人外魔境
神殿へと踏み入った凱延は、目を細くすがめて辺りを見回した。
ディース神殿。
天井は高く、ひんやりとした空気と静けさの漂う荘厳な空間。壁際には等間隔に燭台が並び、周囲を淡く照らし出していた。
死神に従属する神々の像が無数に配置され、正面には巨大なディース神像が鎮座ましましている。――その真下、一段高くなった祭壇に、凱延の目的とする人物が佇んでいた。
おどろおどろしい瘴気を放ち、目深に引き下ろしたフードの奥から、ぐつぐつとくぐもった笑いを洩れこぼす奇怪な魔導師。――それに寄り添いしなだれかかる強い妖気をまとった年若い女。薄闇の中で赤い瞳が爛々と輝く。
両者ともに、人の身ではないのは明らかだった。実に、死者の神殿で待ち受けるに相応しい化生達だ。
「待っていたぞ、凱延」
静かではあるが、その一言に込められた積年の想いは、人間なぞ虫けらよ、と侮る凱延をして、なにがしかを感じさせる重みがあった。
「貴様が魔術士ギルドの長で間違いないな?」
「そうだ。ギルドの長、ガイ・ホスローだ。この女はカダフィー。……かつて貴様が殺した我が妻の妹だ」
「そうか、知らんな」
一瞬も考えることなく凱延は即答する。
「だろうな。ならば覚えてはいないか? 百二十年前、貴様の背に傷を負わせた男のことを」
導衣に隠されたホスローの腕が持ち上がり、深く降ろされたフードをのける。
普段、決して人目にさらされることのないホスローの顔を眺め、凱延が笑う。
「やはり知らんな。だが、貴様が人を辞めて久しいということだけは解った。――そうか、お前が……」
凱延の肩が震え、小刻みに揺れ始める。その喉が、クッと鳴らされた。
「あれから随分と時が流れた。……人間であれば、もはや生きてはいまいと思っておったが――」
堪えきれなくなった哄笑が奔流となって溢れだす。
「フーハッハッハッハァ!! なんという幸運だっ。まさかあの時の“借り”が返せるとはな!」
途端に凱延の身体から強い魔力が流れだし、周囲の大気が渦を巻き始める。
「このディース神殿を死に場所に選ぶとは殊勝な心がけだな。――なにしろ地下へ叩き落とすだけで、埋葬の手間が省けるのだからなっ!」
――しかし。
……くす……くすくす…………
赤々と瞳を輝かせたカダフィーが忍び笑う。
「死ぬのはお前よ、凱延」
その異変に、凱延は否応なしに気づかされる。
「むっ……これは?」
身にまとった風の護りが、一定以上に出力を上げない。
放出する力に比例し、それを阻害する強い反発が感じられる。
振るわれる魔力を押し止めるかのように、強固な制限がかけられていた。
「人間めが……何をしたっ!?」
「これから死ぬ定めの貴様に、知る必要はない」
瘴気の魔導師は静かに告げる。
「長かったぞ。この日のために、すべてを準備して来た。――次に見えたときは……貴様を地獄へ叩き堕とすと決めていたのだ」
「笑わせてくれる! かつて我に傷を負わせし時は、万の軍勢を差し向け、このガルナを廃墟とせしめ、疲弊した我の隙を突いたにすぎん! これしきの――」
「この地において、我は一軍の長たらん」
ふたたびフードを引き下ろしたホスローが、力ある言葉を歌うかのような旋律でもって唱えた。
凱延の背後で岩が軋み、石畳に打ちつけられる轟音が響く。
振り返えると、入口を護る二体の神像が退路を塞ぎ、仁王立ちする光景が目に映った。
「生ける石像かっ!?」
さらには、ディース神像の両脇に位置する地下へ続く階段から、カチャカチャと乾いた音を鳴らしながら、骸骨の戦士達が溢れ出して来た。
夥しい数の不死者が、凱延だけを目指し群がり寄る。
ほとんどが白い骨に古めかしい武具をまとった姿であったが、中には導衣や杖、水晶球の付いた短杖を身につけた死者もいた。
それらはあっという間に百や二百ではきかぬ数に膨れ上がっていた。
