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氷の滅慕  作者: SH
六章 悲恋
212/251

邪神の司祭(後)



 エルテフォンヌ城をぐるりと囲う外壁は見上げるほどに高く、壁沿いに進むシグナムたちに薄い影を落としていた。城館から聞こえる喧騒を気にしつつも、歩を休めることなく一行は船着き場へと急ぐ。

 やがて城壁の一部が途切れ、河へと長く延びた桟橋が見えてきた。桟橋には平たい造りの艀船(はしけぶね)一艘(いっそう)と、十を越える小型の船が係留されている。そして桟橋近くの船小屋(ふなごや)の前には、四人の魔族らしき人影があった。魔族たちもまた、歩くたびに鋼の擦れる音を鳴らす重甲冑姿のシグナムに気づいたようだ。


「貴様ら何者だ!?」


 誰何(すいか)の声を黙殺し、シグナムは兜の面頬を下ろす。


「ジャンヌとルゥで一人づつ頼む。残りの二人はあたしが殺る」


「わかった!」


「我が神こそは始源の揺籃(ようらん)。創世の輝き……」


 ルゥが力強くうなずき、ジャンヌは早口にアルフラを(たた)える文言を唱え始めた。

 船小屋まではいくぶん距離がある。すくなくとも剣の間合いではない。魔法の数発被弾覚悟でシグナムは魔族へと突進する。――しかし、先手を取ったのは死神の王笏を振りかざした神官娘だった。


「我が神は魔族を赦さない!」


 声と共に、濁りを帯びた光の矢が放たれる。疾風の速度で飛来した矢は大柄な魔族の胸を貫通し、その背後に立っていた男の喉に突き立った。


「なんだ今の魔法は!? 障壁を射抜(いぬ)いたぞ!!」


 魔族の一人が上げた驚愕の叫びは、地面に転がり身悶える男の絶叫に掻き消された。首に矢を受けた魔族だ。喉を激しく掻きむしり、指を血塗れにしながら悲痛な声で(うめ)いている。

 胸を(つらぬ)かれた方の魔族はより深刻な状態らしく、ばたりと倒れこんで地に爪を立てたまま白目を剥いていた。その唇からは鮮やかな色合いの血泡(けっぽう)がとめどなく溢れ出してくる。

 仲間二人の有り様に、ぎょっと目を見開きつつも、残った魔族は素早く迎撃の姿勢をとる。


「光爆!」


 ジャンヌが作った僅かな隙に、フレインが呪文の詠唱を完成させていた。

 かつてガルナでの戦いにおいて使用した光の魔術。殺傷力を(ともな)わない(ただ)目眩(めくら)ましではあるが、その効果は魔力障壁でも防ぐことはできない。

 魔族たちの眼前に拳大の光球が現出する。その術に見覚えのあるシグナムは、手甲で兜の目許を隠した。ルゥも顔をそむけて腕で目を覆う。直後――視界を白一色に染め上げる凄まじい光の爆発が起こった。


「グッ!?」


 網膜に痛みすら感じる光の奔流を、二人の魔族は直視してしまっていた。そしてガルナでの戦いのとき、その場にはいなかったジャンヌも……


「な、なんなんですの!?」


 神官娘の怒声に思わずくすりと口許をゆがめ、シグナムは黒鉄の大剣で魔族の胴を薙ぎ払う。鋭く振り抜かれた一撃は手応えすら感じさせず障壁を打ち砕き、脊椎を両断して犠牲者をふたつに斬り分けた。

 最後の一人に向かったルゥは、腰から短刀を抜いて身軽に跳躍する。魔族の喉首に刃を振り下ろした瞬間、かん高い金属音を響かせて刀身が根本から折れ飛んでしまった。


「えー!? なんでー??」


 びっくり(まなこ)で魔族と短刀を見比べた狼少女にフレインが叫ぶ。


「いったん距離を取って下さい。おそらくかなり強力な魔族です」


「ルゥ!? だいじょうぶですか!」


 いまだ視力の戻らないジャンヌは、二人の会話からルゥが危険なのだと勘違いをしてしまったようだ。魔族らしき気配へと死神の王笏を向ける。その射線上にいたシグナムがとてつもない殺気を感じてジャンヌの方へ振り返った。


