第89章―3
だが、冷静さを徐々に美子は取り戻し、更に現在の状況を考えた。
自分と鷹司信尚の長女の智子だが、内々の話の段階だが、夫の生前に一条昭良と何れは結婚させたい、という話を、夫は一条家に対して行っており、中和門院陛下の御言葉に従っては、一条家に対して鷹司家は義理を欠くと言われても仕方ない事態が起きてしまう。
更に言えば、何となく私の癇に障るモノがある。
私の娘の智子と、近衛信尋が関係を持とうとするならば、智子は信尋の正妻に成るのが当然になる。
幾ら何でも次期摂家の当主の鷹司教平の同母妹の智子を愛妾にしては、近衛家は(公家社会の)輿論から幾ら何でも失礼極まりない、とフクロ叩きに遭うだろう。
それを避けて、智子と信尋が結ばれる方法となると。
尚、細かいことを言えば、私は鷹司家から離縁して、九条家の娘(養女)として入内した身である以上は、自らの実の娘とはいえ、智子の縁談に口を挟む権利は皆無と言われても仕方がない。
だが、自分は中宮という立場にあり、更にこれまでの経緯も相まって、私が智子の縁談に不快感を示せば、幾ら今上陛下の同母弟であり、摂家筆頭の近衛家の当主である近衛信尋と言えども、智子との結婚は断念せざるを得ない状況にある。
私が不快感を示せば、今上陛下もほぼ確実に不快感を示すことになり、そうなっては信尋と言えども、智子との結婚を断念するしかない。
そんなことまでも、色々と考えた末に美子は、改めて中和門院陛下と対峙する覚悟を固めて、その真意を糺すことにした。
「そこまでの仰せをいただき、真に有難く、娘の智子を近衛信尹の死後養女に送り出したい旨、鷹司信尚の元妻として、鷹司家に伝えるべきと考えますが、明かせる範囲で信尋様の真意をお話頂けないでしょうか。更に言えば、中和門院陛下にも思惑がお有り、と私には考えられてなりませんぬ」
美子は、不敬と考えつつも、そこまでの言葉を発した。
「流石は美子ね。話が早くて助かるわ。全く息子の信尋にも困ったモノよ。自らの弟の婚約者候補に、一目惚れするなんて。更に言えば、既婚の身なのにね。私の姪(信尹の娘)もそういった機微を察して、自らが妊娠して、お腹の子は信尋の子と触れ回り出した気さえするわ」
中和門院陛下は、苦笑いをしながら言いだした。
美子は想わず考えた。
何処で信尋は、智子に一目惚れしたのだろうか。
そう美子が考えていると、中和門院陛下は独り言を言いだした。
「まさか、兄の結婚式の場で、兄嫁の連れ子に一目惚れするとはねえ。息子の信尋が、姉上を母上と呼ぶのは問題無いでしょうか、といきなり私に言いだしたときは、流石の私も慌てたわよ。息子に何事が起きたのか、と気が私は動転したわ。それで、順序立てて、話をするように息子の信尋に改めて問い質したら、鷹司信尚殿の長女の智子に惚れました、実母の美子様に本当に似ておられて、魅力的な女性で、自分は結婚したいのです、と言い出したのよ。貴方は近衛家の婿養子なのよ、近衛家を捨てるつもり、と私が諫めたら、兄上(今上(後水尾天皇)陛下)も、皇太子時代に此度中宮になられた美子様と結婚できるならば、皇太子の地位を捨てる、とまで仰られたとか。同じことを私がやってはいけないのですか、とまで言うのよ」
中和門院陛下は、本当に頭を抱えながら言った。
「はあ」
美子としても、それ以上の言葉がどうにも出ない。
自らの娘の智子は自分に似ていて、確かに将来は美女になる素質があるが。
まさか、13歳の身で夫の弟の近衛信尋にそこまで言わせるとは。
娘ということから、却って美子が智子の魅力を余り感じていなかったことも相まって、近衛信尋の態度に美子は引かざるを得なかった。
少し補足説明を。
この世界では満14歳になれば結婚可能なことも相まって、満13歳になれば縁談が出てくるのが、特に公家社会では当たり前でした。
(そうしたことから、小説中でも鷹司(上里)美子らは苦悩し、奔走してもいます)
だから、美子の娘の鷹司智子に縁談が起きるのも当然極まりないという背景があります。
ご感想等をお待ちしています。