「たわけがっ!」
一声吠えた凱延が腕を一振りし、圧縮された大気を不死者の群れに叩き付ける。
密集していた骸骨達が、壁際まで弾き飛ばされ、十数体ほどが粉々に砕け散る。――しかしその力は、レギウス軍を相手にしていた時とくらべれば大きく威力を減じていた。
「忌ま忌ましい魔導師めがぁ! たかが死体ごときをいくら集めたところで、この我に傷ひとつ付けることなど出来ぬわっ」
「そうか、ならばせいぜい頑張るのだな。……だが、気をつけよ。その者達が身につけているのは、長年のあいだ瘴気にさらされ、強い魔力を帯びるに至った武具だ」
ホスローの言葉に、カダフィーがくつくつと笑う。
「魔力の放出を著しく制限された今の貴様には、すこし厳しいんじゃないかしらねぇ」
凱延を取り巻く烈風は、四方から這い寄る死者の群れを押し戻すことが出来ず、徐々に包囲の輪が狭まっていく。
持てる力を奮い起こし、凱延は吹き散らし、弾き飛ばす。
だが、死という概念から逸脱した存在達は、恐怖という物を知らず押し寄せて来る。
対処が追いつかず、ついに凱延の身体が亡者の群れに飲み込まれるかに見えた。
錆び付いてはいるが、魔力を秘めた剣を骸骨戦士が振り下ろす。無数の刃が、数多の穂先が、魔力障壁にぎちぎちと食い込む。
凱延の身に至る最後の護りを、叩き、穿ち、削り取ろうと白骨の腕が幾度も振るわれた。
ホスローは彼の臣民である命無き者達を注視する。
亡者の波にうもれた凱延の姿を、祭壇の上から食い入るように探していた。
不意にその体が前方へおよぐ。
身につけたホスローの導衣が、不自然にはためいた。
風に押された、というよりは、空間ごと引き寄せられたような異質な感覚だった。
同じように足を踏み出し、不可解な吸引力にあらがうカダフィーも不審な顔をする。
呼吸というものを必要としない二人であったが、辺りの大気が急激に薄くなっていることに気づいた。
その全ては、凱延が居るとおぼしき方へと引き寄せられている。
「これは……?」
神殿内を完全に真空状態へしてしまう程に集約された大気が、極限まで圧縮され――――弾けた。
瞬時に膨張した空気は音速を越え、圧力比による衝撃波を生み出した。
あらゆる物を薙ぎ倒す大気の波が、ホスローとカダフィーを壁際まで吹き飛ばす。その頭上ではディース神像に亀裂が入り、立ち列ぶ無数の神像も腕や首などが破損し、崩落した。
「馬鹿な……封印内でこれほどの力が……」
軽く首を振りながら立ち上がったカダフィーが、茫然とした面持ちで周囲を見渡す。
ただ一人立ち尽くす凱延を中心に、累々たる屍の残骸が放射状に拡がっていた。
……ハァ……ハァ……。と、荒い息遣いが聞こえた。
この場で唯一、呼吸を必要とする凱延があげたものだった。
肩で大きく息をしながら、猛禽を思わせる鋭い眼光でホスローとカダフィーを睨みつける。激しい怒りに満ちて。
「王都まで攻めのぼるため、ある程度の余力を残しておこう思っていたが……」
綺麗に後ろへ撫でつけられていた凱延の黒髪は乱れ、額に垂れかかり、その顔にも疲労の色が見て取れた。
それでも気力だけはなおも充実し、肩にかけられた豪奢なマントをむしり取り投げ捨てる。
「よかろう。今回の遠征はこの地で終わりだ。我が全力を持ってお前達を捩伏せてくれるわっ!」
「なるほど。……この百二十年で、貴様もまた力を増していたというわけか」
周囲に散らばる死者達の残骸。その数はゆうに千を越えていた。それでも、ホスローの余裕は崩れない。
「どうだ? かつて貴様に殺された者達に命をたかられた気分は。――少しは肝が冷えただろう? だが、まだだ。まだまだこれからだ」
地下へ続く階段からは、ふたたびおぞましい軍勢達が這い出して来ていた。
先刻とは違い、骸骨のみならず、腐肉をこびりつかせた屍、獣のごとき人相の屍喰鬼などといた比較的下級の不死者達。