「我が神は魔族を――」


「やめろッ、あたしを殺す気か!!」


 叫びざま、回避行動に移ろうと身をかがめた魔族の頭に大剣を叩きつける。

 頭蓋を断ち割られた魔族は力なくその場に崩れ落ちた。


「……すごいな、この剣。魔族の障壁が紙同然だ」


 感嘆のつぶやきを洩らしたシグナムは、油断なく身構えたまま周囲を見回す。あたりに敵影はなく、ジャンヌの魔法を受けた魔族もすでに事切れているようだ。


「おねえちゃん。これ、なおる?」


 じわりと瞳を潤ませたルゥが、折れた刃をつまんでシグナムに差し出していた。


「ぽっきりいっちまってるな。こりゃ新しいのを買ったほうが早いだろ。とりあえず後であたしのを一振りやるよ」


 狼少女はちいさな頭をふるふるさせる。


「だめ、これがいいの。ボクのだいじな宝物なの……」


「……ああ」


 そこでシグナムは、ルゥの大切な宝物の出自を思いだした。


「前にアルフラちゃんから貰ったやつか」


「うん」


 その短刀はルゥとアルフラが出会ってまだ間もないころ、お姉さん風を吹かせたアルフラがルゥにあげたものだ。


「鍛冶屋に持ってけば元通りに打ち直してくれるよ」


「ほんと? よかったぁ! あ、でもアルフラには、これ壊しちゃったのないしょにしといてね」


 にっこりと笑顔を取り戻したルゥにフレインが尋ねる。


「なくすといけないので私が預かっておきましょうか?」


「いい、じぶんで持ってる」


 狼少女は折れた刀身を隠すように剣帯へ挿し込み、刃のない柄の部分を小鞄にしまう。


「まだ目がちかちかしますわ!」


 ようやく視力の戻ってきた神官娘がフレインに邪険な目を向けていた。


「ああいった魔術を使うときは事前におっしゃって下さい」


「すみません。ですが以前にそれを口にして、失敗してしまったことがあったので……」


 大剣を片手に、シグナムはまだ怒り冷めやらぬといった顔のジャンヌに笑いかける。


「お前が混ざると連携がむちゃくちゃだな。でもまあ助かったよ。反撃を食らわずに倒せるとは思わなかった」


「恐ろしい殺傷力ですね。さきほどのはもしかして致命傷(クリティカル・ウーンズ)の魔法ですか?」


「いえ、ただの負傷の矢(ウーンズ・アロー)ですわ」


「いやいや、負傷って感じゃねえぞこれ」


 ジャンヌが作った(しかばね)ふたつは外傷こそないものの、皮膚がどす黒く変色しはじめていた。


「凄まじいですね。やはり死神の王笏により効果が増しているのでしょう」


「ちがいますわ。すべてはアルフラさまのご加護があればこそです」


 頬を染め、うっとりとした顔で神の名を口にする神官娘に、フレインは苦笑いを浮かべる。そしてなにかを言いかけたその表情が、はっと強張った。同時に、その場にいた全員が城館の方へと振り返った。


「なんかやばそうなのが来るぞ!」


 四対の視線が向かったその先、城の壁面に偽装された隠し扉が音を立てて開かれる。

 ぐるる、とうなり声を上げて、狼少女が地面に四肢をついた。人狼化を始めたルゥを横目に、フレインは懐から水晶球を取り出す。レギウス神から下賜(かし)された宝珠、火水晶だ。

 

「気をつけてください。おそらく爵位の魔族です」


 姿を現したのは二人の男だった。背の高い方の魔族から尋常ではない圧迫感を覚える。


「おい、炙揮(しゃき)って魔族は女のはずだよな」


「ええ、そう聞いています。たぶん別の貴族なのでしょう」


「爵位の魔族が二人もいやがったのか……」


「いったん引きますか?」


 険しく眉をひそめたシグナムは、冷たい外気の中でも汗ばむほどの緊張を感じていた。しかし、かつてディース神殿で子爵位の魔族と対峙したときのような絶望感はない。むしろ気力は充実しており、体の奥底から戦意が湧いて来る。


「……いや、やろう」


 気負いはなく、過不足なく、心身共に充実している。



 シグナムは浅く腰を落とし、古代人種の大剣を構えた。





 隠し扉を開き、城館から土の地面に足を下ろした子爵位の魔族、漠遼(ばくりょう)は戦いの気配を感じて目を細めた。

 船小屋の前に倒れた四人の魔族とその傍らに立つ人間たち。いずれもが強い魔力を宿した武具を身に付けている。――重甲冑の戦士、白い体毛の人狼、祭服の神官娘、緋色の導衣を纏った導士、漠遼は肌に感じた脅威度の順に視線を移していった。


