第90章―6
そんな思惑を従弟になる広橋正之がしていることを何となく察しながら、池田茶々はテレシコワやライドと共に、トラック基地から人類初の月面到達を目指して、6月早々に向かうことになっていた。
そして、無事に地球の重力圏を離脱して、無重力状態になった宇宙船の中で、茶々はテレシコワやライドらと改めて月面到達までのことを話し合うことになった。
「最高時速は4万キロ近く、秒速換算でも約11キロに達するのに、約38万キロ離れた月に到達するのには、4日近くも掛かるのね。計画段階から分かっていたこととはいえ、地球から月までは本当に近いようで遠いのね」
茶々は思わず遠くを見ながら言った。
「地球と月の間は、約38万キロと言っても、実際には地球の自転だけでも、1日に約1万2000キロも距離が変わる。更に月の軌道変化は、年間で約4万3000キロも変わる。そういった事情も考えあわせれば。更に常に最高速度を出している訳でも無いことを考え合わせれば、本当に仕方のないことよ」
テレシコワは、(他の皆も分かってはいるのだが)そう言って茶々を慰めるようなことを言った。
「そうそう、私の祖父母の船旅を考えれば、私達の(宇宙)船旅なんて短いものよ。茶々の母方祖父母だって、そうだったでしょう」
ライドは少し軽口を叩いた。
「そう言われれば、そうね。私の母方祖父に至っては帆船の旅だったから、太平洋横断に2月も掛かったと聞いているわ。母方祖母は機帆船だったから、それよりはマシだったらしいけど。母から聞いたわ。祖父が、お前の方が楽な旅が出来たのだぞ、と時々、祖母をからかっていたと」
「それは何とも」
「笑うしかない史実ね」
茶々の言葉に二人は苦笑せざるを得ない。
何しろ茶々の祖父は徳川家康で、北米共和国大統領まで務めたのだ。
それに対し、祖母はスミスという姓のイングランド人で年季奉公人から家康の愛妾になったのだ。
家康はどうのこうの言っても、それなりの領主の息子で有力者だった。
(細かいことを言えば、家康が太平洋を横断した頃は、そうでもなかったが)
それよりも様々な技術の進歩のためとはいえ、年季奉公人の祖母の方が楽な船旅とは皮肉なものだ。
ライドは思わず自らの祖父母も同じだったことを思い起こした。
多くの年季奉公人が機帆船で大西洋を横断して、北米共和国に、中南米の日系植民地に赴いたのだ。
その結果、多くの白人や黒人が南北両大陸に住み着いている。
「そう言えば、エウドキヤ女帝が「モスクワ大脱出行」をされた際、アゾフからアレクサンドリアまでは機帆船の旅だったそうよ。それから10年余り後に当時は世界最大の戦艦等を駆使して、エウドキヤ女帝がローマ帝国を復興させていくとは。本当に様々な技術の進歩が早い気がするわ」
テレシコワは思わず言った。
「本当に早いわね。1550年代以降に南北両大陸の本格的な開拓が始まった頃は、地上の移動は馬車とかが頼りだった。それが1570年代になると自動車が製造されるようになり、鉄道も敷設されるようになった。今では何回も乗り換えないといけないし、鉄道連絡船とかも使わないといけないけど、ユーラシア大陸横断鉄道が、一応は完成したわ」
茶々も思わず言った。
「その一方で、1570年代になると飛行機が空を飛ぶようになり、それもプロペラからジェットになっていった。更には人類が宇宙に赴くようになった。先日、帰郷した際に祖母が言ったわ。アフリカ大陸から出る際に、孫が月に行くとは思いもよらなかったと」
「それを言えば、自分の家族も同じよ」
「私の家族も同じ」
続けてのライドの言葉に、他の二人も肯きながら言った。
本当に時の経つのが早過ぎる気がする。
えっ、とツッコミの嵐が起きそうですが、この話の描写は、この小説上からは当然の流れです。
それこそ史実でも、ライト兄弟の初飛行から70年も経たない内に、人類は月面到達を成し遂げたことからしてもおかしくない描写、と私は考えます。
ご感想等をお待ちしています。