さらには青ざめた唇から牙を覗かせる吸血鬼、腐りきった肉体に強い魔力を宿した墳墓の守人、骨の馬にまたがった首無騎士といった強力な不死者までもが姿を現す。
「お前達も行ってこい。その無念、いまこそ晴らすべき時だ」
ホスローが己の身から沸き立つ瘴気へ語りかけた。
たちまち実体を持たぬ無数の魂魄が金切り声を上げる。
恨みを呑んだ亡霊、道連れを求める幻霊、生者に執着する怨霊、非業を振り撒く死霊。
ありとあらゆる亡者達が、凱延を己が仲間に加えようと押し寄せる。
死の行軍を悠然と眺めるホスロー。その傍らを離れ、前に進み出たカダフィーが、みずからの眷属の背に爪を突き立てる。
びくりと痙攣し、驚愕の表情で振り向いた下僕の身体に埋まったカダフィーの腕が、なにかを探すようにまさぐられた。
主へ許しを乞うかのように開かれた唇にカダフィーは優しく口づけ、それを胸骨の中から引きずり出した。
数十年も前に脈打つことをやめてしまった心臓は、朽ち果てることなく新鮮な色合いを湛えたまま、カダフィーの掌に収まっていた。
力を失い崩れかかる身体を軽く押し退け、その心臓を握り潰す。
しぶいた古い血は、床に滴ることなくカダフィーの手に纏わり付いていた。
命あるかのようにうごめく血は、やがて先端部を鋭く尖らせた槍のような形状に変化し、瞬時に凝り固まる。
カダフィーにとっても力を封印される神殿内。しかし魔力を宿し糧となる血は、逆に魔力を流し込むことも容易だ。
本来の力を発揮出来ない凱延の障壁を打ち破る手段となり得る。
「待て、カダフィー。焦ることはない。完全とは言えないが、封印は効果を上げている。今は待ち、奴が力を使い果たす様を見ていよう」
背後からかけられたホスローの言葉に、カダフィーが不満げな顔をする。
「でも――」
「わかっている。最後は我ら二人の手で……。確実に訪れるその時を、今は待つのだ」
「……わかったわ」
血槍を一振りし、カダフィーはふたたびホスローの傍らに立つ。
その視線の先では、絶え間なく押し寄せる亡者の群れを、限られた力でよく凌ぐ凱延の姿が捉えられていた。
休む暇も与えず、凱延を飲み込もうとする死の軍勢。
首無しの騎士が薙いだ大鎌の尖端が、凱延の障壁にくいこんだ。
怨念を宿した刃先は、傷こそ負わせることは出来なかったが、幽鬼達は数の力で攻め立てる。
頭上からは死へと誘う幽体の腕が迫り、周囲には腐肉を撒き散らす亡者が群がっていた。
だが――勝機の見えない消耗戦に、転機が訪れた。
突如として、凱延を取り巻く旋風の勢いが増す。
つむじを巻いて唸りを上げた烈風が、死者達を蹂躙し鞭打つ。肉体を持たない怨霊もが、魔力を帯びた風に吹き散らされていた。
「むぅ……?」
まじまじとみずからの手を見つめ、凱延は口許に喜色をうかべた。
いまだ力を振るうことに対する反発は感じるが、その拘束力は明らかに弱まっている。
神殿内の異変には、ホスローもいち早く気づいていた。
「なぜだ……封印が……?」
ディース神殿を取り巻く封印術式。その魔力の流れに乱れが生じていた。
それまで耐えしのぐ戦いを強いられていた凱延へと、確実に形勢が傾く。
亡者の波は、爵位の魔族が振るう力によって次々と蹴散らされ、ふたたび動かぬ躯と変えられる。
しかし、それでも数の暴威はとどまることを知らない。
物言わぬ軍勢は、生者への羨望とともに進軍し、おもちゃの兵隊のように壊されていく。
「ホスロー!」
問いかけるようなカダフィーの声に、ホスローが落ち着いた調子で応える。
「案ずるな。封印が弱まったとはいえ、完全に消えることはない。我が手勢もまだ尽きん」
その言葉が示す通り、怪物像や動く大鎧、土塊巨人といった魔法により創造された擬似生物が、亡者の群れに交じりだしていた。