「そなたは下がっていろ」


 炙揮(しゃき)の配下である男に声をかけて一歩前に出る。なみの魔族では足手まといにしかならないと判断したのだ。

 短く告げた漠遼の声に反応して、甲冑の戦士と人狼が同時に動いた。

 漠遼は悠然と佇立(ちょりつ)したまま正面に右の掌を向ける。

 眼前の地面から槍の穂先を思わせる形状の石が生え出た。

 死角となる足元からの攻撃を、甲冑の戦士は横に転がることで回避した。

 今のを()けるのかと内心で驚きつつも、漠遼はさらに数本の石槍を(はな)って追い打ちをかける。そして右腕を払うように薙ぎ、側面へ回り込もうとした人狼に対応する。

 無数の岩が散弾となり、広範囲に渡り射出された。さすがにその全てを()けることは出来ず、人狼の半身にいくつかの岩礫(いわつぶて)が食い込んだ。

 白い体毛の所々(ところどころ)を鮮血に染め、人狼が片膝を付く。だがすぐに立ち上がり、大きく後ろへと飛び退()いた。

 人体に風穴を空けることも容易な岩の散弾を受けてなお、人狼はやや動きを鈍らせた程度でじりじりと間合いを(はか)っている。

 まずは手負いの人狼から片付けようと考えた漠遼の耳に、神官娘の声が届いた。


負傷の矢(ウーンズ・アロー)!」


 魔力障壁になにか軽い衝撃を受けたが、そちらへ注意を向けるほどではない。


「光矢!」


 つづけて魔導士が光度の高い魔力の矢を放つ。――が、それも問題なく障壁で(さえぎ)る。


小煩(こうるさ)い魔導士め――」


 わずかに意識をそちらへ向けた隙に、左右両側から甲冑の戦士と人狼が息を合わせて間合いを詰めに来た。


「光爆!」


 漠遼の眼前にまばゆい光球が出現する。

 三方から攻撃すればどれかは当たるという算段なのだろう。


(さか)しいな。人間というのは」


 まったく動じた様子のない漠遼に、なにかを感じたらしい甲冑の戦士が足を止めて後方に飛び退く。


「ルゥ、下がれ!!」


 遅い、と心の中でつぶやき、魔力を解放する。轟音と共に漠遼を中心とした地面が()ぜ、大量の石塊(いしくれ)と土砂が舞い上がった。

 土煙が周囲を覆い、その中でちかりとなにかが光った。おそらく光球が弾けたのだろう。

 甲冑の戦士はぎりぎりで効果の範囲外へ(のが)れたようだが、人狼の悲鳴が高く響いた。その声から位置を特定し、土煙の中へ石槍を撃ち込んでとどめを刺そうとした漠遼は、瞬間、身の(すく)むような悪寒を感じた。

 薄れ始めた土煙の向こうに、金色の髪をたなびかせた神官娘の姿が垣間見(かいまみ)えた。その(あお)い瞳は瞳孔がきゅっとすぼまり、なんともいえない生理的な嫌悪が喚起(かんき)される。精神に異常をきたした者特有の目だ。

 口の中ででなにやらぶつぶつと(つぶや)く不気味な神官娘と視線が交わる。

 肌が(あわ)立つような戦慄を覚えた漠遼は、慌てて障壁に力を注ぎ込んだ。

 神官娘の腕が持ち上がり、真っ白な骨を加工したかのような王笏が漠遼へと向けられた。


致命の矢(クリティカル・ウーンズ・アロー)


 黒い霧を凝り固めたかのような矢が、漠遼めがけて殺到する。

 かろうじて受け止めるも、同時に障壁が(こま)かな魔力の粒子となり崩れ去った。

 ぞっと身を震わせて漠遼は一歩後ずさる。


「な、なんだ……いまの魔法は……」


 彼は思い違いをしていたのだ。

 漠遼は祭服をまとった娘を、魔族に敵対するレギウスの神官だと予想していた。だが、法の守護者であるレギウス神の信徒が、これほど禍々しい魔法を使うはずがない。


「ディースの……死を司る邪神の司祭か……?」



 漠遼は脅威度の修正を行う。この場において真に注意を払うべきは、致死の魔法を操る邪神の司祭であった。





「魔力障壁が消えました!」


 フレインの叫びに、いまが好機と悟ったシグナムが地を蹴る。


「やはり最後にものをいうのは己の拳ですわ」


 両腕に巻いた鉄鎖をじゃらりと袖口から垂らし、神官娘は死神の王笏を腰帯に挿す。


「あっ、ジャンヌさんは後方から魔法での支援を――」


 制止の声が響くも、そんなものに耳を貸すジャンヌではない。もとより詠唱を必要とする魔法では、この機を逃してしまう。すこしでも攻め手を緩めれば、爵位の魔族はすぐに障壁を復元するはずだ。


