第89章―1 近衛信尋と鷹司智子の縁談
新章の始まりになります。
尚、割烹で述べていますが、5話で終わる予定です。
少なからず時が戻るが。
1621年12月、まだまだお腹が妊娠で目立たないこともあり、中宮の美子は流産等の事故が無いように気を付けて、自らは注意して生活する日々を送っていた。
(尚、この時点で美子の妊娠を知っているのは、夫の今上(後水尾天皇)陛下と千江皇后陛下、及び数人の侍医と腹心と言える数人の宮中女官に限られており、未だに文子内親王殿下等には知られていなかった)
そんな12月のある日、夫の今上陛下の頼みから、美子は義母になる中和門院陛下を訪問していた。
中和門院陛下は、言うまでもないことかもしれないが、今上陛下の生母になる。
更には今上陛下の先帝である後陽成上皇陛下の皇后陛下でもあった。
だが、1617年に夫になる後陽成上皇陛下が崩御されたことから、夫の菩提を弔いたいと出家の意向を示されるようになった。
そして、生母の意向を受けた今上陛下は、生母の出家に対して様々な金銭等の支援を行う一方、中和門院の院号宣下等も行ったのだ。
こうして中和門院と名乗られるようになった後は、京の東山の麓に尼僧庵を建てられて、そこで数名の尼僧と共に暮らされているのだが。
(細かく言えば、護衛の為に皇宮警察からそれなりの人員が警護の為に派遣されてもいる)
実の息子である今上陛下を介して、美子に出来るだけ内密に自らの尼僧庵に来てほしい旨、中和門院陛下からの依頼があったのだ。
美子は夫婦ということもあり、今上陛下に何故に中和門院陛下が自分に訪ねてきてほしいのか、を不躾に問いただしたが、今上陛下もどうにも口にしづらいようで、母から直に聞いて欲しい、としかどうにも言わないような有様である。
美子は結果的に首を傾げながら、護衛を兼ねた運転手1人を連れて、内密裡に中和門院陛下を訪ねることになった。
「よく来てくれました」
「義母上はお変わりなく」
「そう畏まらなくても良いわよ。長年に亘る貴方と私の仲でしょう」
「はい」
久しぶりにお目にかかる中和門院陛下は、美子から見る限り、余りにも気さく過ぎた。
確かに美子と中和門院陛下の関係については、それこそ中和門院陛下が皇后陛下であり、又、美子が当時15歳の身で尚侍になった頃から続くといえるもので、10年以上に亘る関係なのは間違いない。
だが、そうは言っても様々な生まれ等の違いがある。
一応、家格上は近衛前久の実子である中和門院陛下と、九条兼孝の養子になる美子はほぼ同格と言えるが、そうはいっても実子と養子では、やはり格が変わってくる。
更に言えば、美子の実母の広橋愛は、今でこそ伊達政宗首相の第一秘書を務めているが、基をただせばオスマン帝国の奴隷だったのだ。
そういうことからすれば、様々な身分の上下関係に本来はうるさい日本の公家社会内でいえば、美子は中和門院陛下より遥かに格下扱いされ、様々な陰口が流れても当然の身である。
(もっとも、これまでに美子が示してきた様々な剛腕が、結果的に周囲の公家社会の面々を、ほぼ沈黙させる事態を引き起こしている)
それなのに、何故にこんなに中和門院陛下が気さくなのか、美子は疑念を覚えざるを得なかったが。
中和門院の方が、少し上手だった。
「ところで、お目出度だそうね。摂家の当主に加え、皇太子殿下の生母になるのはどんな気持ち。千江皇后陛下の子の即位は無理でしょうからね」
「いきなり何を」
中和門院陛下の御言葉に、さしもの美子も不意を衝かれた。
(このときの美子だが妊娠は診断されていたが、多胎児とまでは診断されていなかった)
「あら、カマを掛けたら、本当だったのね。冗談で言っただけなのに」
「いい加減にして下さい」
さしもの美子も怒ったが、中和門院陛下は急に沈んだ顔になった。
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