だが、封印が弱まるにつれ力を取り戻していく凱延が、高笑いとともに屍の山を築き上げていく。
そうして、どれくらいの時間が経った頃か。神殿の大扉が勢いよく開かれ、巨大な甲冑姿の戦士が転がり込んでくる。
「いっ……てえぇぇ」
勢いがつきすぎ、入口を護る神像の足に激突して苦痛の呻きを漏らしたのは、シグナムだった。
さらに間髪を置かず、ルゥとフレインが飛び込んで来る。
「む……? 新手か」
三人に目をやった凱延が、導衣姿のフレインを認め、敵だと判断した。
しかし先頭をきって神殿内部へと突入したシグナムに、神像の拳が振り下ろされる。ホスローにより、命有る者が近づいた場合、そのことごとくを殲滅せよ、と命じられた神像は忠実に任務を遂行しようとしていた。
慌てて神像の間合いから離れたシグナムが大剣を構える。だが、神像は扉の前に陣取ったまま、追撃してこようとはしなかった。
「なんなんだ!? なんで石像が動くんだよっ」
近づかなければ襲ってはこないと気づいたシグナムは、悪態をつきながら周囲を見回す。その動きがびくりと止まった。
「これは……」
言葉を失ったシグナムの眼前には、無数の不死者や擬似生物に囲まれた凱延。――そして神殿の壁際に堆く積み上げられた大量の屍とその残骸。
数千はくだらない、下手をすると万にも届こうかという亡骸が、辺りにびっしりと散乱していた。
さらに、神殿の高い天井付近にまで群がる実体を持たぬ半透明の怨念。それらを見るに至っては、早くもこの場に来てしまったことへの後悔がシグナムの内心に湧きおこってきた。
「フレイン! お前は何故ここへ? 誰も近づくなと言い置いたはずだぞ」
神殿の奥、祭壇上から見下ろすホスローが詰問する。
「申し訳ありません! 例の少女がこちらへ向かったため、先回りをしてなんとか保護しようと考えました」
ホスローとカダフィー、そして凱延の視線が三人へ向けられる。
悪鬼満ち溢れるディース神殿。その中でもとびきりの化け物達の注視を浴び、ルゥがこそこそとシグナムの後ろへ隠れる。
「フッ。まずは邪魔な屍どもを薙ぎ倒し、魔導師を動かぬ骸に変えてくれる。お前達はその後だ」
シグナム達に戦意がないことを見てとった凱延が、烈風を巻き起こしホスローを睨み据える。
「お前達は下がっていろ」
ホスローの言葉に従い、シグナムは壁際の神像の陰に入る。その腰に抱き着いたルゥが、かたかたと震えていた。
「さすがにルゥでも爵位の魔族は怖いのか?」
そう言うシグナムの声音もまた硬い。わずかの間、凱延と視線が合わさっただけで、じっとりと嫌な汗をかいていた。
「爵位の魔族にはね、絶対近づくなってパパや長老さまから言われてるの」
「ああ、ルゥの一族はだいぶ前に、爵位の魔族から酷い目に遭わされたって言ってたな」
「うん、いっぱい殺されたって……」
珍しく怯えた様子を見せたルゥの頭を、シグナムが乱暴に撫でる。
「大丈夫。アルフラちゃんさえ見つければ、こんなとことはおさらばだ。あたしだってあんな化け物と戦おうなんて思っちゃいない」
ときたま飛んで来る屍を、神像を盾に首をすくめやり過ごす。おぞましい亡者達と凱延の戦いに目を凝らしながら、シグナムがフレインに尋ねた。
「なあ……なんかとんでもない事になってるけど、本当に凱延を倒せるのか?」
「……正直わかりません。封印の効果がだいぶ弱まっています。それに……大導師様がこれほどの不死者や魔法生物を従えているとは、私も知りませんでした……」
フレインもまた、恐るべき戦いを食い入るように見つめていた。
「さらに封印の効力が弱まって来ています。……まずいかも、しれません」
あやしくなってきた雲行きに、シグナムは無言で考える。アルフラを待つにしても、その前に自分達が凱延との戦いに巻き込まれてしまえば本末転倒である。
――この辺りが引き際か……?
