第90章―1 更なる未来へ
最終章の始まりです。
1622年4月、日本の皇室には哀しみと悦びが一度に押し寄せることになっていた。
(度々、述べてきたが)生まれた時から虚弱で、実母になる千江皇后陛下以外の多くの人からは、あれでは成人できないのでは、と危惧されていた皇太子殿下が、インフルエンザにり患した末にインフルエンザ脳症にまで至って急に薨去したのだ。
当然のことながら、皇室全体が喪に服すことになった。
その一方で、美子中宮陛下の妊娠は極めて順調で、仮に早産しても、無事に御子は成長できるのではという段階に至っていた。
そうしたことから、皇太子殿下の喪中ということもあって、大々的な発表は控えられたが、美子中宮陛下の御懐妊が報道されることになり、中宮陛下の御子が男児であり、新たな皇太子殿下が出生されることを祈念する声が、世間に広まることになった。
(尚、美子中宮陛下の妊娠が多胎児妊娠なのは、非公表のままだった。
これ以上、世間を騒がせるのはどうか、ということから、出産後に多胎児が産まれたことを公表することになったのだ)
さて、こうしたことから、1622年の4月以降、暫くの間は今上(後水尾天皇)陛下にしてみれば、この身が二つ以上欲しいものだ、と想う日々が続くことになった。
出来れば、懐妊中の中宮に付き添いたいが、折角、授かった子を又も亡くした皇后に、夫として付き添わない訳には行かないのだ。
更に言えば、中宮からもそう勧められている。
とはいえ、多胎児妊娠は危険が大きいことを侍医団に教えられては、中宮のことが自分は気になって仕方がないのだ。
そんなことから、自分の唯一の実子である文子内親王殿下のお世話を、義兄になる上里松一がほぼ行う事態までが引き起こされている。
勿論、乳母を始めとする御付きの宮中女官複数が、文子内親王にはいるのだが。
文子内親王の実母の千江皇后は、又も息子が亡くなった衝撃から放心状態の日々を送っている、といっても過言ではない。
そして、自分は皇后を慰める一方で、中宮も気に掛かる状況で、娘にまで手が回らない。
そうしたことから、文子内親王の義兄だから、という理屈まで付けて、松一を宮中に住み込ませて、文子内親王の世話を親族としてする状況に至っていた。
尚、松一としては、色々と言いたいことが溜まる一方なのだが。
そうは言っても、相手が相手である。
まさか今上陛下や皇后陛下、自らの実母の中宮にしても懐妊の身とあっては。
そういった相手に自分の言いたいことをぶつけること等、思いもよらないことである。
それに実の両親から見捨てられたような気がするとして、落ち込む日々を事実上は過ごしていることが多い文子内親王を見ていては、義兄として松一はどうにも気に掛けない訳には行かず、結果的には宮中に住み込んで、文子内親王の御世話を松一はする羽目になっていた。
そうした松一の状況について、実母の美子としても、余り良くない気がして仕方がないのだが。
美子にしても、5回目の妊娠とはいえど多胎児妊娠は初めてであり、更に言えば3人以上が確実に産まれてくるとあっては、自分の身体のことだけで、ほぼ手一杯である。
美子の本音を言えば、少しでも夫になる今上陛下に傍に居て欲しいが、自らも妹のように可愛がってきた皇后陛下が息子になる皇太子殿下を失って、完全に沈み込んで放心状態の有様では。
夫に対して、皇后陛下の傍に少しでも長くいるように、表向きは美子は言わざるを得ない。
そんなことから、この4月から5月に掛けて、宮中は色々と大騒動になった。
皇太子殿下の様々な供養の行事をしつつ、中宮陛下の出産の準備もしないといけない。
宮中各所が色々と奔走し、職員は大いに疲弊することになったのだ。
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