「それは何よりです。しかし、前の書記の方も男性だったのですか?」
「ああ。ほら、中央党のヨハン・フォン・オルデンシュタイン議員っているだろ。元文部大臣の。その息子が書記をやってた。残念なことに休学してしまったんだが……」
「それはそれは」
しかし、クラウスは本当に学園にコネを作りに来ているのですね。公爵令息のフェリクスに、議員の息子。もっと探ればいろいろな人物とのコネがあるのかもしれない。
「そう言えば、イリス嬢のお父上も議員だったよね? 帝国議会元老院の」
「はい。父も議員を務めております」
帝国議会は二院制で、代議院と元老院が存在する。元老院は事実上の貴族議員のみで構成される議院で、お父様も貴族として元老院に所属している。
「無駄話をしているな。クラウス、お前はさっさと書類にサインしろ。そして、イリス嬢はこれをタイプライターで清書してくれ」
ここでフェリクスがやってきて私とクラウスに書類を押し付けていく。
割と量がある書類が私の書記としてのテーブルに置かれ、私は渋々とタイプを始めた。相変わらずタイプライターは面倒くさいです。
「ああ。クラス懇親会の書類も来てるな」
「クラス懇親会ですか?」
「そ。クラスメイトの入れ替えもあったから、改めてクラスメイトを知って、仲よくしようってイベントだ。俺は好きだよ、このイベント。将来のためにコネを作る絶好の機会だからな」
「なるほど」
私もクラスに馴染むためには、こういうイベントで存在感を発揮しないといけないんだろうなあと思うのであった。
「イリス嬢は休学明けだし、しっかりと友達を作った方がいいぞ。友達は大勢作り、そして大切に酷使しようと親父も言っていた」
「お前の親父は本当に最低だな……」
クラウスがいつもの冗談を言い、フェリクスはため息で、私は苦笑。
「フェリクス様。これでいいでしょうか?」
それから私は書類をタイプし終えたので、フェリクスに見せる。
「……ああ。これでいい。ご苦労だった」
フェリクスは素早く、慣れた様子で書類を確認すると頷いた。
「遅くなるといけない。仕事は終わったみたいだし、今日はもう帰っていいよ、イリス嬢。また明日会おう!」
「ええ。また明日お会いしましょう」
私は丁寧にお辞儀して生徒会室を出た。
* * * *
イリスが去った生徒会室。
「……イリス嬢が心配するといけないから話題にしなかったが、やはり美術のテオドール先生と音楽のイザーク先生は、両方帝都郊外の精神病院に収容されたそうだ。ふたりとも自殺未遂を起こしたとして」
「そうか。他に分かったことはあるか、クラウス?」
「内務省の公安警察の調べでは、ふたりともカルトの信仰者などではなかった。今はこれだけだ。親父のコネでもっと調べてもらおうかと思ったが『野次馬じみた探偵ごっこはやめろ』と叱られたよ」
フェリクスが尋ねるのにクラウスは肩をすくめてそう答えた。
「すまないな。そこまでして調べてもらって」
「別に構わないさ。ギブ&テイクが政治の基本だ。できる政治家の本質はどれだけ上手に貸しを作れるかだってな。将来、爵位を継いだお前が俺の政治的後ろ盾になってくれればそれでいい」
「努力はするつもりだ」
クラウスが冗談めかして言うのにフェリクスは真剣にそう答えた。
「しかし、これで今期が始まる前に精神病院送りになったのは教師だけで6名、生徒は36名になったな。恐らくは精神病院に息子や娘が収容されたことを恥じて、知らせない保護者もいるとなると、実際の数はもっと多い」
「これが例のカルトの集団自殺と無関係だと思うか?」
「うちの学校にカルトはいないはずだ。入学前に調べるからな、そこら辺は。ただし、休学や退学した生徒には共通点がある」
「感受性が高い?」
「そう。美術部や音楽部、あるいは文学や哲学の成績が良かった生徒。そういうのが多く該当している。共通点と言えば、それぐらいだ。まあ、残っている人間が鈍い人間だとは言わないけどな」
休職、退職または休学、退学した教師と生徒に共通するのは、普段の彼らが感受性の高い人間だったということ。音楽や芸術、文学、哲学思想について優秀であった人間たちが、一斉に精神病院に送られている。
「で、だ。そろそろ聞かせてくれないか?」
クラウスがフェリクスの方を見つめる。
「お前にはイリス嬢がどう見えているんだ?」
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