そう自問した時、壁面のちょうど中央。凱延に近い位置から凄まじい閃光と轟音が響き渡った。
「くそっ、さっきの光だ。なんなんだよ一体!」
視界を焼いた光に、すこしづつ目が慣れてくる。神殿の壁に、その部分だけ切り取ったかのような断面を見せる大穴が開いてた。
そこからシグナムほどではないにしろ、かなり上背のある女性が神殿内部へと入って来る。
薄手のブラウスに男物のズボンという、戦いの場としてはずいぶんと軽装ないで立ちだ。背後で半壊した神像がぐらりと傾き倒れかかる。その衝撃で、壁と天井の一部が崩落し、穴を塞ぐような形で瓦礫が降り積もった。
「戒閃か。なにをしに来た」
新たな闖入者に、凱延がそっけなく問いかけた。
「なにをって……部下の指揮をほうり出して、一人で勝手をなさる上官の様子を見に来たに決まっているじゃないですか」
「フッ。指示ならちゃんと出しておる。こちらもすぐに片付く」
ちくりと厭味を飛ばす戒閃を、凱延が鼻で笑った。
神殿の壁を破って現れた侵入者へ、ホスローが疑問を投じる。
「貴様は……何者だ?」
戒閃はその問いを完全に黙殺する。瘴気をまとう魔導師へちらりと目を向け、凱延に尋ねた。
「あれは、なんですか?」
「ギルドの親玉だ」
「なるほど……しかし、ずいぶんと手こずっているようですね」
酸鼻を極めた戦場跡地のごとき様相を見せる神殿内を、戒閃がぐるりと見回した。
「もしかして苦戦してました? 城壁でなにやら魔術儀式を行っていた者達を掃討するよう命じておきました。役に立ったんじゃないですか?」
「いらぬ世話だ」
どこまでも素っ気ない凱延の態度に、戒閃がすこしむくれた顔をする。
「そうか、封印が弱まったのは貴様が原因か」
ホスローの怒りを含んだ声に、戒閃は得意げに答えた。
「怪しげな事をしていたのでね。すぐにその封印とやらも効果を失うでしょう」
「無駄だ。たとえ術者を皆殺しにしようと、城壁自体を基盤とする封印術式を完全に無効化することは不可能だ」
「城壁? その一部を崩して来たのですけど、それでも大丈夫なのですか?」
「――なに!?」
それまで悠然とした態度を見せていたホスローだが、ここにきて初めて焦りをうかがわせた。
「ありえん……幾重にも耐魔処理を施した城壁をどうやって……」
「どうやって、と言われわしてもね。ここの壁と同じように“消した”だけです」
戒閃は、どうですか、いい働きをしましたよっ、と言いたげな顔で凱延にほほ笑みかける。
だが、その笑みに応えたのは、絞り出すようなホスローの声だった。
「消した、だと……まさか、物質分解消去!?」
「まてり……なんですって?」
舌を噛みそうになり、戒閃が顔をしかめる。
「馬鹿な……いくら魔族とはいえ、それほどの魔法をなんの儀式も用いずに扱うことが可能なのか!?」
茫然とするホスローに気を良くした凱延が、嘲るように笑った。
「戒閃はな、こう見えても王族の血筋よ。灰塚様に連なる公爵家の者であれば造作もなかろう」
「そうです。わたしは今でこそ子爵ですが、ゆくゆくは公爵位を継いで、凱延殿に靴を舐めさせる事も出来る身分なのですっ」
調子に乗って野望の一端を吐露してしまった戒閃が、慌てて口を押さえた。
案の定、凱延から険しい表情で睨まれてしまう。
「ホスロー」
二人の魔族を横目に見ながら、カダフィーが低くつぶやく。
「あの女の言う通り、封印がほとんど無力化してる。しかも貴族が二人も相手じゃあ……」
「ああ、ここまで追い込んでおきながら…………やむを得まい。引くしかないか」
神像の陰に身を潜めていたシグナムも、同じ結論に達していた。
「とんでもねえことになってるぞ。爵位の魔族が二人も居やがる」
「ええ、みすみす逃してくれるとは思えませんが、こちらに注意を払われていない内に撤退しましょう」
フレインの言葉にルゥもこくこくとうなずく。子爵位の魔族。かつて人狼族の大半を殺した貴族の位階だった。しかも、凱延はさらに一階級上の伯爵位なのだ。
ゆっくりと三人が後退りした時、さきほど戒閃が作った瓦礫の山が、からからと音を立てた。
堆く積もった瓦礫と壁面とのわずかな隙間から、石片が転がり落ちて来ている。
幾対もの視線が向けられた先で、亜麻色の髪が揺れた。
まるで小リスが木のウロから顔を覗かせるように、アルフラが瓦礫の上部から顔を出す。
一瞬、唖然とするシグナムと目の合ったアルフラが、にっこりとした。そのままするりと上体を乗り出し、身軽に飛び降りる。
その後を追い、鉄球を抱えたジャンヌが不安定な足場を踏み外し、転がり落ちてきた。
「アルフラちゃん……!?」
静まり返った神殿内に、シグナムの声がこだまする。
「よりによって、このタイミングで……しかも、なんでそっちから入ってくるんだよ!」
考えられる最悪の状況だった。
ジャンヌが目の前に立つ二人の魔族に気づき、一声吠える。
「邪悪なる者に死を!!」
最悪だった。