「ルゥ、すこし待っていてください。あとでちゃんと治癒してあげますからね」


 漠遼(ばくりょう)の魔法をまともに浴びて(うずくま)る狼少女に一声かけ、ジャンヌは距離を取ろうと後退する爵位の魔族へ肉迫(にくはく)する。


「クッ――」


 みずからへ向けられた戦意(プレッシャー)の強さに漠遼は喉で呻く。このまま受けに回れば一気に押し込まれかねない。障壁を張り直すために攻め手を緩めるのは命取りだと判断した。

 強力な宝具を所持しているとはいえ所詮(しょせん)は人間。個々の力は漠遼に劣る。数の優位さえ(くつがえ)せれば後はどうとでもなるはずだ。


「まずは各個撃破が常道か……」


 大剣の間合いにまで距離を詰めたシグナムは、不意に足元の地面が波打ったことにより姿勢を崩した。動きが止まったところを狙いすましたかのように、周囲の大地から無数の石槍が吐き出される。

 さながら四方から槍衾(やりぶすま)を突きつけられた状況だ。回避のしようがない。

 とっさに大剣で正面の石槍を薙ぎ払い前に出る。――が、背中に凄まじい衝撃を受けて棒立ちになってしまう。


「ぐっ、ぁぁ…………あ?」


 打たれるような衝撃を感じたものの、しかしまったく痛みはなかった。


「馬鹿な……なぜ人間が魔力障壁を……!?」


 漠遼の声に、シグナムは喉元の首飾りがじんわりと熱を帯びていることに気づいた。闘神へリオンから貰った魔力供給の法具である。

 古代人種の遺産、魔鎧(まがい)黒氣粧(くろけしょう)に刻印された火焔の紋様が赤々と発光していた。脈打つように光は明滅し、手甲の紋様から大剣へと魔力が流れ込む。

 黒鉄(くろがね)の刀身が(ほの)かに赤い燐光を放つ。

 かつて古代人種の中でも有数の戦士であったカーマインの(おさ)。彼女の手により数多(あまた)の敵を(ほふ)った魔剣黒氣麟(くろきりん)が、本来の力を取り戻したのだ。

 一瞬の驚愕から醒めた漠遼は、冷たい焦燥感に身を震わせた。彼の置かれた状況は極めてまずい。気づけば鉄鎖を振りかざした神官娘の接近までも許してしまっていた。

 一足飛びに後方へ(のが)れるも、唸りを上げた鎖が漠遼の頭部に飛来する。

 受けに回ればじり貧だということは百も承知であった。ここは強引にでも攻勢に転じるべきであることも理解していた。しかし、なんとしてでも生きて炙揮(しゃき)の許へ帰りたいという思いが彼に防御行動を取らせてしまう。

 前面にありったけの魔力を注いで形成した障壁は、鎖の一撃で打ち砕かれた。武神の宝具であった神鎖を子爵位の障壁で凌げるはずもない。さらにもうひとつの鎖、ジャンヌが聖鎖天割(せいさてんかつ)と命名したダレス教団の至宝が漠遼の喉首に絡みつく。

 反射的に鎖を掴み、神官娘に左の掌を向けたとき――


ルオォォォォ――――――――ン!!


 恐怖の精霊を呼び集める人狼の咆哮が響き渡った。


「グッ――!?」


 その咆哮は爵位の魔族に呪縛を与えるには及ばなかったが、わずか束の間、漠遼の動きを阻害することに成功した。

 強い力で首の鎖が引き絞られ、前方に体が泳ぐ。

 フッと鋭い呼気を吐いて、神官娘の拳が漠遼の胸に叩き込まれた。額を飾る黒瑪瑙の額冠(がくかん)が常ならざる膂力(りょりょく)をジャンヌに付与し、その拳は三本の肋骨と右肺を破砕した。

 激しく咳き込みながら吐血した漠遼は、かすむ視界の中で神官娘の唇が(せわ)しなく動いていることに気づく。

 迫り来る追撃を避ける力は残されていなかった。

 黒い(もや)を纏った拳が死の粒子を()いて、冥府への軌跡を描く。



 その命を散らせる直前、漠遼は聞き慣れない神の名を賛美する神官娘の声を聞いた。


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